『六韜』を読む · 06
賢者の名と実を分ける——『六韜』文韜「挙賢」
賢い人を取り立てたはずなのに、乱れは深まってゆく。文王の問いは、登用の看板だけでは人選の正しさを保証できない場面から始まります。太公の答えは、評判を集めることと、力を用いることを分けます。
今回の一節の新規現代語訳
文王が太公に尋ねました。「君主は賢者を挙げることに努めているのに、その成果を得られません。世の乱れはいよいよ深まり、危機と滅亡に至るのは、なぜでしょうか」
太公は答えました。「賢者を挙げても用いないからです。賢者を挙げるという名目はあっても、賢者を用いる実がありません」
文王が尋ねました。「誤りはどこにあるのでしょうか」
太公は答えました。「君主が世間で褒められる者を好んで用い、真に賢い者を得ていないところにあります」
原文
文王問太公曰。君務舉賢,而不能獲其功。世亂愈甚,以致危亡者,何也。
太公曰。舉賢而不用,是有舉賢之名,而無用賢之實也。
文王曰。其失安在。
太公曰。其失在君好用世俗之所譽,而不得其賢也。
語句の注
- 挙賢
賢い人物を見いだし、推挙することです。ここでは候補を名だけ挙げる段階と、職務で力を発揮させる段階が区別されています。 - 功
人選の成果です。単に候補者の名が並んだ状態ではありません。 - 名と実
外から見える名目と、実際に行われている内容です。太公は両者の食い違いを問題にします。 - 世俗之所誉
世間で褒められている者を指します。誉められる理由や集団の広さまでは、引用部分に書かれていません。 - 賢
ここでは職務を任せるに足る者です。学問だけの評価とは限りません。
文王は「賢者がいない」とは尋ねません
問いの出発点は、人材不足ではありません。君主はすでに「挙賢」に努めています。賢者を探し、名を挙げ、登用しようとしているはずです。
それでも成果が出ません。
しかも停滞ではありません。乱れは深まり、国は危うくなります。善い名目を掲げたことと、善い結果が生じたことの間に、大きな隔たりがあります。
文王は、その隔たりを問います。「人を選んだのだから十分だ」とは考えません。人選の後まで見ています。
ここが大切です。挙げた人数も、候補者の肩書も、引用部分にはありません。数を増やせば解決するという話ではないのです。
「挙げた」と「用いた」は同じではありません
太公は最初に、動詞を二つ置きます。挙げる。用いる。
候補として名を挙げても、仕事を任せなければ力は働きません。地位を与えても、判断を聞かず、責任に見合う権限を渡さなければ、やはり「用いた」とは言いにくいでしょう。
ただし、この四行は具体的な官職制度を説明していません。任期も俸禄も選考手続もありません。何を任せれば「用いた」ことになるかも、ここだけでは決まりません。
分かるのは一つです。推挙の事実だけで満足してはいけません。働きが現れる場所まで進まなければ、「挙賢之名」で止まります。
名目は整っています。
実が伴っていません。太公の診断は短く、厳しいものです。
立派な看板が失敗を隠すことがあります
「賢者を挙げる」は、反対しにくい言葉です。愚かな者を選ぶ、と公言する君主はいません。善い言葉だからこそ、実際の運用を見失う危険があります。
人を挙げた。儀礼も行った。名簿にも載せた。
そこで仕事が終わったように感じられます。けれども文王が見ているのは、その後です。乱れが収まらなければ、掲げた言葉をもう一度調べます。
太公は、言葉そのものを捨てません。賢者を選ぶ仕事が不要だとは答えていません。名と実を合わせるよう求めます。
「挙賢」という名が誤りなのではありません。名だけで済ませることが誤りです。
評判は入口であって、証明ではありません
次の答えでは、誤りの場所が絞られます。君主は「世俗之所誉」、つまり世間で褒められる者を好んで用います。
評判を聞くこと自体は避けられません。遠くの人物を知るには、他人の言葉が要ります。誰にも知られていない人だけを選べ、とも書かれていません。
問題は、評判で判定を終えることです。
褒める声が多い。名がよく知られている。人脈が広い。そうした事実と、職務に必要な力は同じではありません。太公は、両者が一致しているかを確かめます。
だから「不得其賢」と続きます。褒められた者を得ても、賢者を得たことにはならない場合があります。評価の音量と、人物の実際を分けています。
この後に「党の多い者」が出てきます
引用の後では、世間で褒められる者を賢者とし、そしられる者を不肖とする場合が論じられます。すると、味方の多い者が進み、少ない者が退きます。
評判には作り手がいます。
多くの人が同じ名を褒めれば、確かな評価に聞こえます。ところが、人数の多さは能力の検査ではありません。結びつきの強い集団なら、一人の名声を広げることもできます。
反対に、力があっても仲間の少ない者は、声を集めにくいでしょう。黙って働く人物の名は届かないかもしれません。
「挙賢」は、人気投票の別名ではありません。文王と太公の問答を先へ読むと、評判を集めた過程まで確かめる必要が出てきます。
篇の末尾では、名と仕事を突き合わせます
「挙賢」の末尾では、将と相が職分を分け、それぞれ官の名に従って人を挙げるよう説かれます。さらに「名に按じて実を督し、才を選び能を考う」と続きます。
役目が先にあります。
その役目に何が必要かを確かめます。人物の才と能力を調べ、実際の力に合う仕事を任せます。名前だけが先に走るのを防ぐ順序です。
もちろん、短い篇から完全な人事制度は作れません。試験項目も採点法も書かれていません。それでも、判断の向きは読めます。
世間が褒めたから採るのではありません。職務と能力を向き合わせます。太公が求める「実」は、抽象的な美徳だけでなく、任された仕事の中で確かめられる働きです。
「用いない」には二つの距離があります
賢者を挙げても用いない、と聞くと、任命しなかった場面だけを考えがちです。確かに、推挙を受けながら官職へ就けなければ、名だけに終わります。
もう一つの距離も考えられます。
官職には就けた。それでも意見を聞かない。責任だけ負わせ、判断に必要な情報を渡さない。担当を決めても、働ける範囲を与えない。そうした状態なら、地位はあっても力は用いられません。
ただし、後半は本文から考えられる範囲です。四行に具体例はありません。どのような形で用いなかったかを断定してはいけません。
重要なのは、任命の有無だけで判定を終えないことです。任された仕事と実際の働きまで確かめます。名札が付いたかではなく、力が届く所に置かれたかを見ます。
ここには、君主側の責任もあります。
登用された人物に成果がない時、本人の無能だけを疑うのは早すぎます。仕事の渡し方が悪かったかもしれません。選んだ後に耳を塞いだのかもしれません。文王の問いは、君主の運用を調べる方向へ進みます。
評判を捨てず、評判の作られ方を調べます
人の評価には、他人の証言が欠かせません。一緒に働いた人の言葉から、本人だけでは語れない姿を知ることがあります。評判をすべて捨てれば、かえって狭い判断になります。
そこで、誉め言葉の中身を分けます。
何をしたから褒められたのか。誰がその働きを見たのか。似た言葉を大勢が繰り返しているだけなのか。別の立場から見ても同じ評価になるのか。評判を手掛かりとして残しつつ、根拠へ戻ります。
『六韜』は、聞き込みの細かな方法までは書きません。ですが、「世俗之所誉」をそのまま「賢」に置き換えた時の危険は述べます。
誉める人の数が多ければ、声は大きくなります。
声が大きくても、職務に合うとは限りません。反対に、声が小さいから能力が高いわけでもありません。どちらも、仕事の内容と比べて初めて判断材料になります。
失敗した方針を、善意だけで守りません
文王の問いには、すでに結果が含まれています。「功を獲ること能わず」と「世の乱れいよいよ甚だし」です。人選が成功したかどうかを、方針を始めた時点では決めません。
善意はあった。
それでも結果を調べます。善い人を選ぼうとした、という自己評価だけでは足りません。乱れが深まったなら、選び方と任せ方へ戻ります。
これは、失敗をすべて一人の人選へ帰す考えでもありません。国が乱れる理由は多くあります。引用部分が扱うのは、文王が尋ねた「挙賢」の失敗です。
範囲を狭く保つからこそ、検討は具体的になります。賢者という名を掲げたかではなく、誰を、何を根拠に選び、どの仕事へ置き、どう働かせたか。確認する場所が定まります。
また、成果がすぐ出ない場合もあります。時間の長さだけで人物を切ることはできません。引用部分には期限がないからです。見るべきなのは、待った時間の短長だけではありません。任せた仕事に必要な条件がそろい、能力を確かめられる状態だったかも調べます。
四行だけでは決められないこと
評判の高い人はすべて無能だ、と決めることはできません。引用部分は、評判と賢さが必ず反対になるとは述べていません。
少数派なら正しい、とも言えません。仲間が少ないことは、能力や誠実さの証明になりません。
君主一人が誰より正しく人物を見抜ける、とも書かれていません。篇の末尾では将と相が職分を分けて人を挙げます。判断は一人の直感だけに閉じていません。
人を「使い切る」ことを正当化する文でもありません。「用」は職務に就ける意味で読みます。人格を道具のように扱う理由にはできません。
現代の採用法を直接命じる文でもありません。古代の統治をめぐる問答です。今の組織制度へ移すなら、別の根拠が要ります。
名を掲げた後から、検討が始まります
文王は、善い方針が失敗する場面を尋ねました。太公は、方針の名前ではなく、実際の運用へ戻ります。
賢者を挙げたか。
そこで止まりません。任せたか。力を確かめたか。評判だけで判定しなかったか。問いが続きます。
名と実は、離れやすいものです。名は短い言葉で掲げられます。実は仕事の中でしか確かめられません。
だから太公は、「挙賢」という美しい看板をそのまま受け取りません。乱れが深まったという結果から、名目と運用の間を調べます。
四行の核心は、評判を否定することではありません。評判だけで人を得たと思わないことです。人の名を挙げた時点は、選考の終わりではなく、実を確かめる入口になります。
出典
『六韜』文韜、第十「挙賢」。原文は汪桓訂正『標題武経七書全文』巻一〜七(大坂・文金堂、弘化三年)により確認した。『六韜』は巻七で、引用箇所は第五冊の画像十八にある。早稲田大学図書館蔵、請求記号イ13 00931。書誌と画像は、早稲田大学図書館古典籍総合データベースによる。