武経七書を読む

兵法

六韜、三略、司馬法、孫子、呉子、尉繚子、李衛公問対。宋の朝廷が武学の正典として定めた七書を、一節ずつ原文から読む。

兵法書といえば『孫子』の名がまず挙がります。しかし東アジアで長く読まれてきたのは、『孫子』を含む七書のまとまりでした。

北宋の神宗の時代、朝廷は武学の教科書として七つの兵書を定めます。六韜、三略、司馬法、孫子、呉子、尉繚子、李衛公問対。これが武経七書です。成立年代も性格もばらばらな書物が、この時に一つの体系として束ねられました。

七書の中身は一様ではありません。『孫子』は簡潔な原則の集まりです。『六韜』は問答の形で、政治から野戦の実務までを広く扱います。『司馬法』は戦争を国家の礼の一部として語ります。『尉繚子』は軍法と軍令に踏み込みます。『李衛公問対』は唐の太宗と李靖の対話という形で、先行する兵書そのものを論じます。

日本での受容

武経七書は、日本でも武家の教養として読まれました。慶長年間には徳川家康の命で伏見版が印行され、江戸期を通じて和刻本が繰り返し刊行されています。林羅山や山鹿素行をはじめ、注釈や講義も残りました。

ただし日本での読まれ方は、中国での位置づけとそのまま同じではありません。誰がどの書を重んじたか、どの句が引かれたか。そうした差も、原文に戻ると見えてきます。

要約ではなく、一節から

七書は、標語として引用されることの多い書物です。「彼を知り己を知れば」「虎の巻」。有名な言葉ほど、原文のどこに、どの文脈で置かれているかが忘れられます。

このカテゴリでは、要約から入りません。短い一節を選び、そのつど新しく訳し起こし、その句が何を根拠づけ、何を根拠づけないのかを確かめます。原文と現代語訳は分けて示します。

七書に含まれない兵書

武経七書は、東アジアの兵書のすべてではありません。日本で書かれた『闘戦経』のように、七書の外にある兵法書もあります。七書という枠組み自体が、宋代の一つの選択だったという点は、読む前に踏まえておく必要があります。

原典シリーズ

兵法の原典

原典ごとに、選ばれた一節の読解を積み上げます。

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