三略を読む · 01

『三略』の「柔能く剛を制す」——弱さを賛美する言葉ではない

「柔能く剛を制し、弱能く強を制す」は、柔らかさや弱さだけを勧める標語として読まれがちです。ところが『三略』上略では、柔・剛・弱・強の四つすべてに出番があります。決め手は、どれか一つを選ぶことではありません。

今回の一節の新規現代語訳

『軍讖』には、こうあります。「柔らかなものは堅いものを抑え、弱いものは強いものを抑える」。
柔とは徳であり、剛とは害する力です。弱い者には人が助けに入り、強い者には怨みが向かいます。
柔には設けるべき場があり、剛には施すべき場があります。弱には用いるべき時があり、強には加えるべき時があります。
この四つをあわせ持ち、その時々にふさわしい用い方を定めるのです。

『三略』上略。冒頭の「夫主將之法」に続き、『軍讖』を引いて「柔能制剛、弱能制強」を掲げる段落です。

原文

《軍讖》曰:「柔能制剛,弱能制強」
柔者,德也。剛者,賊也。
弱者,人之所助。強者,怨之所攻。
柔有所設,剛有所施;弱有所用,強有所加。兼此四者,而制其宜。

『三略』上略の四行、五十五字(句読点を除く)。中國哲學書電子化計劃所収本によります。

語句の注

  • 軍讖(ぐんしん)
    『三略』の中で繰り返し引用される古い軍事的な教えの名です。現存する独立した書物として同定することはできません。
  • 柔・剛
    物の硬さだけではありません。柔はしなやかな対応、剛は強く押し切る働きまで含みます。

  • ここでは、人を従わせる人格的な働きや恩恵を含む語です。抽象的な善だけに限りません。

  • 現代語の「盗賊」より広く、傷つけること、害することを指します。

  • その場に合っていること。四つのうち何を、いつ、どれほど使うのがよいかという適否です。

四つの力が、最初から並んでいる

有名なのは冒頭の二句です。柔は剛を制する。弱は強を制する。ここだけを抜き出せば、硬さより柔らかさが優れ、強さより弱さが優れるという教訓に見えます。

しかし、続きがあります。すぐ後に柔・剛・弱・強がもう一度並びます。今度は勝ち負けではなく、それぞれの性質と使いどころの話です。四つとも消えてはいません。

ここが肝心です。柔だけが残り、剛が捨てられるわけではありません。弱だけを守り、強を遠ざけるとも書かれていません。柔には設ける場所がある。剛には施す場所がある。弱には用いる時がある。強には加える時がある。四つとも必要です。

短い標語から受ける印象と、段落全体の論旨には隔たりがあります。「柔よ、弱であれ」という勧めではありません。単純な優劣を決めない文章です。

人を得る話の直後に置かれている

段落の位置にも目を向けましょう。直前では、主将が英雄の心をつかむ方法が説かれています。功績がある者には賞禄を与え、人びとと好悪を同じくする。国や家が治まるか、失われるかは、人を得るか失うかにかかる。そう続きます。

つまり、柔と剛の話へ入る前から、中心にいるのは人です。武器の強弱ではありません。力を受ける側がどう感じ、誰を助け、誰を怨むのか。そうした反応を考えずに、主将の強さだけを測っても足りません。

直後では、まだ端緒が現れないうちに変化を読み、敵に応じて転じることが説かれます。先に決めた型へ現実を押し込むのではなく、動きがあればそれに従う。柔・剛・弱・強の使い分けは、その変化への備えとして置かれています。

前には人心、後ろには変化への対応があります。その間に四つの力が並びます。この位置から読むと、「弱い者は強い者に勝つ」という単純な逆転劇では済みません。人の心を失わず、状況が変われば手段も変える。そのための四分類です。

徳で近づく柔、害を及ぼす剛

柔には「徳」という説明が付きます。徳は、ただ優しいという意味ではありません。人を受け入れ、恩恵を及ぼし、こちらへ近づける働きまで含みます。力ずくで屈服させなくても、人が離れない状態です。

対する剛は「賊」です。賊とは、人を害する働きです。強く出れば、相手の抵抗を押し返せます。命令も通せるでしょう。けれども、その力は相手を傷つけます。傷つけられた側には理由が残ります。

柔と剛の対比は、善人と悪人の分類ではありません。同じ者が、場面に応じて柔にも剛にもなります。剛を使うな、とは書かれていません。「剛有所施」と明記されています。剛を施すべき場はあります。

そこで問われるのは分量です。剛ばかりでは害が積み重なります。柔ばかりなら、止めるべき相手を止められないかもしれません。力を持つことと、力だけに頼ることは違います。

弱い者を助けるのは、周囲の人びと

弱と強の説明では、視点が変わります。柔と剛には、それぞれ徳と賊という性質が当てられていました。弱と強では、周囲の反応が書かれています。

弱い者には人が助けに入る。強い者には怨みが攻め寄せる。勝敗は当事者二人の力量だけでは決まりません。周囲にいる人びとも動きます。助ける者が増えることもあれば、怨みを抱く者が集まることもあります。

だから、弱は無力と同じではありません。自分の力が小さくても、助ける人が加われば関係は変わります。反対に、強は孤立と同じではありません。それでも強さを振るうたび、敵対する理由を周囲へ配る危険があります。

「弱能制強」という一句は、弱者が不思議な力で強者を倒す話ではありません。弱い側には援助が集まり、強い側には反感が向かう。その人間関係まで含めて、強弱の逆転が語られています。

二者だけを見ない。この読み方なら、なぜ弱が強を制しうるのかが分かります。人数も、つながりも、感情も勝敗に入るからです。

「設・施・用・加」は同じ動詞ではない

後半では、四つの力に別々の動詞が配されています。柔は「設」、剛は「施」、弱は「用」、強は「加」です。日本語に移すと似た表現になりやすいところですが、原文では書き分けられています。

柔は、あらかじめ設けるものです。人が近づける余地や、退ける余地を残しておく。すぐに衝突へ進まないための構え、と読めます。

剛は、必要な場で施すものです。害する力だからこそ、常に前へ出すのではありません。止める時に限って働かせます。

弱は用いるものです。弱い立場を隠すことだけが選択ではありません。助けを得られる位置として使う道もあります。強は加えるものです。足りない場面で加えます。最初から全力を押しつけるのではありません。

四つの動詞を一つにまとめると、原文の細かさが失われます。どの力にも固有の扱い方がある。その違いを読んだうえで、最後の「制其宜」へ進む必要があります。

四つを兼ねるとは、半分ずつ混ぜることではない

「兼此四者」の兼は、四つをあわせ持つことです。柔と剛を半分ずつ出し、弱と強も同じ割合にすればよい、という意味ではありません。平均を取る話ではないのです。

柔で接している最中にも、剛を使える備えは残します。弱い位置に立つ時も、必要なら強を加えられるようにします。反対も同じです。強く出ている時ほど、相手が退ける余地を残せるかが問われます。剛を施した後で、柔へ戻れることも要ります。

四つを持たずに使い分けることはできません。柔しかない者は、柔を選んだのではなく、それしかできないだけです。剛しかない者も、決断したのではありません。ほかの手段を持たないのです。

選べることと、迷い続けることも違います。四つを持つ目的は、判断を先送りするためではありません。状況に合うものを決め、決めた後は実際に働かせるためです。「制其宜」の制には、適否を見定めたうえで定める強さがあります。

決め手は「宜」を見定めること

結びは「兼此四者、而制其宜」です。柔・剛・弱・強を兼ね、その宜を定める。何か一つの徳目に従えば終わる、という話ではありません。

宜とは、その時に合うことです。相手、時期、周囲の人びと、害と怨みの大きさを考え、柔で受けるのか、剛で止めるのかを決めます。弱を用いて助けを集める場もあります。強を加えなければならない場もあります。

判断は軽くありません。柔を選べば、いつでも徳になるわけではないからです。必要な剛を避ければ、守るべき者が害を受けることもあります。強を加えれば、いつでも怨まれるとも限りません。何を止めるための強さかによって受け止め方は変わります。

一つの型に頼らない。そのためには四つを持っていなければなりません。柔しか使えない者には選択がありません。剛しか使えない者も同じです。求められているのは、両極を行き来できる備えです。

「弱ければ勝てる」とは書いていない

第一に、弱さそのものが勝利を保証するとは書かれていません。弱い者が助けられる可能性はあります。しかし、必ず助けが来るという約束ではありません。

第二に、強さを悪として捨てる教えでもありません。剛と強には、それぞれ施す場と加える場があります。退けられているのは、強さの存在ではなく、強さだけで押し通す態度です。

第三に、後世の「柔よく剛を制す」という標語だけで『三略』全体を説明することはできません。上略には、人材、恩賞、軍令、兵糧、民の負担など多様な話題があります。今回扱ったのは、その中の一段落だけです。

第四に、黄石公本人の言葉だと断定することもできません。黄石公が張良へ兵書を授けたという伝承と、現在の『三略』の作者を同じものとして扱う根拠は足りません。成立を後漢以後とみる説もあります。

読めるのは、現存する文章の組み立てです。柔が剛に、弱が強に勝つと述べた後で、剛と強も捨てずに残す。そこに『三略』らしい慎重さがあります。

標語の続きを読む

「柔能制剛、弱能制強」は覚えやすい言葉です。短く、対がそろい、逆転もあります。だからこそ、そこだけで読書を終えやすいのです。

あと三句だけ進んでください。柔は徳、剛は害。弱い者には助けが集まり、強い者には怨みが向かう。さらに、柔・剛・弱・強には、それぞれ出番があります。

最後に残るのは、柔の礼賛ではありません。四つを持ち、使う時を誤らないことです。柔らかく受けるべき時に押し切らない。強く止めるべき時に退かない。弱い立場から助けを得る。必要な強さは加える。

読者が覚えておきたいのは、勝つ側の名前ではありません。柔も剛も、弱も強も、置かれた場所によって働きが変わります。自分の好みに合う一つへ固執せず、周囲の反応まで見て選ぶ。そこまで読んで、冒頭の逆転が結びの判断につながります。

短い標語より、こちらのほうが難しい。決まった答えがないからです。五十五字を読み通すと、強さを捨てよとは受け取れません。戒めの矛先は、強さに使われることへ向いています。

出典

『三略』上略。原文は中國哲學書電子化計劃所収の『三略』により確認しました。同サイトは活字テキストであり、版本の影印ではありません。和刻本には、汪桓訂正『標題武経七書全文』巻一〜七(大坂・文金堂、弘化三年)があります。『三略』は巻六です。早稲田大学図書館蔵、請求記号イ13 00931。