司馬法を読む · 01
『司馬法』が「好戦必亡」の前に置いたもの
「国大なりといえども、戦を好めば必ず亡ぶ」はよく知られた警句です。けれども『司馬法』は、いきなり国の盛衰を論じません。喪に服する人、凶年の人、冬と夏に暮らす人への配慮から話を始めます。
今回の一節の新規現代語訳
喪を重ねず、凶事につけ込まない。それが相手の民をいたわることです。
冬と夏に軍を起こさない。それが民をあまねくいたわることです。
だから国が大きくても、戦を好めば必ず滅びます。天下が安らかでも、戦を忘れれば必ず危うくなります。
原文
不加喪,不因凶,所以愛夫其民也;
冬夏不興師,所以兼愛民也。
故國雖大,好戰必亡;
天下雖安,忘戰必危。
語句の注
- 喪(そう)
身内の死にともなう服喪です。「加喪」は、その悲しみの上へさらに災いを重ねることです。 - 凶(きょう)
不作や災害を含む凶事です。相手の困窮を攻める好機として用いることを戒めます。 - 興師(こうし)
軍を興すこと、すなわち出兵のために軍勢を動員することです。 - 兼愛(けんあい)
自分の側だけに限らず、広く民をいたわることです。ここでは出兵を控える理由として置かれています。 - 好戦(こうせん)
戦う備えを持つことではありません。戦を好む傾きです。
警句の前に、暮らしの重さがある
「好戦必亡」と「忘戦必危」は、二つで一組の言葉として覚えられます。国が大きくても、戦を好めば滅びる。天下が安らかでも、戦を忘れれば危うい。短く、対になっています。
ただ、原文はこの二句から始まりません。先に喪と凶が出ます。さらに冬と夏が続きます。そこでは、戦そのものの名誉や勝敗よりも、出兵が人びとの暮らしへ何を重ねるかが問題になっています。
喪中の家には、すでに失われた人がいます。凶年の土地には、すでに足りないものがあります。そこへ軍勢を送り、食料や労力を求めれば、苦しみは増します。文章は長く説明しません。だからこそ「加えない」「因らない」という言葉が残ります。
まず重ねないことです。ここから話が始まります。
「相手の民」をいたわる、という言い方
一行目の結びは「愛夫其民也」です。自分の民ではなく、相手の民をいたわる、と読めます。凶事に乗じて攻めない理由を、相手の側の苦しみに置いているのです。
軍事の書物だから、相手を倒す技術だけが並ぶと思うと、この言い方には足が止まります。敵地が困っている時に攻めない。そこには、損得だけでは片づかない線が引かれています。
もちろん、四十字だけで『司馬法』全体が戦争を拒む書だとは言えません。仁本には討伐や軍令の話もあります。軍を持つことを否定する文章でもありません。それでも、相手の不幸を利用しないという文言は消えません。戦を考える時に、相手の民を数の外へ置かないための言葉です。
ここで言われる愛は、気持ちだけを指しません。出兵しないという判断にまで下ろされています。
冬夏に軍を起こさない理由
二行目は、冬と夏の動員を避けます。季節に合わせた兵法の規則のようにも見えます。しかし原文は、寒さ、暑さ、道の状態、病の種類を細かく並べません。理由として置かれるのは「兼愛民」です。
冬に移動すれば、寒さを受けます。夏なら暑さに苦しみます。こうした事情は考えられますが、引用した四句はそれを一つずつ説明していません。書いていない細目まで、原文の断言のように並べるべきではありません。
確かなのは、冬夏の出兵を避けることと、民を広くいたわることが一続きになっている点です。軍勢だけの都合では終わりません。兵士の家族、輸送に関わる人、通過する土地の人びとも、季節の重さから逃れられないからです。
時期を選ぶことは、戦術の小技ではありません。人の負担を先に数えることです。
大国でも、戦を好めば亡ぶ
その後で、国の大きさが出てきます。「国雖大」です。大きな国には人口があり、土地があり、財もあるでしょう。それでも戦を好めば滅びる、と断じます。大きさだけでは守りになりません。
ここで注意したいのは、「戦をする」と「戦を好む」が同じではないことです。危機に備えて軍を整えることまで、好戦と呼んでいるわけではありません。直後には平和の後でも演習を行う話が出ます。兵を忘れないことは、むしろ必要だとされます。
では何が危ないのか。戦を好む時、出兵は必要から離れます。凶に乗じることも、民の負担を増すことも、勝てる機会として数えられやすくなります。最初の二行で止めた行為が、好戦の中では止まりにくくなるでしょう。
国が大きいからこそ、何度も軍を動かせるかもしれません。その余力が、戦を好む気持ちを正当化するとは限りません。文章はそこを分けます。
平和の時に、戦を忘れる危うさ
次の句は反対側へ振れます。「天下雖安、忘戦必危」。天下が安らかであっても、戦を忘れれば危うい。好戦を戒めた直後なので、驚く読者もいるはずです。
けれども二つを並べると、戦を愛せという話にはなりません。忘れないことと、好むことは別です。備えを残すことと、いつでも出兵したがることも別です。
仁本の続きには、天下が平らいだ後、天子や諸侯が季節ごとに蒐狩・振旅・治兵を行うことが書かれます。そこでは、実際の遠征ではなく、兵を忘れないための行いが述べられます。平時に軍事を記憶する道として置かれているのです。
戦を好めば亡ぶ。忘れれば危うい。その間にあるのは、都合のよい標語ではありません。民への負担を見ながら、必要な備えをどう残すかという難しい判断です。
「愛民」は一方だけに向かない
四句には「其民」と「民」があります。前者は相手の民を指し、後者は広く民を指すと読めます。この置き方によって、配慮の相手が自国側だけに狭まりません。
戦の判断では、自分の側の損害だけが語られがちです。けれども凶年を利用するなら、相手の民の苦しみを利用することになります。冬夏に軍を起こすなら、動員される側にも通過される側にも負担がかかります。原文は、どちらの人びとも理由の中へ入れます。
だから「愛民」を穏やかな飾り言葉として読むと足りません。喪を重ねない。凶事に因らない。冬夏には興師しない。三つの否定が、愛の中身になっています。
民を大切にする、というだけでは曖昧です。何をしないのかまで書かれているところに、仁本の硬さがあります。
ここから決められないこと
第一に、この四句だけで出兵の可否をすべて決めることはできません。緊急の防衛、地域ごとの事情、攻撃と防御の区別について、引用した範囲は答えません。
第二に、冬と夏が常に絶対の禁止だったとは断定できません。本文は二季を挙げますが、日付や例外を定めていません。
第三に、司馬穰苴がこの文章をそのまま書いた、とも言えません。『司馬法』は司馬穰苴に結びつく伝承を持ちますが、現行本の成立や伝来には議論があります。
第四に、「好戦必亡」だけを取り出して軍備を不要だと言うこともできません。すぐ次に「忘戦必危」があります。二つを離すと、仁本が残した緊張が消えてしまいます。
二つの戒めを、同じページで読む
戦を好んではならない。戦を忘れてもならない。二つとも言われると、読者は簡単な立場へ逃げにくくなります。
その難しさの前に、仁本は人の暮らしを置きます。喪、凶、冬、夏です。国の大きさや天下の安定を語る前に、出兵が誰へどんな時に重なるかを考えさせます。
そこから読めば、「好戦必亡」は勇ましさへの反論だけではありません。人の弱り目を勝機として扱い、季節の負担を押し切る姿勢への警告です。「忘戦必危」もまた、警告を取り消しません。備えまで手放すな、と続けています。
四十字の中で、答えは一つに決まりません。だからこそ、二つの戒めを両方残して読む必要があります。
出典
『司馬法』仁本。原文は中國哲學書電子化計劃所収の『司馬法』により確認しました。同サイトは活字テキストであり、版本の影印ではありません。和刻本には、汪桓訂正『標題武経七書全文』巻一〜七(大坂・文金堂、弘化三年)があります。『司馬法』は巻七です。早稲田大学図書館蔵、請求記号イ13 00931。