孫子を読む · 03

「勝を貴び、久しきを貴ばず」——『孫子』作戦篇の結び

『孫子』作戦篇では、出兵にかかる費用から説き起こし、最後に将と民の命を結びつけます。長く戦い続けることを退けたあと、なぜ将の責任まで語るのでしょうか。結びの二文を前段へ戻りながら読みます。

今回の一節の現代語訳

したがって、戦争では勝利を重んじ、長引くことを重んじない。
だから、戦争をよく知る将は、民の命を預かり、国の安全と危機に責任を負う者なのだ。

『孫子』第二篇「作戦」の結びです。出兵の費用、遠方への輸送、民家と公家の負担を論じ、直前には敵の戦車や兵士を取り込んで強くなる話があります。長期化への戒めと将の責任を述べて篇を閉じます。

原文

故兵貴勝,不貴久。
故知兵之將,民之司命,國家安危之主也。

『孫子』作戦篇末尾の二文、句読点を除いて二十三字です。中國哲學書電子化計劃所収本文の語句に従い、句読点と改行を整えました。「貴勝」と「民之司命」の字を採っています。

語句の注

  • 貴ぶ
    大切なものとして扱うことです。「勝」と「久」の両方に同じ動詞を用い、重んじるものと退けるものを分けています。

  • ここでは軍を長く出しておくこと、戦いが長期化することです。持久力という個人の長所とは分けて読みます。
  • 知兵之將
    用兵に通じた将です。敵と戦う技量だけでなく、作戦篇で述べた負担や損害まで分かっている者として読めます。
  • 司命
    命をつかさどる者です。将が民の生死に深く関わるという重い呼び方で、ここでは特定の官職名として訳していません。
  • 國家安危之主
    国の安危を担う者です。将が君主に代わって王になる、という話ではありません。

兵糧だけでなく、膠と漆まで

作戦篇の書き出しには、戦車、甲冑を着けた兵、遠くへ運ぶ食糧が並びます。大きな費用の話です。ただし、並ぶのは兵糧だけではありません。客の応接や、膠と漆の材料まで挙げられます。戦場で使う物をそろえ、保ち続けるには、見えにくい出費も重なります。

兵を集めれば出兵できる、とは読めません。軍を動かす前から費用が要ります。動かした後も同じです。日々の支出を述べてから、ようやく軍を挙げられると続きます。結びで長期化を戒める理由を知るには、まず冒頭の物の多さを見ておく必要があります。

戦いが終わらないあいだに

長く戦えば、兵器は鈍り、鋭気はくじけます。城を攻めれば力を使い果たし、軍を長く外に置けば国の用も足りなくなる。作戦篇では、そう順に述べています。一つの失敗だけではありません。戦う力も、出費に耐える力も、同時に減っていきます。

しかも、相手は目の前の敵だけではありません。疲弊すれば、ほかの諸侯が機会をうかがうと続きます。そこまで来ると、知恵のある者でも後始末が難しい。いったん出た軍の内側だけで損得を計算しては足りないのです。長く続けるほど立派だ、という読み方はできません。

長期化の害は、決戦に負けてから始まるのではありません。まだ戦い続けている段階で、物も力も失われます。勝敗がついていないことと、損失がないことを同じにしてはいけません。前半の説明を読むと、決着を先へ延ばすあいだにも国の側では支払いが続くと分かります。最後の「久」は、その時間を含む語として受け取る必要があります。

遠くへ運ぶ人、近くで買う人

民の負担については、遠方への輸送と、軍の近くで物が高く売られることが挙げられます。遠くへ送るにも負担がかかり、近くで買うにも財が尽きます。場所は違います。しかし、どちらにも暮らしの苦しさがあります。軍の人数だけを数えていては、この人たちは見落とされます。

本文では、財が尽きる話のあとに役の負担が続きます。民家の内側が空しくなり、公家でも車や馬、武具を損なうと記します。ここでいう損失は、将が戦場で失う兵だけではありません。家で暮らす人にも及びます。最後の「民」は、突然付け足された言葉ではないのです。

「久しき」の反対に置かれた字

結びでは「久」に対して「勝」が置かれています。採用した本文では「速」ではありません。だから訳でも、まず勝利と長期化の対を残しました。速さの話は篇の前半にありますが、結びを読むときまで同じ一字にそろえる必要はありません。

長期化を避けることと、急げば何でもよいとすることは別です。勝てないまま急いでも、ここで重んじる「勝」には届きません。一方、勝ったと言えても、長くかかって国も民も疲れ果てたなら、前段の戒めを忘れたことになります。速さだけを抜き出すより、勝ち方と費用を一緒に考えて読むほうが、篇の流れに沿っています。

「貴ぶ」という訳語にも注意が要ります。勝利を好む人の感情を述べているわけではありません。戦争で何を重く見るべきか、という判断の話です。長く戦っているという事実そのものを、成功の代わりに数えてはならない。ここでの対比は、続けた長さを実績として扱う読み方に歯止めをかけます。ただし、途中でやめる条件までは書かれていません。

二度の「故」を読み飛ばさない

二文は、どちらも「故」で始まります。そこで現代語訳では、先を「したがって」、後を「だから」としました。同じ接続です。ただし、一度目には篇全体の費用の話があり、二度目には勝利と長期化の話があります。結論を二段に分けて読めます。

最初の結論だけなら、戦いを長引かせるな、で終わります。ところが次の文では、将をどう呼ぶかまで進みます。なぜ将が民の命を預かるのか。軍を出す期間や費用に関わり、その結果として暮らしも生死も左右するからです。将をほめるだけの一文として切り離すと、このつながりが薄くなります。

「知兵」は技の多さだけではない

兵を知る将というと、敵の動きを見抜き、陣を動かす人を思い浮かべます。けれども、作戦篇で読んできたのは費用と疲弊の話でした。その結びに置かれた「知兵」を、戦場の技だけに狭めることはできません。害も知っていることが前提になります。

篇の前半には、用兵の害を十分に知らなければ、その利も十分には分からないという趣旨の文があります。利だけでは足りません。勝利の見込みがあっても、運ぶ物、失う財、民にかかる負担を考えなければ、篇のいう知識には届かない。そう読める位置に、将の呼び名があります。

民は、将の部下だけではない

将の話だから「民」も兵士のことだ、と決めると狭すぎます。少なくとも作戦篇の中ほどでは、軍のために財を費やす百姓や、空しくなる家の話が出ていました。結びを前段から読むなら、戦場に立たない人も含めて考える必要があります。

そのうえで、民の命を預かると訳しました。将がすべての人を直接支配するという説明ではありません。また、実際に民を守った将の逸話でもありません。長期化で国の内外が疲れるからこそ、用兵を知る者に重い責任がある。ここでは、その関わりの深さが語られています。

もちろん、軍の外の暮らしがすべて将の一存で決まるわけではありません。結びの強い言い方を、そのまま統治制度の説明にしてはいけません。本文で確かめられるのは、軍を長く外へ出すことと、家々の疲弊とを結びつけて論じた点です。誰が何を命じ、どのように財を集めたかという個別の仕組みは、別に調べる必要があります。

直前の捕虜の話をどう扱うか

結びのすぐ前には、敵の戦車を得た者に賞を与え、旗を取り替え、車を交えて用いる話があります。さらに兵士をよく扱い、養うと続きます。戦って勝つだけでなく、得たものを自軍の強さへつなぐ場面です。長期化の損耗とは、逆の方向に当たります。

ただし、そこから現代的な捕虜保護の制度まで読み込むことはできません。条文のまとまりではないからです。採用した二文の前に何があるかを確かめるために、ここでは位置だけを押さえます。費用を失い続ける話から、勝って強くなる話へ進み、そのあとで将と民の命が結びつきます。

「司命」を神秘的な肩書にしない

「命をつかさどる」と聞くと、運命を自在に決められる人のようにも感じられます。しかし、篇の冒頭から終わりまで読めば、将にも費用や疲弊の限界があります。何でもできる人ではありません。むしろ、取り返しがつかなくなる前に判断しなければならない人です。

そこで訳には「預かる」を使いました。原語の強さを弱めすぎないよう注意しつつ、責任として読みやすくするためです。国の安危を担うという後半も同じです。将を無条件に称賛するのではなく、何を誤れば誰が苦しむのかを考える呼び方として受け取れます。

また、「国家」という二字を見て、現在の国家制度を思い描く必要もありません。ここでは軍を出し、その負担を引き受ける国の安危が問題になっています。軍の勝ち負けと、国が安泰かどうかは、関わりながらも同じ言葉ではありません。だから結びには、勝利の語のほかに安危の語も残ります。訳でも一つにまとめず、両方を別々に置いています。

結びの二文だけでは決められないこと

第一に、何日までなら短い戦争なのかは分かりません。期限の規定はありません。篇中の数を組み合わせても、すべての戦いに使える日数にはなりません。長く続ける費用を論じたことと、計画表を残したことは別です。

第二に、早く勝てばどの戦争もよい、とは言えません。開戦そのものの是非を判定するための二文ではないからです。第三に、特定の将がこの教えに従って勝った、とも言えません。ここには人名も戦場名もありません。第四に、民への責任を語ったことから、当時の将がみな民を大切にしたと結論づけることもできません。教えと実際の行動は分けて確かめます。

費用を述べた数字の扱いも慎重でありたいところです。本文には兵力、距離、日々の支出、民家と公家で失う割合などが出てきます。ただし、いつどこで集計した数なのかは記されていません。特定の戦役の決算として引用することはできないのです。本記事では数字を現在の通貨へ換算せず、何を費用として数えているのかに注目しました。

勝利のあとまで含めて読む

『孫子』作戦篇の結びは、勝ちさえすればよい、という一言では終わりません。勝利を重んじ、長期化を退けたあと、民の命と国の安危に話が及びます。軍を長く出した結果は、戦場の中だけにとどまりません。出費に耐える人がいます。暮らしを削る家もあります。

だから、将の呼び名だけを立派な標語として掲げるのは惜しい読み方です。膠や漆をそろえるところから、疲れた馬や空しくなる家までを思い返すと、「司命」という字の重さが分かります。将は何に勝つのかだけでなく、勝つまでに何を失うのかも知っていなければならない。作戦篇の終わりでは、そこまで読んでおきたいのです。費用を数えた冒頭へ戻ることが、結びを読むための手がかりになります。

出典

『孫子』第二篇「作戦」末尾二文。原文の語句は中國哲學書電子化計劃所収『孫子兵法』「作戦」により確認した。本文の句読点と改行は整理した。和刻本には、汪桓訂正『標題武経七書全文』巻一〜七(大坂・文金堂、江戸末期)がある。『孫子』は巻一。早稲田大学図書館蔵、請求記号文庫31 E1920。同館目録で書誌と巻立てを確認した。各伝本の字句を全面的に校合したものではない。