司馬法を読む · 03
勝ちは衆と分かち、過ちは己に取る——『司馬法』厳位
勝った後は、功を人々と分けます。指揮のために負けた後は、過ちを自分で引き受けます。『司馬法』厳位は、再び戦う前に責任の置き場所を定めています。
今回の一節の新規現代語訳
戦って勝ったなら、功績を人々と分かちなさい。再び戦うつもりなら、賞罰を重くしなさい。
自分の指揮によって勝てなかったなら、過ちを自分で引き受けなさい。
再戦では、先頭に立つと誓い、前のやり方を繰り返してはなりません。勝った時と負けた時の扱いを逆にしない。これを正しい規則といいます。
原文
凡戰:勝則與眾分善;若將復戰,則重賞罰;
若使不勝,取過在己;
復戰則誓以居前,無復先術。勝否勿反,是謂正則。
語句の注
- 分善
よい結果や功績を分けることです。「善」は、人柄の善良さだけを指す語ではありません。 - 衆
戦いに加わった多くの人々です。個々の役名や褒美の差までは、四十三字に書かれていません。 - 重賞罰
賞と罰を重くすることです。再戦の前に、命令へ従った時と背いた時の違いを明確にします。 - 取過在己
過ちを自分の側へ引き取ることです。「使不勝」とあるため、指揮によって勝てなかった場合を受けます。 - 正則
正しい規則です。勝敗への対応を取り違えないことまで含みます。
勝敗が決まった後から読む
兵書には、勝つまでの方法が多く書かれます。地形を選ぶ。陣を整える。命令を通す。敵の動きを見ます。
厳位の四十三字は、結果が出た後から始まります。勝った。あるいは負けた。さらに、もう一度戦うかもしれない。その時、指揮する者は何をするのか。
答えは一つではありません。勝利の後には、功を分けます。再戦を決めたなら、賞罰を重くします。指揮のために敗れたなら、過ちを引き受けます。そして前に立ち、同じ術を繰り返しません。
場面ごとに行動が変わります。勝った時の言葉を、負けた時へ持っていくことはできません。最後の「勝否勿反」は、取り違えを禁じています。
厳位は人を並べるだけの篇ではない
篇名の「厳位」は、位置を厳正にするというほどの言葉です。篇の初めでは、位、政、力、気、心を整えます。その後も、立つ時、座る時、進む時、止まる時の決まりが続きます。
隊列は外から見えます。誰が右にいるか。誰が前にいるか。車と徒歩の兵がどう並ぶか。乱れれば、すぐ分かります。
ところが、勝敗の後に功と過ちをどこへ置くかは、隊列の線だけでは決まりません。指揮する者の判断が要ります。人を正しい位置へ置くだけでなく、結果を正しい所へ戻す。厳位の後半には、その仕事も入っています。
だから四十三字は、篇の外へ飛び出した道徳訓ではありません。戦いの前に位置を整え、戦いの後に功と責めを整えます。前と後で扱う物は違いますが、取り違えを防ぐ点は同じです。
軍の列が崩れれば、動きにくくなります。功と責めの行き先が崩れても、次の命令は通りにくくなるでしょう。ただし後半は、原文が直接述べた因果ではありません。ここでは、同じ篇に置かれた順番として読みます。
勝った功は、一人で抱えない
「勝てば衆と善を分かつ」。短い文です。
戦いを決めた者には、大きな権限があります。命令を出します。人を配置します。進退の時も選びます。勝てば、その判断が称賛されるでしょう。
しかし原文は、功を指揮者だけの物にしません。「衆」と分けます。実際に動いた人々がいるからです。隊列を守る人がいる。合図を伝える人もいる。馬や車を扱う人もいます。
功績をどの割合で分けるかは、四十三字から分かりません。全員に同じ褒美を与えるとも書きません。そこを加えてはいけません。
確かなのは、勝利の善を分配することです。功は一人の手元に残りません。
再び戦うなら、賞罰を軽くしない
勝利の直後に「若将復戦」と続きます。戦いが終わらない場合です。
その時は賞罰を重くします。賞だけではありません。罰もです。
一度戦えば、命令がどこまで届いたかが分かります。誰が持ち場を守ったか。誰が崩れたか。何が働いたか。次の戦いでは、初めての時と同じ扱いにはできません。
ただし、原文には具体的な額も刑もありません。「重い」から先を想像で埋めないようにします。賞罰の違いを大きくする。四十三字から読めるのはそこまでです。
賞があれば功へ報いられます。罰があれば命令違反を抑えられます。片方だけでは、再戦に向けた軍の締まりを保ちにくい。厳位は両方を一組で置きます。
「使不勝」は誰の失敗か
敗戦の文には「使」の字があります。自分がそうさせた。指揮の結果として勝てなかった。そんな条件です。
天候が悪かったのかもしれません。敵が予想より強かったのかもしれません。兵が命令に背いた場合もあります。敗因のすべてを一人へ集めるとは書いてありません。
対象は、指揮によって敗れた場合です。その時、指揮した者は「取過在己」とします。部下へ過ちを配りません。自分の側へ取ります。
ここには、勝利との違いがあります。勝てば功を多くの人へ分けます。負ければ過ちを自分へ引き取ります。上下で同じ分け方をしないのです。
逆にすると、よくある姿になります。勝ちは自分の手柄。負けは部下の責任。原文の末尾は、それを「反」として退けています。
過ちを取った後、何を変えるのか
「私の責任です」と言うだけでは終わりません。再戦の文には、二つの行動があります。
まず、前に立つと誓います。次に、前の術を繰り返しません。
前に立つことは、危険を人へ押しつけないための誓いです。どの陣形でも必ず最前列へ出る、という一般則ではありません。敗戦後の再戦に置かれた言葉です。
負けた人々へ、もう一度危険を求めます。その前で、指揮した者が自分の位置を変えます。言葉だけでなく、立つ場所に責任を表します。
それでも、勇ましく前へ出るだけでは足りません。失敗した方法をそのまま使えば、同じ結果を招くかもしれないからです。原文は「無復先術」と続けます。
前に立つ。やり方を変える。二つがそろって初めて、敗戦後の責任が行動になります。
前の術を繰り返さない
「先術」が何を指すかは、四十三字だけでは決められません。陣形かもしれません。時機かもしれません。進退の命令かもしれません。
そこで、一つの戦法へ狭めずに読みます。前の戦いで用い、敗れたやり方です。
再戦とは、同じことを強く繰り返す場ではありません。敗れた理由を認めたなら、手段にも手を入れます。責任を口にしながら、命令を何も変えないことは許されません。
一方、軍の決まりをすべて捨てるとも書かれていません。訓練も隊列も、毎回ゼロにはできません。変えるのは「先術」です。敗戦へつながった以前の方法を、そのまま再使用しないよう命じます。
細部がないからこそ、限界もはっきりします。何を改めたのかは、特定の戦いを記した別の史料が要ります。
人々は、再戦の言葉をどう聞くか
敗れた軍へ、もう一度戦えと命じる場面を考えます。人々は前の戦いを覚えています。死傷者も出たでしょう。恐れも残ります。
そこで同じ指揮者が、何も変えずに同じ命令を出せば、言葉は届きにくくなります。過ちを部下へ押しつければ、なおさらです。
厳位は、再戦の前に四つを置きます。賞罰を重くする。過ちを取る。前に立つ。同じ術を使わない。
どれも、軍の中で人に見える行動です。褒美と処罰は人々へ届きます。過ちを引き受ける言葉は聞かれます。立つ場所も見えます。戦法が変われば、命令の内容も変わります。
信頼という語は原文にありません。ですから、本文にない心情まで断定はできません。それでも、再戦前の命令を受け取る側がいることは忘れられません。
同じ人が、功と過ちを配る
勝利の後、功を分ける権限を持つのは指揮する側です。敗戦の後、過ちを自分へ取るかどうかを決めるのも同じ側です。
ここに難しさがあります。勝った時には、自分の働きが大きく見えます。負けた時には、人の失敗が目に入ります。権限を持つ者がその感覚のまま裁けば、功は上へ、責めは下へ集まりやすくなります。
原文は、反対の動きを命じます。功を外へ渡します。過ちは内へ取ります。
これは、功績も責任も事実と無関係に決めよ、という話ではありません。「使不勝」と条件が付きます。指揮によって勝てなかった時です。原因を調べず、何でも自分の罪にすることとは違います。
一方、勝利には「衆」がいます。多くの人が動いた結果です。指揮者の判断が優れていても、命令を実行する人なしには勝利になりません。
功と過ちの配り方は、同じ尺度を半分に切る作業ではありません。誰が何をしたかを踏まえ、権限を持つ者が自分に都合のよい向きへ流さない。そのための偏りです。
「善」と「過」が向かい合う
原文では、勝利の後に「善」があります。敗戦の後には「過」があります。よい物と、誤りです。
善は分けます。過は取ります。
動詞まで違います。分ける時は、人々が受け取ります。取る時は、指揮した者が自分へ寄せます。二つの短い動作が、勝敗への対応を分けています。
「善」を褒美だけに限る必要はありません。功績を認めることも含みます。また「過」は、感情として悔やむだけでは足りません。再戦の誓いと戦法の変更へ続きます。
言葉の組み合わせを追うと、四十三字の骨組みがはっきりします。勝利、善、分ける、衆。敗戦、過ち、取る、己。再戦、前に立つ、先の術を繰り返さない。最後に正則です。
四十三字から言えないこと
第一に、古代の将が常に功を分け、過ちを自分で取ったとは言えません。これは守るべき規則です。実行の記録ではありません。
第二に、敗戦の責任を調べる手続きは分かりません。証拠の集め方も、裁く人も書かれていません。
第三に、兵の違反がすべて免責されるわけではありません。原文には賞罰が残っています。「使不勝」は、指揮によって敗れた場合です。
第四に、再戦そのものが正しいとは限りません。戦うべきか退くべきか。その判断は、引用部の外にあります。
第五に、現代の組織論へそのまま移せません。ここで問題になるのは、敗戦の後に再び戦う軍です。命の危険を伴う文脈を外すと、文章の重さが変わります。
「反すこと勿れ」で結ぶ
最後の句は「勝否勿反」です。勝った場合と、勝てなかった場合。その扱いを反対にしてはなりません。
勝利の功を一人で取り、敗戦の過ちを衆へ押しつける。これが反対の姿です。指揮する者にとっては楽でしょう。名誉は上へ集まります。責めは下へ流れます。
『司馬法』は流れを逆にします。功は衆へ分けます。過ちは己へ取ります。
さらに再戦へ進むなら、賞罰を重くします。前に立つと誓います。前の術も捨てます。敗戦の責任は、謝罪だけでは済みません。
勝敗が決まった後にも、軍を整える仕事は残ります。四十三字は、その仕事を功、過ち、位置、方法の四つに分けています。
厳位が置く、功と責めの行き先
勝つまでが戦いではありません。勝った後に誰が功を受けるか。負けた後に誰が過ちを負うか。もう一度戦う時、誰が前に立つか。
結果の後で、指揮の姿が分かります。
厳位は、成功も失敗も同じ分け方にしません。よい結果は広く分けます。指揮の誤りは上に引き取ります。そこには、権限の大きさに応じた偏りがあります。
正則とは、平等に半分ずつ分けることではありません。功と責めを置くべき所へ置くことです。
四十三字を読むと、将の務めは命令を出す場面だけにないと分かります。人を戦わせた後、その結果をどう扱うか。『司馬法』はそこまでを軍の規則に入れています。
出典
『司馬法』厳位。勝利、敗戦、再戦への対応を連ねる段。原文は中國哲學書電子化計劃所収の『司馬法』厳位でも確認した。同サイトは活字テキストであり、版本の影印ではない。和刻本には、汪桓訂正『標題武経七書全文』巻一〜七(大坂・文金堂、江戸末期)がある。『司馬法』は巻三。早稲田大学図書館蔵、請求記号文庫31 E1920。