孫子を読む · 02

『孫子』の「百戦百勝」——最善ではない理由

百回戦って百回勝つ。これ以上ない名将の姿に思えます。ところが謀攻篇では、その勝ち方を最高とは呼びません。

今回の一節の新規現代語訳

だから、百回戦って百回勝っても、最善の中の最善ではありません。
戦わずに相手の軍を屈服させることこそ、最善の中の最善です。

『孫子』第三篇「謀攻篇」の冒頭に近い二句です。国や軍を破壊せず、完全なまま保つ方を上とする段の結びです。このあと、謀、交、兵、城の順に攻める対象が並びます。

原文

是故百戰百勝,非善之善者也。
不戰而屈人之兵,善之善者也。

『孫子』第三篇「謀攻篇」冒頭の二句、句読点を除いて二十四字です。汪桓訂正『標題武経七書全文』巻一『孫子』に当たる箇所です。句読点を整えました。

語句の注

  • 百戦百勝
    戦うたびに勝つことです。歴史上の戦闘を百件数えた記録ではなく、負けのない戦績を強く言った表現です。
  • 善の善なる者
    優れたものの中でも最上とされるものです。前句では百戦百勝を退け、後句では別の勝ち方にこの評価を与えます。
  • 不戦
    軍同士が交戦しないことです。備えも圧力もない平穏な状態を指すとは限りません。

  • 相手を折れさせ、従わせることです。友好的な同意より強い語です。
  • 人の兵
    相手側の軍勢です。個人を説得する場面ではありません。

百戦百勝は褒め言葉なのか

「百戦百勝」と聞けば、ふつうは最大級の褒め言葉です。負けがない。しかも一度や二度ではありません。これなら申し分ないと思えます。

謀攻篇では違います。百回すべてに勝っても、最善ではない。言い方は明快です。勝利そのものを否定してはいません。順位を下げています。

ここを読み違えると、勝つことに価値がないという話になります。そうではありません。戦って勝つ。戦わずに屈する。二つとも相手に勝った結果です。その上で後者を高く置きます。

なぜでしょうか。二句だけを眺めても、答えは足りません。少し前へ戻ります。

国から五人組まで、同じ順で比べる

謀攻篇の冒頭では、国を完全なまま取る方が上で、破るのは次だと説きます。次は軍です。さらに旅、卒、伍へ下ります。大きな国から、五人のまとまりまで。規模が変わっても比べ方は変わりません。

壊さずに取る方が上。壊して取るのは、その次です。

その列のあとに「是故」とあります。「この理由によって」というつなぎです。だから百戦百勝は最善ではない。二句は、完全なまま保つという話を受けています。

戦えば、勝者にも損害が出ます。相手の軍も傷つきます。争っている土地や町まで荒れる場合があります。勝利の回数だけでは、何が残ったかを数えられません。

謀攻篇は、勝敗表の外へ目を移します。何を得たか。どれほど壊したか。味方はどれほど疲れたか。勝った後の状態まで含めて順位を付けます。

「最善ではない」は失敗という意味ではない

百戦百勝は、敗北ではありません。ここは動きません。戦場で相手を退けたなら、軍事上の目的を果たした場合もあるでしょう。

ただし、最上ではない。比較の話です。

謀攻篇は、勝ち方を一段だけにしません。戦って勝つ道もあります。戦わずに屈する道もあります。後者なら、交戦による損害を避けられます。だから高く評価されます。

しかも「百」を置きます。少しくらい負けたから評価が下がるのではありません。一度も負けなくても届かない。かなり厳しい言い方です。

読者は、勝利の数に頼れなくなります。勝率が百パーセントでも、問いは残ります。その戦いは必要だったのか。戦う前に相手を屈する道はなかったのか。そこまで考えなくてはなりません。

戦わなければ平和なのか

「不戦」という二字から、穏やかな説得を思い浮かべることがあります。しかし後ろには「屈」があります。相手の軍を従わせる話です。

争いが消えたわけではありません。相手は自分から旅に加わるのでもない。軍事と政治の力関係は残っています。

謀攻篇の次の文では、最上の攻めとして「謀を伐つ」を挙げます。その次が「交を伐つ」です。相手の計画を崩す。相手の結びつきを断つ。その後に軍を攻め、城攻めは最後へ置かれます。

どれも対立の中にあります。刀を交えなくても、何もしないわけではありません。準備も要る。圧力もある。相手が屈するだけの条件がそろっています。

ですから、不戦を無条件の平和主義と呼ぶのは難しい。謀攻篇で問題になるのは、どうすれば損耗を抑えて相手を従わせられるかです。戦争を扱う書物の中で読みます。

城攻めを最後に置くわけ

謀、交、兵、城。その順で並べたあと、本文は城攻めの準備へ進みます。攻城具を整えるだけで三か月。土の工事にも三か月。長い時間がかかると書かれます。

将が怒りを抑えられず、兵を蟻のように城壁へ取りつかせる場面も続きます。兵の三分の一が殺されても、城は落ちない。これを攻めの災いと呼びます。

二句の評価が具体的になります。戦いには時間がかかります。人が死にます。それでも目的を果たせない場合があります。

勝てたとしても、費やしたものは戻りません。城を壊せば、取った後に使えるものも減ります。兵を失えば、次に動ける力も減ります。百戦百勝の陰に、百回分の損耗があり得ます。

だから城攻めは下です。勇敢さが足りないからではありません。代価が大きい。しかも成功するとは限りません。

「百」は実数ではない

ここでいう百戦は、特定の将が百回戦った記録ではありません。百という数で、完全な戦績を言い切っています。

一戦だけなら、偶然かもしれません。十戦ならどうか。百戦すべてに勝つなら、誰もが名将と呼びたくなるでしょう。そこまで条件を強くしてから、なお最上ではないと退けます。

数に引かれすぎないことも大切です。勝率を計算する記事ではありません。百戦のうち何戦なら善なのか。そんな境目も書かれていません。

数字の役目は、勝利の誇りを最大まで膨らませることです。その最大の誇りより、不戦の屈服が上に来ます。

相手を完全なまま取るという怖さ

「全きを上とする」と聞くと、人命を大切にする教えだけに思えます。たしかに、破壊や死を減らす方向はあります。しかし、相手を「取る」という目的は消えていません。

国を保つ。軍を保つ。保った上で自分の側に従わせる。その力も考えなくてはなりません。

被害が少ないから、いつも正しい。そこまでは書かれていません。降伏に至るまで、どんな威圧があったのか。何を奪うと告げたのか。二句からは分かりません。

本文に即して言えるのは、破壊の少ない勝ち方が上だということです。その評価と、現代の倫理判断は同じではありません。歴史上の軍事思想として距離を保ちます。

勝った後に使えるものが残るか

冒頭の「全」は、相手を完全な状態で取ることです。国なら、人も田畑も役所もあります。軍なら、兵だけでなく、指揮のまとまりや備えもあります。戦って壊せば、その多くが失われます。

相手を思いやる話だけではありません。勝者の側にも都合があります。壊れていない町なら、直す手間が少なくなります。散っていない軍なら、武装を解かせた後も人のまとまりが残ります。何をさせるかは別として、使えるものが多いのです。

自軍の消耗も忘れられません。戦うたびに矢や食糧を使います。負傷者も出ます。遠くへ動けば、運ぶ仕事も増えます。勝っても、同じ力で次へ進めるとは限りません。

謀攻篇では、この後に「兵頓れずして利全うすべし」と続きます。兵を疲れさせず、得るものを完全に保つ。その考えと、百戦百勝を最上から外す二句はつながっています。

一つの戦場だけを見れば、勝利は勝利です。もっと長い戦いを考えると、傷の深さが問題になります。次の月も動けるか。次の城へ兵を送れるか。支配を始められるか。戦後の余力まで含めて、勝ち方を比べています。

戦闘が始まる前にも勝負はある

戦わずに屈するなら、何もしないまま待つわけではありません。相手の謀を崩す。味方になりそうな相手との交わりを断つ。軍を出しても勝てないと思わせる。本文の順からは、そうした動きが考えられます。

ただし、二句には具体策がありません。誰に何を言うのか。どこへ兵を置くのか。どの同盟を切るのか。それは書かれていません。

ここで評価されるのは、戦闘前の状態を整える力です。相手が戦う決心を失う。城へこもる前に降る。軍を出す前に計画が崩れる。そうなれば、兵同士はぶつかりません。

戦場での勇気は目立ちます。記録にも残ります。戦闘を起こさずに終えた場合は、何が効いたのか分かりにくい。誰の手柄かも測りにくいでしょう。

それでも謀攻篇では、目立たない結果を上に置きます。勝利の場面より、その場面を不要にした準備を重く見るからです。

戦闘の回数を誇る前に、戦闘へ至った理由を確かめる。百戦百勝への批判は、そこまで届きます。

二句だけでは決められないこと

第一に、『孫子』が戦闘をすべて否定したとは言えません。他の篇では、陣形、地形、行軍、火攻めなどを詳しく扱います。不戦は、この比較の最上位です。

第二に、屈服した相手が必ず安全だったとも言えません。二句には、屈服までの過程も、その後の扱いも書かれていません。

第三に、孫武が実際の戦場でこの通りに勝った証拠ではありません。『孫子』は伝統的に孫武へ帰されます。ただし現行十三篇の成立と伝来を、一人の発言記録だけで説明することはできません。

第四に、「百戦百勝なら二流」という単純な人物評にもできません。本文が比べているのは、戦歴を持つ二人の将ではなく、戦って勝つ結果と、戦わずに屈する結果です。

二句は短い。言える範囲も短い。その外へ出るときは、別の史料が要ります。

謀攻篇は勝利の後を見ています

戦いが終われば、勝者と敗者が決まります。そこで話を止めれば、百戦百勝は最高です。

謀攻篇は止まりません。国は残ったか。軍は残ったか。自軍は疲れていないか。次の統治に使えるものはあるか。勝利の後へ進みます。

百回の勝利には、百回の戦闘があります。百回の損害もあり得ます。不戦の屈服なら、その代価を避けられる場合があります。

だから順位が逆転します。目立つ勝利より、戦闘に至らなかった結果が上です。

「勝ったか」だけでは足りません。「何を残して勝ったか」まで問う。謀攻篇の二句は、そこへ読者を連れていきます。

戦わずに終えた出来事は、合戦ほど華やかに記録されません。それでも謀攻篇では、その見えにくい結果を最上と呼びます。

出典

『孫子』第三篇「謀攻篇」冒頭。国・軍・旅・卒・伍を全うする方が上だと並べた直後に引用二句があり、次に謀・交・兵・城の順を置く。本文は活字本により確認した。和刻本には、汪桓訂正『標題武経七書全文』巻一〜七(大坂・文金堂、江戸末期)がある。『孫子』は巻一。早稲田大学図書館蔵、請求記号文庫31 E1920。