『孫子』を読む · 04
兵は国の大事——『孫子』始計篇の冒頭を読む
『孫子』は、勝ち方から語り始めません。最初に置くのは、死生と存亡です。その重さを確かめた後で、五事と七計による検討へ進みます。
今日の一節を現代語で読む
孫子は言いました。軍事は国の重大事です。人の生死に関わる場であり、国の存続と滅亡へ通じる道でもあります。よく調べないわけにはいきません。
そこで、五つの事柄に照らして測り、七つの比較で確かめ、実情を探ります。
第一は道、第二は天、第三は地、第四は将、第五は法です。
原文
孫子曰。兵者、國之大事、死生之地、存亡之道、不可不察也。
故經之以五事、校之以七計、而索其情。
一曰道、二曰天、三曰地、四曰將、五曰法。
語句の注
- 兵
武器や兵士を指す場合もあります。ここでは国・死生・存亡が続くため、軍事や戦争を含む広い意味で読みます。 - 大事
きわめて重大な事柄です。戦争を立派だと褒める言葉ではありません。 - 死生之地
人が生きるか死ぬかに関わる場です。後に五事として出る「地」と同じ項目名ではありません。 - 存亡之道
国の存続または滅亡へ至る道筋です。ここでの「道」と、五事の第一にある「道」は、置かれた役割が異なります。 - 察
細かく調べ、違いを見分けます。「不可不」と重ね、調べない選択を退けます。 - 経・校・索
基準に照らして測る、比較する、実情を探るという三つの動きです。
冒頭は勝ち方から始まりません
『孫子』には、よく知られた句が数多くあります。戦わずして人の兵を屈する。彼を知り己を知る。正と奇を使う。短い言葉だけを抜き出すと、巧みな勝ち方を集めた本に見えるでしょう。
始計篇の冒頭は違います。
まず、失敗した時の重さを置きます。人が生きるか死ぬか。国が残るか滅びるか。その二組を出してから、「察せざるべからず」と続けます。
勝利の約束はありません。
勇ましい場面もありません。戦いを始める前に、判断の責任を引き受けさせます。兵法の方法は、その責任より後に置かれています。
この配置を外すと、五事や七計は便利な技法だけになります。冒頭に戻せば、なぜ調べるのかが分かります。命と国の行方に関わるからです。
「大事」は戦争への賛辞ではありません
現代の日本語で「大事」と言えば、大切なものを思い浮かべます。「大事にする」なら、守り、価値を認める言い方です。
原文の「国之大事」は、戦争を愛好する言葉ではありません。国にとって非常に重大な事柄だと告げます。
直後には死と滅亡があります。
明るい飾りではありません。判断を誤った時の損失を数えています。だから「大」を偉大や壮麗と読むと、後ろの語と合いません。
重大だと認めることは、すぐ実行することとも違います。重い問題ほど、決定までに検討が要ります。冒頭から、軍事を軽く扱う態度は退けられます。
同時に、ただ恐れるだけでも終わりません。
恐怖だけなら、五事を挙げる必要はないでしょう。危険を認め、それでも判断が必要な場面に備え、調べる項目を用意します。
死生と存亡を二組で読みます
「死生之地」と「存亡之道」は、似た意味の反復にも見えます。どちらも悪い結果を含みます。しかし、向いている範囲は同じではありません。
死生は、人の命に近い言葉です。
戦場へ出る兵だけとは限りません。軍事行動は、運送に携わる者、食糧を負担する者、移動を強いられる住民にも及びます。ただし、この三行は具体的な人々を列挙していません。そこまでを原文の明記と取り違えてはいけません。
存亡は、国の行方へ視野を広げます。
一度の戦闘で勝っても、国全体が安全とは限りません。兵糧を使い果たすかもしれません。別の敵へ備える力が減る場合もあります。味方との関係が崩れることもあるでしょう。
これらは考えられる例です。
個々の事例が引用部分で報告されているわけではありません。分かるのは、局地の勝敗だけで軍事を測らないことです。命と国の二つの広がりを、最初から視野に入れます。
「察せず」ではなく「察せざるべからず」です
原文には「不可不察」とあります。「察しなければならない」と訳せますが、形には二重の否定があります。
調べなくてよい、とはできない。
その強さが大切です。軍事を考える者が、興味に応じて追加調査をするという程度ではありません。調査を省くこと自体を認めません。
「察」は、眺めるだけの動詞でもありません。細部を調べ、区別します。希望と事実を分けます。噂と報告を分けます。過去の名声と今の力量も分ける必要があるでしょう。
ただし、三行は調査法の全てを書きません。
誰が報告するか。誤報をどう見抜くか。変わり続ける状況をいつ再確認するか。そうした手続は別に考える必要があります。
始計篇から得られるのは、調査を欠かせない仕事とする出発点です。
五事へ進む理由があります
重い問題だと繰り返すだけでは、判断は進みません。そこで二行目には、経・校・索という動きが並びます。
まず五事に照らします。
次に七計で比べます。
そして実情を探ります。
五事とは、道・天・地・将・法です。続く本文では、道は民と上に関わります。天には陰陽・寒暑・時制があります。地には遠近・険易・広狭・死生があります。
将には智・信・仁・勇・厳が求められます。法には曲制・官道・主用が含まれます。
性質の異なる項目が並びます。
人心だけでも決まりません。天候や時期だけでも足りません。地形、指揮官、編成や運用も調べます。一つの目立つ強みで全体を代表させないための並びです。
同じ「道」と「地」を混ぜません
一行目には「死生之地」と「存亡之道」があります。三行目にも「道」と「地」が出ます。同じ字なので、同じ定義だと考えたくなります。
置かれた場所を確かめます。
一行目の地は、生死に関わる場を作ります。道は、存続か滅亡へ通じる道筋です。ここでは危険の大きさを述べています。
三行目の道と地は、五事の項目名です。続く定義があります。道は民と上の関係に置かれ、地は距離や難易などの条件に分けられます。
字が同じでも、文中の働きが異なります。
同じ訳語を当てるだけでは、その差が消えます。原文を短く切る時ほど、前後の役割を確かめる必要があります。
七計は予言ではなく比較です
二行目の「七計」は、続く七つの問いを指します。どちらの君主に道があるか。どちらの将に能力があるか。天地の利はどちらにあるか。法令はどちらで行われているか。
さらに、兵の強さ、士卒の訓練、賞罰の明らかさを比べます。
片方だけを眺めません。
敵味方を向かい合わせます。自軍に良い点があっても、相手がさらに優れていれば、比較の結論は変わります。
「計」を、未来を告げる占いにしてはいけません。ここでは条件を並べて考えます。数値を入れる現代の採点表とも限りません。各項目へ点数を割り振る方法は書かれていないからです。
比較には誤りも生じます。
情報が古いかもしれません。報告者が都合のよい話だけを届ける場合もあります。項目を挙げただけで正答が保証されるわけではありません。だからこそ「情」を探る仕事が続きます。
後の「詭道」と切り離しません
始計篇には、「兵は詭道なり」という有名な句もあります。できてもできないように見せ、用いても用いないように見せると続きます。
その句だけを読むと、兵法の中心は欺きだと思うかもしれません。
しかし、篇の先頭には死生と存亡があります。
詭道は、その後に置かれた軍事上の説明です。人をだます知恵を無条件に称賛する標語ではありません。国の重大事を調べ、敵味方の条件を比べる文脈にあります。
冒頭を残して読むと、技巧の向きが変わります。
技巧を披露するために戦うのではありません。すでに戦いの場へ入るなら、敵へ意図を読ませない方法を扱います。その前には、戦いへ入る判断が妥当かを調べる仕事があります。
三行だけでは決められないこと
特定の戦争が正しかったとは言えません。国名も年代もありません。実際の戦争を評価するには、その時の史料が別に要ります。
戦争は常に避けるべきだとも書かれていません。もし一律に避けるなら、五事と七計の比較は不要になります。
反対に、条件が有利なら戦ってよい、とも決まりません。引用部分で扱われるのは、状況判断です。正当性を決める法や倫理の全てを述べてはいません。
五事の優先順位も不明です。
道が天より何倍重い、といった配点はありません。項目の一つが悪ければ必ず敗れるという単純な判定もできません。
軍事が国の唯一の大事だとも言えません。「国之大事」は重大な事柄だと述べます。他の仕事を無価値にはしていません。
短い言葉へ結論を詰め込みすぎないことが大切です。
重さを認めてから比べます
三行の並びをたどると、考える順序が見えます。
最初に、結果の重さを認めます。
次に、調べる責任を置きます。
その後で、五事と七計へ進みます。
方法が先ではありません。方法を使う理由が先です。命と国の行方に関わるため、印象や勢いだけで決められません。
五事を暗記しても、調べたことにはならないでしょう。各項目へ確かな情報を入れ、敵味方を比べ、変化した事情を探る必要があります。
比較を始める前には、言葉の範囲もそろえます。自軍では広く数え、敵軍では狭く数えれば、項目が同じでも結果は偏ります。天や地の利を語る時も、どの時点、どの場所、どの部隊を対象にするかが要ります。
一度の判定で終わるとも限りません。
時は動きます。天候も変わります。兵の疲れや物資の残りも変化します。将の命令が届く範囲も一定ではありません。始める前の比較が正しくても、その後まで同じとは限らないのです。
ただし、再検討の間隔は原文にありません。常に測り続けよ、と明記した文でもありません。変化する項目を扱う以上、古い判断をそのまま残せないと考えられます。
『孫子』は、調査をすれば危険が消えるとは言いません。
それでも、危険が大きいから、丁寧な調査を省けないと説きます。冒頭の厳しさは、必勝の宣伝ではありません。重大な決定を始める前に、判断の根拠を問い直す厳しさです。
出典
『孫子』始計篇。原文は汪桓訂正『標題武経七書全文』巻一〜七(大坂・文金堂、弘化三年)により確認した。『孫子』は第一冊から始まり、引用箇所は画像一にある。早稲田大学図書館蔵、請求記号イ13 00931。書誌と画像は、早稲田大学図書館古典籍総合データベースによる。