五輪書を読む · 02

『五輪書』「三つの先」とは——懸の先・待の先・体々の先

先を取るとは、相手より早く動くことなのでしょうか。火の巻の書き出しは、そこを問いません。こちらからかかるか。相手からかかってくるか。互いにかかり合うか。まず三つに分けます。

今回の一節の新規現代語訳

先には三つある。自分の側から敵へ攻めかかる時に取る先を「懸の先」という。
敵の側から自分へ攻めかかる時に取る先を「待の先」という。
自分もかかり、敵もかかって、互いに攻め合う時に取る先を「体々の先」という。これが三つの先である。

『五輪書』火の巻 第三「三ツの先と云事」の冒頭。火の巻は戦いの場面を扱う巻で、この節では先手の取り方を三つに分けて数え上げます。

原文

三ツの先。一ツは我方より敵へかかる先、懸の先と云ふ也。
又一ツは敵より我方へかかる時の先、是は待の先と云也。
又一ツは我もかかり敵もかかりあふ時の先、体々の先と云。是三ツの先也。

『五輪書』火の巻 第三「三ツの先と云事」冒頭の三文。教材社『五輪の書 原本』(一九三九年)により、表記を整えました。

語句の注

  • ——時間の順序だけを言う語ではありません。相手とのやり取りの中で主導権を握る場面を指します。
  • 懸の先——こちらから敵へかかる場合の先。「懸」は攻めかかる働きです。
  • 待の先——敵がこちらへかかってくる場合の先。待つことと、何もしないことは違います。
  • 体々の先——双方が互いにかかり合う場合の先。表記と読みは、伝本や翻刻によって違います。

「三つの先」は三つの必勝技ではない

「懸の先・待の先・体々の先」と並ぶと、三種類の技を覚えればよさそうに見えます。ところが書き出しが分けているのは、技の形ではありません。こちらが攻めかかる。敵が攻めかかる。双方がかかり合う。この三つは、戦いが始まる瞬間の、二人の関係です。

ですから、この分類だけを読んでも、足の運びも太刀の打ち所も分かりません。武蔵はここで、手順を教える前に地図を描いています。同じ「先」を論じながら、攻めの起点が三通りあると分けておく。この整理がなければ、「早く動けば先を取れる」という一つの型に、あらゆる場面を押し込めてしまいます。

懸の先——こちらからかかる

懸の先は、こちらから敵へかかるときの先です。一文から確かに言えるのは、攻めの起点がこちら側にある、ということだけ。先に動いたから主導権を握った、とは書いてありません。この節が問題にしているのは「先」であって、走り出した順番ではないからです。

攻め始めることと、相手を動かす条件を作ること。この二つは分けて考えます。書き出しの分類は、後者の中身まで説明していません。それでも「自分から行く場面」を一つ立てています。懸の先を「勢いに任せた先制攻撃」と言い換えてしまうと、なぜこの分類を立てたのかが分からなくなります。

待の先——受け身ではない「待」

待の先では、敵のほうからこちらへかかってきます。それでも「先」の一つに数えてある。ここが面白いところです。敵が先に動いたら、こちらは後手に回るしかない。その考え方を、名前そのものが退けています。

「待」は、止まっていることでも、消極的でいることでもありません。敵が動き出した状況を受けながら、そこで先を取る余地がある。そういう分類です。引用した範囲だけでは、具体的なやり方は決められません。それでも、攻めかかられた側にも主導権を作る道がある。そこは読み取れます。待の先を「防御」と訳し切らないほうがよいのは、そのためです。

体々の先——双方が動く境目

三つ目は、こちらもかかり、敵もかかってくるときです。どちらかの動きが先に立つ前提ではありません。二人の働きが重なる場面を、別に立ててあります。時計で測った「同時」だと決めつけるより、互いに出ていく関係と取るほうが、引用文の範囲に合います。

三つ目があるおかげで、先は「攻めた側」か「待った側」かの二択で終わりません。動きが交差する場面にも、そこだけの判断が要る。三つの名前に順位は付いていません。どれが常によいとも書いていません。場面を見分けるために、横に並べてあります。

「先」を速さだけで読めない理由

日本語の「先」は、時間の前後を思わせます。けれども待の先が入っている以上、着順だけでは三つを説明できません。敵が動いたあとにも「先」があるからです。誰が最初に体を動かしたか。誰がその場を動かしたか。この二つを一緒にしないことです。

武蔵は、その違いを理屈で定義していません。代わりに三つの関係を並べました。だから「先」が着順に収まらなくなります。懸だけを先と考えれば、待が余ります。懸と待だけなら、体々が余ります。三つとも手元に置いておく。それが「先」を読み違えないための手がかりです。

火の巻の中で読む

「三ツの先と云事」は、火の巻の第三に置かれています。火の巻が扱うのは、一対一の技だけではありません。場所の条件も、戦いの移り変わりも論じます。そのなかで三つの先は、状況が動き出す瞬間の関係を整理する項目です。短い標語を日常の決断術に読み替える前に、まず戦いの始まりを分類した文章として読みます。

三つの名前を、ほかの兵法書や後世の流派へそのまま当てはめることもできません。似た語があっても、定義や伝承での扱いまで同じとは限らないからです。この記事で確かめられるのは、『五輪書』のこの節が、攻めの起点を基準に三つの先を立てた。その一点です。

並べた順にも注意が要ります。書き出しは懸から始まりますが、だからといって懸が待や体々より上とは言えません。最初に挙げられたことと、最も優れていることは、別です。本文は「是三ツの先也」とまとめて、三つを同じ場所に収めます。読む側に求められているのは、好きな一つへ全部を寄せることではありません。いま相手とどの関係で動き出しているのか。それを見誤らないことです。

懸・待・体々——ここから先は分からない

この書き出しは、三つのうちどれがいちばん強いかを決めていません。この技を使えば必ず勝てる、とも言いません。武蔵が実際に戦った場面の記録でもありません。戦いの始まりを分けて説明した、規範の文章です。

「待の先」があるからといって、受ける側が常に有利だとは言えません。「体々の先」を完全な同時攻撃だと決めることも、引用だけではできません。原典が支えているのは二つです。先を三つの関係に分けたこと。そして先を「こちらが先に動く場合」に限らなかったこと。

出典

宮本武蔵『五輪書』火の巻 第三「三ツの先と云事」冒頭。底本は教材社『五輪の書 原本』(一九三九年)。国立国会図書館サーチの書誌は、著者を宮本武蔵、永続的識別子を info:ndljp/pid/1071527 とし、目次に火の巻「三つの先といふ事」を掲げている。