五輪書を読む · 04
『五輪書』空の巻——「空」は無知や無ではない
「空」を何もない境地と読む前に、文の順序を見てほしい。形がないこと。知らないこと。存在しないこと。武蔵はこの三つをいったん並べ、そこから一つずつ切り離していく。
今回の一節の新規現代語訳
二天一流の兵法の道を、空の巻として書き表す。
空という心は、物事に形がないところや、知られていないことを、空と見立てることである。
もちろん、空とは無いものである。
有るところを知って、無いところを知る。これがすなわち空である。
原文
二刀一流の兵法の道、空の巻として書き顕はす事。
空といふ心は、物事に形なき所、しれざる事を空と見たつる事也。
勿論空はなき也。
有る所を知りて、無き所を知る、是即ち空也。
語句の注
- 空
武蔵はこの語を題名に置くだけでなく、四文のなかで少しずつ意味を絞っていきます。語だけを先に哲学用語へ置き換えないこと。 - 形なき所
物事に、目に見える形がないところ。そのまま「存在しない」と同じ意味になるわけではありません。 - しれざる事
知られていないこと、または自分がまだ知らないこと。無いこととは分けて読みます。 - 見たつる
あるものを、そういうものと見なす、見立てる。語の使い方を説明する言葉です。 - 有る所・無き所
向き合う一対の表現。有るものを知ることが、無いものを見分ける前提に置かれています。
題名の「空」から本文の「空」へ
空の巻は『五輪書』の最後に置かれています。題名だけ見れば、地・水・火・風で扱った具体的な兵法を離れて、何もない境地へ移るように思えます。ところが第一文は、これから書くものを「二刀一流の兵法の道」だと断っています。
「空」は、兵法の外へ逃げるための言葉ではありません。自分の流儀の道を、最後の一巻として書き表す。そのための題名です。この枠を先に押さえておくと、続く三文も違って読めます。技法を捨てて神秘へ飛ぶ宣言ではありません。兵法のなかで判断を誤らないための、語義の説明です。
読み手が知っている「空」の意味を持ち込む前に、武蔵がこの四文で何を分けているかを見ます。題名は入口にすぎません。意味は一字ではなく、続く動詞と対句が作ります。
「形なき」と「しれざる」は同じではない
第二文は「物事に形なき所」と「しれざる事」を並べて、どちらも空と見立てる、と言います。二つは隣に置かれていますが、同じではありません。形がない、というのは、相手の現れ方の話です。知らない、というのは、こちらの頭の中の話です。
目に見える形がないからといって、それが無いとは限りません。自分が知らないからといって、相手が無いとも限りません。武蔵は、この取り違えが起きる場所から話を始めます。「空」という一語が、形のなさにも、知識の欠けにも、まとめて使われてしまうからです。
現代語訳を「知られていないこと」としたのは、原文の曖昧さをそのまま残すためです。ただし解説では、相手が無いことと、こちらが知らないことを分けなければなりません。四文は、二つを並べたままでは終わりません。次の文で「無き」に絞ります。
「勿論空はなき也」が意味を絞り込む
第三文は短く、「勿論空はなき也」と言います。「空とは何も存在しないという究極の真理だ」と大きく構えるより、「空とは、無いことである」と語義を確かめた文として読む。そのほうが前後につながります。
第二文では、形がないものも、知らないことも、空と見立てるとありました。第三文が、その広がりに歯止めをかけます。空の中心は「無き」のほうにある。「知らない」をそのまま空と呼ぶわけにはいきません。
「勿論」という語も効いています。新しい奥義を明かす調子ではありません。当たり前の区別を確かめる響きです。難しい概念をさらに煙に巻くのではなく、有るか無いかという日常の対比に引き戻しています。
「有る所」を先に知る
第四文の順番は「有る所を知りて、無き所を知る」です。無いものをいきなり直観でつかむのではありません。まず有るものを知る。そのうえで、無いところを知る。この順は崩しません。
何が有るかを確かめるには、名前を覚えるだけでは足りません。形も、働きも、位置も、他との関係も見分けます。それをやらないと、見落としただけの物を「無い」と思い込みます。空は、注意を止めたあとに残る白紙ではありません。何が有るかを分かっているから、何が無いかも見分けられる。そういう考え方です。
だから「是即ち空也」は、何でも空と呼んでよいという許しではありません。有と無を分ける作業を通ったあとで、はじめて空と呼べるものが決まります。短い一文ですが、何を知るかと、どの順で知るかの両方が入っています。
無知を空へすり替えない
四文のすぐあとで、武蔵は世間の人の誤りに触れます。自分の分からないことを空だと思ってしまう。迷いがあって、進むべき道が見えない。それは本当の空ではない、と話を進めます。第二文の「しれざる事」は、無知を肯定するために置かれたのではありません。
知らないことは、学べば変わります。観察すれば変わります。一方、そこに何かが無いという判断は、相手についての判断です。二つを混ぜると、こうなります。自分が見つけられなかっただけなのに「存在しない」と決めつける。理解できていない状態を、深い境地のように飾る。
武蔵は、分からなさをそのまま値打ちに変えません。「有る所を知る」という宿題を先に置くことで、自分の理解不足を点検する余地を残しました。空の巻が短いのは、説明をあきらめたからではありません。区別を鋭くするために短いのです。
五巻目に置かれた短い結び
『五輪書』は地・水・火・風・空の五巻です。地の巻で道の輪郭を描き、水の巻で身構えや太刀筋を説き、火の巻で戦いの場面を扱い、風の巻で他流を論じる。そのあとに、短い空の巻が来ます。
この並びを見れば、空が前の四巻を要らなくする章でないと分かります。具体的な形と働きを知る道のりを通ったあとで、その知識に縛られず、有るものと無いものを見分ける。それが結びです。第四文が「有る所」を先に置くのも、巻の位置とよく響き合います。
最後に空が来るからといって、初めから形を学ばなくてよい、とはなりません。むしろ逆です。何が有るかを知らなければ、何が無いかも分からない。この条件が、前の四巻の具体性を支え直します。
形なき所、しれざる事、無き所——ここから先は分からない
第一に、四文だけで仏教思想の「空」を説明することはできません。同じ字を使っていても、ここで確実に読めるのは、二刀一流の兵法を述べた空の巻の書き出しです。もっと広い思想史との関係を論じるなら、別の典拠が要ります。
第二に、上達すれば形も稽古も要らなくなる、という証明でもありません。「有る所を知る」という条件と、空の巻が五巻目にある順番。この二つが、具体を飛ばす読み方を止めています。
第三に、空を現代の心理状態や成功法則へそのまま移すこともできません。原文が扱っているのは武蔵の兵法です。日常語に広げれば分かりやすくはなりますが、歴史的な対象と、文が引いた線が消えることがあります。
第四に、「空はなき也」だけを切り取って、武蔵が単純な虚無を説いたと決めることもできません。次の文に、有と無を知る順番が書いてあります。二文は離さずに読みます。
「わからない」の先で空を読む
書き出しの四文は、空を説明しながら、空と取り違えやすいものを並べます。形がないこと。知られていないこと。存在しないこと。外から見れば似ていますが、同じではありません。
武蔵が最後に置いた基準は、「有る所を知りて、無き所を知る」。知らない状態を立派な名前で包むのではありません。まず有るものを確かめる。それをもとに、無いところを見分ける。空の巻は、曖昧さをほめる巻ではありません。曖昧なままにしないための区別から始まります。
出典
宮本武蔵『五輪書』空の巻、冒頭四文。一九三九年教材社版七十四頁。本文は国立国会図書館デジタルコレクション・画像41で確認した。国立国会図書館の書誌は、宮本武蔵著、教材社、一九三九年刊、空之巻を七十四頁、永続的識別子をDOI 10.11501/1071527として記録する。Wikimedia Commonsの公開スキャンでも同じ版を参照できる。