五輪書を読む · 07
『五輪書』の平常心——勝負の時も心を変えない
水之巻で心の持ち方を説く段は、「常の心に替る事なかれ」から始まります。勝負のために特別な心を作るのではありません。張りつめず、弛まず、偏らず、それでも動きを止めない。二文の中に重ねられた条件を読みます。
今回の一節の新規現代語訳
兵法の道では、心の持ち方を普段の心から変えてはなりません。
普段も兵法の時も少しも変えず、心を広くまっすぐに保ち、強く張りつめず、少しも弛ませず、どちらかへ偏らないようにします。心を真ん中に置き、静かに動かして、その動きが一瞬も止まらないよう、よくよく考え抜きなさい。
原文
兵法の道に於て心の持様は常の心に替る事なかれ。
常にも兵法の時にも少も替らずして心を広く直にしてきつくひつぱらず少もたるまず心のかたよらぬ様に心をまん中におきて心を静にゆるがせて其ゆるぎのせつなもゆるぎやまぬ様に能々吟味すべし。
語句の注
- 常の心
普段の心です。ぼんやりした心ではありません。兵法の時にも変えない基準として置かれます。 - 広く直に
広さと、まっすぐさです。片方だけでは足りません。 - きつくひっぱらず
心を張りつめすぎないことです。弛ませないという次の言葉と対になります。 - まん中
強く張る側にも、弛む側にも寄らない位置です。身体の一点を指すとは書かれていません。 - ゆるがせて
心を動かすことです。直後に、その動きを一瞬も止めないよう求めます。
「平常心」は本文にない
この記事の題名には「平常心」と入れました。検索でもよく使われる言葉です。ただし、原文にあるのは「常の心」です。
二つを同じものとして済ませると、細かな条件が抜けます。常の心は、ただ落ち着いている状態ではありません。広く、直で、張りつめず、弛まず、偏らない。そして静かに動き続けます。
いくつもの条件があります。短い標語では収まりません。
そのため、武蔵のいう平常心を読む時は、最初の一文だけで止まらない方がよいのです。「変えるな」の直後に、どのような心を普段から保つのかが続きます。
勝負の時だけ別人にならない
勝負を前にすると、普段とは違う力を出したくなります。気持ちを高める。体を固める。相手だけを見る。そうした変化も起こり得ます。
ところが武蔵は、心を替えるなと言います。特別な時だから特別な心を用意せよ、とは書きません。
これは、勝負が平凡だという話ではありません。水之巻の後ろでは、戦いの場の慌ただしさにも触れます。状況は変わります。それでも、心の保ち方まで急に作り替えないよう求めます。
普段と勝負を切り離さないのです。日々の稽古で保てない心は、切迫した時にも保ちにくい。そう読む余地があります。
広いだけでも、直なだけでも足りない
「広く直に」は、二語で一組です。
広い心なら、目の前の一点だけに奪われずに済みます。相手の太刀だけを見る。自分の技だけを考える。勝ちたい気持ちだけでいっぱいになる。そうした狭まりから離れられます。
しかし、広いだけでは散漫になるかもしれません。そこで「直」が要ります。曲げない。都合のよいように受け取らない。目の前のことへまっすぐ向きます。
反対に、直だけを強くすれば固くなります。一本の考えに縛られます。広さが要ります。
二語を離さず読むと、ぼんやり広がる心でも、一本に凝り固まる心でもないことが分かります。
張るな、しかし弛むな
次には、さらに分かりやすい対が来ます。きつく引っ張らない。少しも弛ませない。
張りつめれば、余裕を失います。小さな変化にも過剰に反応します。けれども弛めば、動くべき時に動けません。武蔵は片方を選びません。
ここを「力を抜けばよい」とだけ訳すと、後半を落とします。「少しもたるまず」とあるからです。反対に、集中して張りつめればよいとも読めません。先に「きつくひつぱらず」とあります。
力みと油断。その間です。
簡単そうに聞こえます。実際には難しい。だから段の終わりで「能々吟味すべし」と念を押します。
心を真ん中に置く
「まん中」は、神秘的な場所の名ではありません。少なくとも、引用した二文には身体のどこかだという説明がありません。
前後をたどる方が安全です。心を偏らせない。強く張らない。弛ませない。その間に置く。これが本文から読める範囲です。
相手へ寄りすぎない。自分の技へ寄りすぎない。勝ちへの願いにも、負けへの恐れにも引かれすぎない。いずれも解釈の例ですが、共通するのは一方へ持って行かれないことです。
真ん中は、何も選ばない場所ではありません。変化へ応じられる位置です。
静かなのに、止まっていない
後半で最も引っかかるのは、「心を静にゆるがせて」でしょう。静かにするのに、動かします。
すぐ後ろには「ゆるぎやまぬ様に」とあります。一瞬も動きを止めないようにする。ですから、完全な静止ではありません。
一つの物へ心が止まれば、ほかの変化を受け取れません。とはいえ、次々に気を取られて騒がしく動けば、これも偏りです。静けさを保ちながら、動きは止めない。二つを同時に求めています。
「落ち着け」だけでは足りません。「動き続けよ」だけでも足りません。
水之巻という名から、水の比喩を足したくなるところです。しかし引用部には、水面や流れの例えがありません。ここでは、書かれた言葉だけを追います。
吟味は、読むだけで終わらせない言葉
最後は「能々吟味すべし」です。よくよく調べ、考え抜きなさい。
武蔵は、広い、直、張らない、弛まないと順に言います。しかし、それぞれの境目を数字では教えません。どこからが張りすぎなのか。どこからが弛みなのか。稽古の中で確かめるほかありません。
言葉を知っただけでは終わらないのです。
「吟味」は、説明不足を飾る言葉でもありません。書物で伝えられる範囲を区切り、読者へ課題を返します。自分の心がどちらへ寄ったか。動きが止まったか。実際の場面で調べます。
次の文では、静と速を分ける
引用の後には、静かな時も心は静かではなく、どれほど速い時も心は少しも速くない、と続きます。ここでも反対の言葉が組になります。
身体が速く動くから、心まで慌てる必要はありません。周囲が静かだから、心の働きを止める必要もありません。冒頭の「常の心」は、後の文でさらに細かく試されます。
水之巻では、この後に身なり、目付、太刀の持ち方、足遣い、構えなどが続きます。心だけを孤立させた章ではありません。身体と技を説く前に、心の基準が置かれています。
順番も読んでおきたいところです。
二文だけでは決められないこと
武蔵が人間一般の心理法則を書いた、とまでは言えません。ここは水之巻の兵法論です。
常の心を、単なる脱力とも言えません。「少しもたるまず」があります。
真ん中を、身体の特定部位とも決められません。引用部には場所の説明がありません。
現代の仕事や競技へ、そのまま使えるとも書かれていません。そうした応用は、原文とは別に論じる必要があります。
また、二文を読んだだけで心持ちを得られるわけでもありません。武蔵自身が吟味を求めています。
普段の心を稽古する
「常の心に替る事なかれ」は、何もしなくてよいという許可ではありません。その後に並ぶ条件は厳しいものです。
広くする。直にする。張りすぎない。弛ませない。偏らない。真ん中に置く。静かに動かす。動きを止めない。
これだけ整った心を、勝負の時だけ作ることはできません。普段の心そのものを稽古する必要があります。だから、勝負になっても替えません。
特別な心を呼び出さない。普段から同じ心でいる。その普段は、日々の吟味によって作られます。武蔵のいう「常」は、気楽な日常ではなく、稽古が染み込んだ日常です。
出典
宮本武蔵『五輪書』水之巻「兵法心持の事」冒頭二文。底本は宮本武蔵著『五輪の書 原本』(教材社、一九三九年)十七頁。国立国会図書館の書誌には、著者、出版者、刊年、目次、永続的識別子10.11501/1071527が記録されている。本文は同版のパブリックドメイン画像十七頁と照合した。