兵法家伝書を読む · 01
『兵法家伝書』の殺人刀と活人剣——二つの題名を原文から読む
活人剣は、相手を傷つけない剣の別名なのでしょうか。巻末の説明はもっと厳しいものです。乱世を治めるために人を斬った。その世が治まった。だからあの刀は人を生かす剣だった、と言います。逆説です。
今回の一節の新規現代語訳
この上下二巻を「殺人刀」「活人剣」と名づけた意味は、人を殺す刀が、かえって人を生かす剣になるということである。
乱れた世では、理由もなく多くの人が死ぬ。
乱れた世を治めるために殺人刀を用い、すでに世が治まった時には、
殺人刀がすなわち活人剣となるのではないか。この考えによって名づけたのである。
原文
此巻上下を、殺人刀、活人剣と名付けたる心は、人をころす刀、却而人をいかすつるぎ也とは、
夫れ乱れたる世には、故なき者多く死する也。
乱れたる世を治めむ為に、殺人刀を用ゐて、已に治まる時は、
殺人刀即ち活人剣ならずや。こゝを以て名付くる所也。
語句の注
- 殺人刀
文字どおり、人を殺す刀。ここでは上巻の題名です。暴力一般をやんわり指した比喩ではありません。 - 活人剣
人を生かす剣。殺人刀とは別の武器ではありません。殺人刀が、結果として活人剣になる。その関係を言っています。 - 却而
「かえって」。人を殺す刀と、人を生かす剣。反対を向いた二つの働きをつなぐ語です。 - 故なき者
落ち度も理由もなく死ぬ者。乱世で被害を受ける側です。 - 已に治まる時
すでに秩序が戻った時。殺人刀を活人剣と呼ぶには、この結果が要ります。
巻末で明かされる二つの題名
「殺人刀」と「活人剣」は、対になった有名な言葉です。二つの剣術。二つの心境。あるいは悪い剣とよい剣。そんなふうに読まれがちです。ところが引用した箇所は、上下巻を読み終えた場所にあります。なぜこの題名を付けたのか。あとから振り返って説明した結語です。標語として最初に掲げたものではありません。
説明は「人をころす刀、却而人をいかすつるぎ也」という逆接から始まります。殺す刀を捨てて、穏やかな別の剣へ移る、とは書いていません。「却而」がつないでいるのは、同じ一本の刀の二つの働きです。人を殺す力が、ある条件のもとでは、かえって人を生かす結果につながる。そういう主張です。
ですから、上下巻の題名を善と悪の名札として分けるだけでは足りません。殺人刀と活人剣は、向き合いながら、切り離されていません。下巻の題名は上巻を否定していません。殺人刀を使ったあとに生じたとされる結果を、別の側から名づけています。
「人を生かす」は殺さないことと同じではない
いまの「活人剣」には、相手を傷つけず、戦わずに収める剣という印象があります。そういう思想を論じた資料は、また別に検討できます。ただし今回の四行に限れば、活人剣は「人を斬らない」の言い換えではありません。すぐ手前に「殺人刀を用ゐて」と書いてあるからです。
「生かす」相手は、刀を向けられた一人ではありません。乱世では「故なき者」が大勢死ぬ。その問題が先に置かれています。乱れを治めれば、理由もなく死ぬ人が減る。この結果から振り返って、使った殺人刀を活人剣と呼び直す。それが本文の説明です。
だから活人剣を「誰も斬らない技」として美しく整えると、原文の厳しさが消えます。人を殺す力を使ったのに、それを人を生かす剣と呼んでよいのか。ここには矛盾があります。本文はその矛盾を避けません。「ならずや」と、問いの形で前に出しています。
「乱れたる世」と「已に治まる時」の間
四行を支えているのは、乱世と、治まったあとの対比です。乱世では、理由のない死が増える。だから乱れを治めるために殺人刀を使う。そして「已に治まる時」、その刀は活人剣だったと評価される。目的を掲げただけでは、まだ活人剣になりません。
「已に」の一語が効いています。秩序が実際に戻った、という結果が要るからです。暴力を振るう者が「自分は世を救うのだ」と宣言すれば自動的に活人剣になる。そうは書いてありません。少なくともこの説明のなかでは、乱れを治めたあと、という条件が置かれています。
そのうえで、どの状態を「治まった」と見るのか。誰がそれを判断するのか。四行は答えません。目的と結果を結ぶ理屈はあります。認定の手続きはありません。この空白を忘れると、強い側の行いを後からいくらでも正当化する言葉になってしまいます。
一本の刀に二つの名が付く
「殺人刀即ち活人剣」という一句は、二本の刀を並べていません。「即ち」でつないで、殺人刀そのものが活人剣になると言います。刀の形が変わるのではありません。同じ力が、どこに置かれ、何を生んだか。それによって名前が変わります。
殺人刀が途中で「殺さない刀」に変わる、という意味でもありません。殺す働きは残ります。残したまま、別の評価が与えられます。だから逆説になります。「生かす」だけを抜き出して穏やかな精神論に仕立てると、「殺人刀即ち」という不穏なつなぎを読み落とします。
二つの題名の関係をつかむには、刀そのものより、刀が使われた場の変化を見ます。乱れた状態から、治まった状態へ。この移り変わりが、二つの名前をつなぐ橋です。ただし、その変化を成し遂げたという評価も、書物が立てた理屈として読みます。歴史上の事実は、四行だけでは決まりません。
正当化の論理をそのまま賛美しない
この一節は、秩序を戻すための殺傷を、人が生きたという結果で説明します。いまの読者には、公のためなら暴力が許される、という正当化に見えるでしょう。原典を読むことは、その理屈をそのまま受け入れることではありません。まず何が書いてあるかをはっきりさせる。そのうえで、条件と空白を確かめる。それが読むという作業です。
本文自身が置いた制限は二つです。「乱れたる世を治めむ為」と「已に治まる時」。私利も、名誉も、技の誇示も、目的には挙がっていません。乱世で理由もなく人が死ぬことを問題にし、それが終わることを結果として求めています。この二つの条件を外して「人を斬ることも人助けだ」と広げれば、原文より大きな主張になります。
逆に、現代の倫理に合わせて殺傷の部分を消し、「活人剣とは人を大切にする心だ」とだけ説明するのも正確ではありません。ここで語られているのは、乱世と、殺人刀と、秩序回復を結んだ政治の理屈です。読みにくさを残しておく。そうすれば、この箇所は標語ではなく史料のままでいられます。
乱世・殺人刀・治まった世——ここから先は分からない
第一に、この一節は、柳生宗矩がどの戦場で誰を斬り、その結果どう秩序が戻ったかを報告した記事ではありません。上下巻の題名を説明した結語です。個別の事件の記録ではありません。
第二に、活人剣という語が歴史上ずっと同じ意味で使われた、とも証明していません。ほかの流派、ほかの時代、ほかの文献では、違う文脈に置かれているかもしれません。『兵法家伝書』の語を理解するなら、まずこの書物のなかでの説明を固めて、ほかの資料の用例とは分けて扱います。
第三に、殺人刀と活人剣が具体的な技の名前で、それぞれ決まった構えや切り方がある。そうも言えません。ここで説明されているのは題名の「心」、つまり名づけの意味です。技術の細かいところは、別の箇所と別の資料に当たります。
逆説を解消せずに読む
殺人刀がそのまま活人剣になる。この説明は、すんなり納得できるようには作られていません。殺すことと生かすことを一本の刀に重ね、乱世から秩序への変化でつないでいます。ここを「本当は殺さない剣だった」と読んで落ち着けてしまうと、本文の中心がなくなります。
四行から受け取れるのは、こういう考え方です。刀の評価を、一回の動作だけで決めない。その力が何のために使われ、あとで何が起きたか。そこから見直す。同時に、その見直しが暴力を正当化しうる危うさも、本文の外へ追い出しません。題名の由来を説明した文として、条件と限界を一緒に読む。そうすれば「殺人刀即ち活人剣」という逆説を、きれいな格言に変えずに受け取れます。
出典
柳生宗矩『兵法家伝書』、上下巻の題名について述べる巻末の結語。底本は福井久蔵編『秘籍大名文庫 第二』(厚生閣、一九三七年)六十一頁。永続的識別子はDOI 10.11501/1074542。CiNii Booksの書誌は、柳生宗矩著、福井久蔵撰輯、厚生閣、一九三七年十一月刊と記録する。