兵法家伝書を読む · 01

『兵法家伝書』の殺人刀と活人剣——二つの題名を原文から読む

活人剣は、相手を傷つけない剣の別名なのか。巻末の説明はもっと厳しい。乱世を治めるために用いた殺人刀が、世が治まった結果から活人剣と呼ばれる、という逆説である。

今回の一節の新規現代語訳

この上下二巻を「殺人刀」「活人剣」と名づけた意味は、人を殺す刀が、かえって人を生かす剣になるということである。
乱れた世では、理由もなく多くの人が死ぬ。
乱れた世を治めるために殺人刀を用い、すでに世が治まった時には、
殺人刀がすなわち活人剣となるのではないか。この考えによって名づけたのである。

本記事のために原文から新たに作成した現代語訳。『兵法家伝書』上下巻の題名について述べる巻末の結語。

原文

此巻上下を、殺人刀、活人剣と名付けたる心は、人をころす刀、却而人をいかすつるぎ也とは、
夫れ乱れたる世には、故なき者多く死する也。
乱れたる世を治めむ為に、殺人刀を用ゐて、已に治まる時は、
殺人刀即ち活人剣ならずや。こゝを以て名付くる所也。

一九三七年刊『秘籍大名文庫 第二』所収本文、六十一頁をもとに句読点を整えた。引用は英語版と同じ四行のみ。

語句の注

  • 殺人刀
    文字どおり人を殺す働きを持つ刀。ここでは上巻の題名であり、暴力一般を抽象的に指す比喩だけではない。
  • 活人剣
    人を生かす剣。本文は殺人刀と別の武器を指すのではなく、殺人刀が結果として活人剣になる関係を示す。
  • 却而
    「かえって」。人を殺す刀と人を生かす剣という反対方向の働きを接続する語。
  • 故なき者
    正当な理由や落ち度なく死ぬ者。乱世が及ぼす被害の側を示す。
  • 已に治まる時
    すでに秩序が回復した時。殺人刀を活人剣と呼ぶための結果上の条件になる。

巻末で明かされる二つの題名

「殺人刀」と「活人剣」は、対になる有名な言葉です。二つの剣術、二つの心境、あるいは悪い剣とよい剣を並べたものとして読まれがちです。しかし引用箇所は、上下巻を読み終えた位置で、なぜその題名を付けたかを説明しています。最初から短い標語として掲げるのではなく、書物の構成を振り返る結語です。

本文の説明は「人をころす刀、却而人をいかすつるぎ也」という逆接から始まります。殺す刀を捨てて別の穏やかな剣へ移るとは書きません。「却而」が結ぶのは同じ刀の二つの働きです。人を殺す力が、ある条件のもとでは、かえって人を生かす結果につながるという主張です。

このため、上下巻の題名を善悪の名札として分けるだけでは足りません。殺人刀と活人剣は対立しながら、本文の論理では切断されません。下巻の題名は上巻を否定するのではなく、殺人刀を用いた後に生じるとされる結果を別の側から名づけています。

「人を生かす」は殺さないことと同じではない

現代の「活人剣」には、相手を傷つけず、戦わずに収める剣という印象があります。そうした思想を論じる資料は別に検討できますが、今回の四行だけに限れば、活人剣は単純な非殺傷の言い換えではありません。直前に「殺人刀を用ゐて」と明記されるからです。

ここで「生かす」の対象は、刀を向けられた一人だけではありません。乱世において「故なき者」が多く死ぬという問題が先に置かれます。乱れを治めることで、それ以上理由なく死ぬ人を減らす。その結果から、用いられた殺人刀を活人剣と呼び直すのが、本文の説明です。

したがって、活人剣を「誰も斬らない技」として美しく整えると、原文の厳しさが消えます。ここには、人を殺す力を用いたにもかかわらず、それを人を生かす剣と呼べるのか、という矛盾があります。本文はその矛盾を避けず、「ならずや」という問いの形で押し出します。

「乱れたる世」と「已に治まる時」の間

四行の論理を支えるのは、乱世と治まった時との時間的な対比です。乱世では、理由のない死が増える。そこで乱れを治める目的のために殺人刀を用いる。そして「已に治まる時」、その刀は活人剣だったと評価される。目的を掲げただけでは、まだ活人剣にはなりません。

「已に」という語は重要です。秩序が実際に回復したという結果が必要だからです。暴力を用いる者が、自分は世を救うのだと宣言すれば自動的に活人剣になる、とは書かれていません。少なくともこの説明の内部では、乱れを治めた後という条件が置かれます。

同時に、どの状態を「治まる」と判断するのか、誰がその判断をするのかは、この四行では詳しく説明されません。目的と結果を結ぶ論理は示されますが、その認定手続きまでは示されない。この空白を忘れると、強い側の行為を後から何でも正当化する言葉として使われかねません。

一本の刀に二つの名が付く

「殺人刀即ち活人剣」という一句は、二本の刀を並べません。「即ち」によって、殺人刀そのものが活人剣になるとします。道具の形が変わるのではなく、同じ力が置かれる状況と生む結果によって、名が変わる構造です。

これは、殺人刀が途中で殺さない刀へ変質するという意味でもありません。殺す働きは消されず、その働きを含んだまま別の評価が与えられます。だからこそ逆説になります。「生かす」という言葉だけを抜き出して平穏な精神論にすると、「殺人刀即ち」という不穏な接続を読み落とします。

題名の関係を理解するには、刀そのものより、刀が用いられる秩序の変化を見る必要があります。乱れた状態から治まった状態へ移ることが、二つの名をつなぐ橋です。ただし、その変化を成し遂げたという評価も、書物が提示する論理として読むべきで、歴史上の事実をこの四行だけから認定することはできません。

正当化の論理をそのまま賛美しない

この一節は、秩序回復のための殺傷を、人を生かす結果によって説明します。現代の読者には、公益のためなら暴力が許されるという正当化に見えるでしょう。原典を読むことは、その論理を無条件に受け入れることではありません。まず何が書かれているかを明確にし、そのうえで条件と空白を確認する作業です。

本文自身が置く制限は、「乱れたる世を治めむ為」と「已に治まる時」です。私利、名誉、技の誇示を目的としては挙げません。乱世による理由のない死を問題にし、その終結を結果として求めます。この限定を外して「人を斬ることも人助けになる」と一般化すれば、原文より広い主張になります。

逆に、現代の倫理に合わせて殺傷の要素を消し、「活人剣とは人を大切にする心だ」とだけ説明するのも正確ではありません。ここで語られるのは、乱世、殺人刀、秩序回復を結ぶ政治的な論理です。読みにくさを残すことが、この箇所を標語から史料へ戻します。

この四行からは決められないこと

第一に、この一節は柳生宗矩が実際にどの戦場で誰を斬り、その結果として秩序を回復したかを報告する記事ではありません。上下巻の題名を説明する結語であり、個別の事件記録ではないからです。

第二に、活人剣という語が歴史上つねに同じ意味で使われたことも証明しません。別の流派、時代、文献では、異なる文脈に置かれる可能性があります。『兵法家伝書』の語を理解するには、まずこの書物の中での説明を確定し、他資料の用例とは分ける必要があります。

第三に、殺人刀と活人剣が具体的な技法名であり、それぞれに決まった構えや切り方があるとも、この四行からは言えません。ここで説明されるのは題名の「心」、すなわち命名の意味です。技術の細部を知るには別の箇所と資料が必要です。

逆説を解消せずに読む

殺人刀がそのまま活人剣になるという説明は、すんなり納得できるようには作られていません。殺すことと生かすことを同じ刀に重ね、乱世から秩序への変化でつなぎます。この不一致を「本当は殺さない剣だった」と解消すると、本文の中心が失われます。

四行から読み取れるのは、刀の評価を一回の動作だけで決めず、その力が置かれた目的と、後に生じた結果から見直す考え方です。同時に、その見直しが暴力を正当化しうる危うさも本文の外へ追い出してはいけません。題名の由来を説明する文として、その条件と限界をともに読む。それが「殺人刀即ち活人剣」という逆説を、きれいな格言に変えず受け取る方法です。

出典

柳生宗矩『兵法家伝書』、上下巻の題名について述べる巻末の結語。一九三七年、福井久蔵編『秘籍大名文庫 第二』(厚生閣)六十一頁。本文は国立国会図書館由来の公開画像39で確認した。永続的識別子はDOI 10.11501/1074542CiNii Booksの書誌は、柳生宗矩著、福井久蔵撰輯、厚生閣、一九三七年十一月刊と記録する。