『兵法家伝書』を読む · 05

早くも遅くも歩かない——活人剣「歩之事」

剣術の足運びなら、日常より速く鋭く動くものだと思うかもしれません。ところが柳生宗矩は、早い歩みも遅い歩みも悪いと言います。活人剣「歩之事」から、速さの両端にある心の乱れを読みます。

今回の一節の新規現代語訳

一、歩みについて。
歩みは早くても悪く、遅くても悪いものです。いつものように、すらすらと、何気なく歩むのがよいのです。
行き過ぎても届かなくても悪く、その中ほどを取ります。
早いのは驚いて慌てるからです。遅いのは臆して敵を恐れるからです。

柳生宗矩『兵法家伝書』活人剣「歩之事」の冒頭です。この後では、まばたきや水車を例に、身体は動いても心を動転させない状態を説きます。

原文

一、歩之事。
歩みは早きもあし、遅きもあし、常のごとくするすると何となき歩よし。
過たるも不及もあし、中を取る也。
はやきはおどろきふためく故也。おそきは臆して敵をおそるゝ故也。

『兵法家伝書』活人剣「歩之事」の冒頭四行、句読点と空白を除いて七十八字です。福井久蔵編『秘籍大名文庫 第二』(厚生閣、一九三七年)三十四頁により、踊り字を展開し、句読点と改行を整えました。

語句の注

  • 歩之事
    活人剣に置かれた足運びの一段です。歩幅や足先の角度を細かく図解する章ではありません。
  • 常のごとく
    日常の歩みに近い状態です。無造作に危険へ近づくことではなく、驚きや恐れで特別な歩き方にならないことを指します。
  • するする
    滞らず滑らかに進む様子です。底本の踊り字を開いて記しました。
  • 過たるも不及も
    行き過ぎることと、足りずに届かないことです。速さだけでなく距離にも関わります。
  • 中を取る
    二つの端へ偏らないことです。毎回同じ速さを守るという数値の指定ではありません。

速い方だけを良しとしません

剣術では、先に動くことや素早く届くことが目につきます。遅れれば相手に機会を渡します。そこで、速いほど優れていると考えやすくなります。

宗矩は、最初の一文で止めます。

早い歩みも悪い。遅い歩みも悪い。二つを同じ側へ置きます。速さの順位を決める話ではありません。

なぜ早くなったのか。

なぜ遅くなったのか。足だけを見ず、その時の心まで調べます。早さの原因には驚きと慌てがあり、遅さの原因には臆しと恐れがあります。

見た目では正反対です。心が平常から外れた点では同じです。

「常」は、のんびり歩くことではありません

日常の歩みと聞くと、緊張のない散歩を思い浮かべるかもしれません。しかし敵を前にした場面です。危険が消えたわけではありません。

ここでの「常」は、鈍さではありません。

相手との距離を見ます。進む必要があれば進みます。止まる必要があれば止まります。その判断を、驚きや恐れに奪われない状態です。

日常の歩みでは、一歩ごとに足の順を唱えません。床へ置く角度を考え込みません。それでも転ばず、行き先へ進みます。

宗矩は、そうした自然さを剣術へ持ち込みます。ただし、普段どおりなら何でもよいとは書いていません。行き過ぎと不足を避け、中を取る条件が付きます。

足の問題を、心の言葉で説明します

引用部分には、右足から出せとも、歩幅を何寸にせよとも書かれていません。代わりに「おどろき」「ふためく」「臆す」「おそる」という言葉が並びます。

足の乱れには理由があります。

敵が動いた瞬間に驚けば、必要より先へ飛び出すことがあります。怖がれば、届くべき所まで進めません。身体だけ直そうとしても、同じ反応が残れば再び崩れます。

だから、歩みを手掛かりに心を調べます。急いだ一歩がいつも悪いのではありません。驚きに押されて出たのか、それとも間に応じて出たのかを分けます。

遅い一歩も同じです。慎重な判断で待ったのか。恐れて固まったのか。時間だけでは判定できません。

「中」は平均の速さではありません

早さと遅さの間なら、一定の中速で歩けばよいのでしょうか。引用部分からは、そう読めません。

相手との距離は変わります。

地面も変わります。こちらと敵の動きも変わります。いつも同じ秒数で一歩を出せば、かえって行き過ぎたり届かなかったりします。

「中を取る」は、その場で必要な所を外さないことです。固定した中間値ではありません。速さだけを半分にする話でもありません。

過不足という言葉が先にあります。目的へ届くか。余分に進んでいないか。結果を見て、ちょうどよい所を取ります。

中は一本の目盛りではなく、関係の中で変わります。

この後のまばたきが、平常を説明します

「歩之事」は、引用の後で人の目を例にします。目の前へ急に手を出されると、まばたきが起きます。宗矩は、常の心なら目が動いても心まで動転しない、と続けます。

身体は反応します。

動かない人形になることではありません。目は閉じます。足も動きます。それでも、驚きに心を奪われないよう求めます。

さらに水車の比喩が続きます。動き続ける物でも、動きの中に動転しない位があるという説明です。

歩みの速さだけを測る段ではない理由が分かります。表に出た一歩を通して、内側の乱れを扱っています。

何気なさには稽古が隠れています

「何となき歩」を、考えずに歩くことだと取ると危険です。何も知らない初心者の一歩と、稽古を重ねた後の自然な一歩は同じではありません。

自然に見えても、距離を外しません。

相手を見失いません。身体も固まりません。その状態は、偶然できた無造作とは違います。

宗矩は、この四行で稽古の手順を詳しく書いていません。何回繰り返すかも、どの形から始めるかも不明です。師の役割も、この箇所だけでは決まりません。

それでも、目指す歩みの姿は読めます。外からは特別に見えない。内側では、驚きと恐れに引かれず、過不足を調整しています。

「早く見える」と「早過ぎる」を分けます

見ている側は、足の速度を比べられます。先ほどより速い。相手より遅い。外から測れる違いです。

しかし、宗矩の判定には原因が入ります。

驚いて慌てたから早くなったのか。必要な時機へ間に合うため、迷わず出たのか。同じ速い一歩でも、内側は違います。

遅さについても同じです。相手をよく見て待ったのか。怖くて足が出なかったのか。見た目だけでは分かりません。

そこで、速さを単独で褒めたり責めたりしません。始まりの心と、終わった場所を一緒に調べます。

早く見えた一歩が、いつでも「早きもあし」に当たるわけではありません。過不足なく届き、驚きにも押されていないなら、必要な速さだったと読めます。

平常は、変化しないことではありません

相手が動けば、こちらも応じます。距離が縮まれば、一歩の大きさも変わります。地面が悪ければ、足の置き方も変えるでしょう。

それでも平常を保ちます。

同じ形を守るという意味ではありません。変化を受け取りながら、驚きと恐れに全体を奪われないことです。

何も変えない人は、かえって状況から遅れます。反対に、変化へ飛びつく人は行き過ぎます。どちらも「中」から外れます。

平常の歩みは、固定と無反応ではありません。必要な変化だけを通します。余分な慌てを加えず、恐れによる不足も残しません。

そのため、自然に見える一歩ほど細かく調べる必要があります。無意識に任せたのか。稽古によって無駄が落ちたのか。見た目の素朴さだけでは区別できません。

四行だけで決められないこと

常にゆっくり動け、という教えではありません。遅さも悪いと明記されています。

常に同じ速度を守れ、とも書かれていません。距離と相手が変われば、必要な動きも変わります。

足運びの完全な技法を復元することもできません。足の向き、歩幅、重心の置き方は、この四行にありません。

恐怖を感じるな、と単純に命じる文でもありません。扱われているのは、恐れが歩みを遅らせる場面です。感情の有無と、動作を支配されることは分ける必要があります。

現代の試合や護身へ、そのまま当てはめることもできません。安全規則も装具も違います。ここでは江戸初期の兵法書が歩みをどう説明したかに範囲を限ります。

一歩の速さから、心の偏りを読みます

宗矩は、速いか遅いかを競わせません。二つの端に、それぞれ異なる乱れを置きます。

早ければ、驚いて慌てていないか。

遅ければ、臆して恐れていないか。

その問いを通ると、「中」は単なる中速ではなくなります。相手と距離に応じながら、心をどちらの端にも奪われない歩みです。

外から見れば、何気ない一歩です。

だから簡単なのではありません。特別な形を見せず、必要な所へ過不足なく届く。その平常を保つために、足と心を一緒に調べます。

活人剣「歩之事」は、足運びを速さの技法だけで終わらせません。一歩が乱れた時、宗矩は足の裏ではなく、驚きと恐れの所在へ戻ります。

出典

柳生宗矩『兵法家伝書』活人剣「歩之事」。本文の確認には、国立国会図書館所蔵の福井久蔵編『秘籍大名文庫 第二』(厚生閣、一九三七年、国立国会図書館書誌ID 000000731271)三十四頁を用いた。確認した画像は、ウィキメディア・コモンズ所収の国会図書館由来PDF二十六枚目にある。踊り字を展開し、句読点と記事上の改行を整えた。