万川集海を読む · 02

『万川集海』の「くノ一」とは——女忍者の通説を原文から読む

「くノ一」は、女性の忍者全般を表す歴史上の職名だったのか。巻八の本文は、まず三つの文字を一字にする呼び名と、正面から入りにくい時に選ぶ一つの方法として説明する。

今回の一節の新規現代語訳

「くノ一の術」のこと。
くノ一の術とは、三つの字を一つの字にした者を、忍びとして入れることをいう。
自力では入りにくいと思われる時、この術を用いるべきである。

本記事のために原文から新たに作成した現代語訳。『万川集海』巻八「陽忍上」、「久ノ一之術之事」冒頭。

原文

久ノ一之術之事
一、久ノ一之術ト云ハ、三字ヲ一字トシタル者ヲ、忍ヒニ入ルヲ云ナリ。
タチカラハ入リカタク思フ時、此術ヲ可用事。

公開翻刻をもとに句読点と改行を整えた。引用は英語版と同じ三行のみ。

語句の注

  • 久ノ一
    見出しでは「久」の字を用いる。本文中では「くノ一」とも書かれ、三つの字形を組み合わせて一字とする謎として説明される。
  • 忍ヒニ入ル
    ここでは女性そのものの身分名を定義するより、その者を忍びの役に入れる、あるいは忍びとして送り込む働きを指している。
  • タチカラ
    自らの力、自力と解した。直接の働きだけでは入りにくい場合が、この術を選ぶ条件になる。
  • 陽忍
    巻八の区分名。姿を消すことだけでなく、社会の中で人目に触れながら目的を隠す方法を含む。

最初に示されるのは「女忍者」という肩書ではない

今日「くノ一」と聞けば、女性の忍者を表す言葉だとすぐに理解されます。物語では、男性の忍者と並ぶ一つの人物類型として登場し、専用の装束や武器、戦い方まで与えられることがあります。しかし『万川集海』の冒頭三行は、そのような完成した人物像から説明を始めません。最初に置かれるのは、三つの字を一つの字にするという文字上の仕掛けです。

「く」「ノ」「一」の形を合わせると「女」の字になる、という読み方がこの呼び名の核にあります。見出しが「久ノ一」と記すのに対し、続く本文では仮名の「く」も使われます。ここで重要なのは、三字の組み合わせが、ある者を指す符号として働いていることです。原文は組織名、階級名、流派名を掲げていません。「くノ一」という語だけから、後世の女性忍者像を一式取り出すことはできません。

もちろん、続く叙述は女性を用いる方法であることを明らかにします。したがって「くノ一」と女性との関係まで否定する必要はありません。慎重に区別したいのは、女性が忍びの働きに組み込まれることと、「くノ一」が歴史上の女性忍者すべてに共通する正式な職名だったと考えることです。この三行が確かに示すのは、前者です。

巻八「陽忍上」の中で読む

この一節は、巻八「陽忍上」に置かれています。伊賀流忍者博物館の目録では、この巻を「遠入のこと」とし、「久の一術」を複数の方法の一つとして挙げています。つまり、女性忍者の人物論が独立して設けられているのではなく、離れた場所や入りにくい場所へ働きかける方法の体系の中に配置されています。

陽忍という区分も、読み方を整える手がかりになります。忍びというと、夜陰に紛れて姿を見せず、塀を越える姿が想像されがちです。けれども陽忍では、人に見られないことだけが秘密ではありません。人は見えていても、その役割や目的が別のものとして受け取られれば、働きの核心は隠れたままです。見える人物と、見えない意図を組み合わせる発想です。

引用の最後に「自力では入りにくい時」とあるのは、そのためです。難所を身体能力だけで突破するのではなく、誰なら自然に関係の内側へ入れるのかを考え直す。ここでは、入口は壁や門だけではありません。奉公、訪問、取次ぎといった社会的な関係も、内と外を分ける境界になります。

三行目が定める、術を用いる条件

「タチカラハ入リカタク思フ時」という一文は、この術を万能の方法としていません。いつでも女性を送り込めばよいのではなく、自ら直接入ることが難しいと判断した時に用いる、と条件を付けています。術の名より前に問題があり、その問題に応じて方法が選ばれます。

この条件を見落とすと、「くノ一」は独立した特殊技能の持ち主という像へすぐに広がってしまいます。原文の論理は反対です。まず直接の入口が難しい。そのため、異なる立場の者が持つ接近可能性を使う。女性であることは抽象的な能力ではなく、当時の屋敷や奥向きの人間関係の中で、特定の場所へ近づく条件として扱われています。

後続箇所には、人選、誓紙、合図、奥方への奉公などが記されます。これらは、衣装だけを替えれば成立する話ではないことを示します。信頼を結び、役割を保ち、連絡の約束を理解する人物が必要です。ただし本記事の原文引用は増やさず、冒頭三行だけに留めます。後続箇所は、この三行が置かれた文脈を確認するために参照しています。

装束よりも、関係の中へ入ること

現代の忍者像は、外見で人物を識別しやすく作られています。観客は一目で「この人物は忍者だ」と分からなければなりません。女性忍者の場合も、物語上の記号として特徴的な装束が与えられます。ところが、潜入の方法として考えれば、周囲の人に正体を説明してしまう外見は不利です。

『万川集海』のくノ一の術で中心になるのは、見た目の派手な偽装ではなく、別の身分や役割で受け入れられることです。奉公人として奥向きに入るなら、周囲から見えるのは奉公人です。忍びの働きは、その見える役割の背後に置かれます。存在を消すのではなく、存在の意味を別のものとして読ませるところに、陽忍の特徴があります。

このため「女性も戦闘に参加した」という話へ直ちに結びつけるのも慎重でなければなりません。引用箇所が扱うのは、直接入りにくい場所へ人物を入れる方法です。戦闘、武器、暗殺、特別な身体技法は、この三行には書かれていません。後世の物語が描く能力を、短い定義へ戻してはいけません。

日本語で読むと見える表記の揺れ

英語にすると、表記は通常 kunoichi の一語にまとまります。しかし日本語の原文では、見出しの「久」と本文の「く」、片仮名の「ノ」、漢数字の「一」が並びます。文字の種類と形そのものが説明の一部です。日本語版では、この視覚的な仕掛けを訳語に置き換えず、そのまま確かめることができます。

一方で、三字を合わせた一字を本文がここで明記していない点にも注意が必要です。後続文脈から女性を指すことは読み取れますが、冒頭だけを見れば「三字を一字とした者」と圧縮されています。この省略を埋めすぎず、文字の謎と術の用途を分けて読むことが、原文の短さを保つことにつながります。

この三行からは決められないこと

第一に、歴史上、秘密の働きに関わった女性がすべて「くノ一」と呼ばれたとは決められません。ここにあるのは一冊の忍術書の一節であり、各地の呼称を調査した記録ではありません。第二に、くノ一だけの独立した組織や階級があったことも、この引用からは分かりません。

第三に、女性向けの武器、格闘、薬、誘惑術などの体系も示されていません。後世の作品にそうした要素があっても、それは別の資料として検討する必要があります。第四に、この方法が実際に何度使われ、どれほど成功したかも記されていません。伝書に方法が記録されたことと、実施例の頻度は別の問題です。

原文から確実に言える範囲は、巻八の編者が「くノ一の術」という項目を設け、三字を一字にする呼び名を説明し、直接入ることが難しい場合に人物を忍びとして入れる方法と位置づけたことです。狭く見える結論ですが、通説と原典を区別するには、この幅を守ることが重要です。

呼び名より先に、解こうとした問題を見る

「くノ一」は現代にも残る強い言葉です。その強さのため、語を見た瞬間に人物像が完成してしまいます。しかし巻八の三行へ戻ると、語の背後にある問題が見えてきます。自分では入りにくい。では、別の立場からなら入れる者はいないか。術は、その問いへの一つの答えとして記されています。

この順序で読めば、くノ一は伝説を飾る呼称ではなく、人間関係を経路として捉える陽忍の一例になります。女性であることを否定せず、そこから後世の全イメージを引き出さない。文字の謎、用いる条件、巻の位置を一緒に読むことで、『万川集海』の記述を実際の大きさに戻すことができます。

出典

『万川集海』巻八「陽忍上」、「久ノ一之術之事」冒頭。伊賀市デジタルミュージアムの公開翻刻で本文と節名を確認した。同館の巻八「陽忍上」の目録は、陽術と陰術の区別、くノ一や里人を用いる情報収集を解説する。伊賀流忍者博物館の『万川集海』目録は、巻八を「陽忍上・遠入のこと」とし、「久の一術」を同巻の項目に置いている。