万川集海を読む · 03

『万川集海』の水蜘蛛——水上歩行の道具なのか

水蜘蛛は、両足に履いて水面を歩く道具として知られています。ところが巻十九の図説を開くと、書き出しにあるのは寸法だけです。外側の差し渡し、中央に抜く穴、輪の幅。人がどう使ったかは書かれていません。

今回の一節の新規現代語訳

水蜘蛛の図説。
水蜘蛛の図は、端から端まで二尺一寸八分。
内側は一尺一寸八分で、中を円く切り抜く。
外側の幅は、片側につき五寸ずつである。

『万川集海』巻十九「忍器二」の「水蜘蛛之圖説」冒頭。道具の図と寸法を並べる巻で、この節は水蜘蛛の各部の長さを記します。

原文

水蜘蛛之圖説
一水蜘蛛圖、身ノ指渡シ、二尺一寸八分、内一
尺一寸八分、中ヲ円クトルナリ、外側幅、一
方ニテ、五寸ツゝナリ、

『万川集海』巻十九「忍器二」「水蜘蛛之圖説」冒頭の四行。伊賀市デジタルミュージアム所蔵本、原本画像六コマにより、改行を保ちました。

語句の注

  • 水蜘蛛
    巻十九「忍器二」の水器に置かれた道具名。名前だけでは、体のどこに着けて、どんな姿勢で使ったかまでは決まりません。
  • 身ノ指渡シ
    物の端から端までの差し渡し、つまり全体の直径と読みました。
  • 二尺一寸八分
    全体の直径。本文の単位のまま扱い、現代の長さへ一律には換算していません。
  • 内一尺一寸八分
    中央に円く取る内側の直径。外径との差は一尺です。
  • 外側幅
    中央の穴から外周までの輪の幅。片側五寸ずつとあり、内外径の差と合います。

最初に書かれるのは使い方ではなく寸法

水蜘蛛という名を見れば、まず「どうやって水の上を歩いたのか」と考えたくなります。ところが「水蜘蛛之圖説」の書き出しに、人の動きは出てきません。端から端までの長さ。中央の円。外側の幅。数字が三つ並ぶだけです。

外径は二尺一寸八分、内径は一尺一寸八分。中央を円く取り、残った外側を片側五寸とする。組み立てると、中央に穴のあいた大きな輪になります。左右の足へ一つずつ履く、という説明はありません。足を差し込む、という動詞も出てきません。

「図説」という見出しも効いています。道具の図と寸法を伝える節であって、動かし方を順に教える手引きではありません。物の形が細かく書いてあるからといって、使い方まで同じ細かさで残っているとは限らないのです。

外径と内径を引くと五寸になる

三つの寸法は、ばらばらの数字ではありません。外径二尺一寸八分から内径一尺一寸八分を引くと、差は一尺。中央の円を囲む輪ですから、その差を左右に分ければ片側五寸です。最後の「五寸ツゝ」は、前の二つの数字とぴたり合います。

この引き算には使い道があります。翻刻の数字が写し間違いでないか、その場で確かめられるからです。図を眺めるだけでは分かりませんが、三つの寸法を並べてみると、編者がどこを測っていたかが見当つきます。

ただし、数字が合うことと、水の上を歩けたかどうかは別です。輪の形がきちんと閉じることと、その輪が人の体重をどう支えたかは、別の問いです。浮力も、安定も、姿勢も、進み方も、四行のどこにも数字として出てきません。

輪の図から足の装具へ飛ばない

現代の展示や図解では、水蜘蛛を左右の足に履く大きな円盤として描くことがあります。忍者が立ったまま水面を進む姿は分かりやすく、道具の名前ともよく合います。けれども、引用した箇所に書いてあるのは「円い」ということだけです。そこから履き方までは決まりません。

中央に穴があるなら足を入れるのだろう、と考えることはできます。ただし穴は一尺一寸八分もあります。足をどう固定するのか。左右一組なのか。四行のどこにも書かれていません。形から用途を推し量ってもかまいませんが、推し量ったことと原文に書いてあることは、必ず分けます。

伊賀市デジタルミュージアムの資料解説は、輪にまたがる使い方を伝承上の解釈として紹介しています。足に履いて直立する像とは、ずいぶん違います。本記事では、どちらが正しいかを決めません。今回の引用が寸法までで止まっていて、使う姿勢に触れていない。そこまでを確かめるにとどめます。

名前を聞いた時点で、絵ができてしまう

道具の名前は強い。読む前から絵が浮かびます。「水」で使う場所が決まり、「蜘蛛」でたくさんの脚と、水面をすいすい進む姿が出てきます。そこに現代の忍者像が重なれば、水の上を歩く秘密道具という物語ができあがります。

けれども名前は、構造も動きも説明してくれません。巻十九には浮橋、筏、水掻など、水にまつわる道具が並び、水蜘蛛もその一つです。水に関わる道具だということは、置かれた場所から確かめられます。ただし、名前に入っているたとえを、そのまま動作に読み替えるのは急ぎすぎです。

原文では「水蜘蛛之圖説」の直後に寸法が来ます。この順番のとおりに読みましょう。名前から想像を広げるより先に、輪の大きさと形を押さえる。名前が強い道具ほど、地味な測定記録のほうが頼りになります。

図説に残る製作情報と口伝

四行より後には、板の厚さ、金具、皮など、作り方に関わる項目が続きます。ところどころに「口伝」とあり、紙の上だけでは終わらない部分が残されています。本記事では引用を増やしていません。後ろの部分は、この節がどういう性格の文章かを知るために読みました。

つまり編者は、水蜘蛛を伝説の名前としてではなく、寸法と部材を持つ作り物として書き留めたわけです。ただし材料と形が復元できても、安全に使える方法までついてくるわけではありません。作り方が分かることと、使い方が分かることは、別です。

「口伝」とあるから、想像した使い方を好きに埋めてよい、という話でもありません。口伝と書いてある箇所には、紙に残さなかった知識があった。そこまでしか言えません。現代の再現や伝承がどれほどもっともらしくても、それを本文の文言として扱わないことです。

寸法だけでは、水上歩行まで届かない

四行から確かに言えるのは、水蜘蛛という道具の名前、全体の直径、内側の円、外側の幅です。水にまつわる忍器の章に置かれていることも確かめられます。けれども、人が両足に履いて立ち、沈まずに水面を歩いた。その一連の動きまでは、どこにも書かれていません。

だからといって、水蜘蛛が水と関係のない飾りだった、とも言えません。置かれた場所も、名前も、水の上で使ったことを匂わせます。後ろには作り方も残っています。はっきりしているのは一つだけです。使い方は、書き出しの寸法だけでは決まりません。

実際に何度作られ、どこで成功し、誰が使ったのか。それも四行にはありません。伝書に設計が残っていること。現物が残っていること。現場で常用されたこと。この三つには、それぞれ別の証拠が要ります。図が一枚あるだけで、使われた実績まで埋めないようにします。

道具の図は、何を描かないかも読む

この図説を読むと、忍器がぐっと手元に近づきます。二つの直径と輪の幅がきちんと合い、中央に円を抜いた形が目に浮かぶ。これだけ具体的に書いてあれば、後世の空想と突き合わせられます。そして具体的だからこそ、書かれていない部分もくっきりします。

道具の形はある。使う人の姿勢や、進む順序はない。寸法はある。浮力の説明はない。水蜘蛛を読むときは、この線を引いたまま読みます。水上を歩く忍者の絵を先に置いて、そこから図説に戻るのではありません。まず輪の寸法から始めて、原文が許す範囲で用途を考える。そうすれば、伝説と製作記録が混ざりません。

出典

『万川集海』巻十九「忍器二」、「水蜘蛛之圖説」冒頭。底本は伊賀市デジタルミュージアム所蔵本、原本画像六コマ。巻十九の資料目録は、江戸期写本の道具図説として書誌と内容を記録する。