万川集海を読む · 04

『万川集海』の忍び歩き——深泥・浅泥で変わる歩法

忍者には、いつでも同じ特別な歩き方があったのか。「歩法四ヶ條」の第一条は、泥の深さを見分け、道具と足運びを選び替えるところから始まる。

今回の一節の新規現代語訳

歩き方に関する四か条。
深い泥では橇を用い、浅い泥では抜足を用いること。
橇の図と説明は、忍器の篇の水器の章に記してある。
抜足とは、柳の枝のような心得である。口伝。

本記事のために原文から新たに作成した現代語訳。『万川集海』巻十三「陰忍三」、「歩法四ヶ條」第一条。

原文

歩法四ヶ條
一、大泥ニハ橇ヲ用ヒ、小泥ニハ抜足ヲ用ル事。
橇ノ図説、忍器ノ篇、水器章ニ記ス。
抜足ト云ハ、楊柳枝ノ心ナリ。口傳。

伊賀市デジタルミュージアムの公開翻刻をもとに句読点を整えた。引用は英語版と同じ四行のみ。

語句の注

  • 歩法四ヶ條
    歩き方に関する四つの条文。単一の歩法名ではなく、複数の状況と方法をまとめる見出し。
  • 大泥・小泥
    深い泥と浅い泥。泥の広さではなく、足がどの程度沈むかという深浅の区別として読んだ。

  • 泥や水辺で身体を支える道具。図説は別巻の水器章にあると本文自身が参照先を示す。
  • 抜足
    浅い泥で用いる足運びの名。現代語の「抜き足差し足」という決まり文句だけで意味を埋めない。
  • 楊柳枝ノ心
    柳の枝の性質を手がかりにした比喩。具体的な身体操作は「口傳」とされ、文字だけでは尽くされない。

見出しは「四ヶ條」と複数形である

忍び歩きという言葉からは、音を立てずに進む一つの特殊な歩型が想像されます。足裏を外側から置く、重心を低くする、といった一定の動きを思い浮かべる人もいるでしょう。しかし『万川集海』の見出しは「歩法四ヶ條」です。最初から複数の条文を掲げます。

今回引用するのはその第一条だけです。しかも一条の中で、深い泥と浅い泥を分け、深い泥では橇、浅い泥では抜足を使うとします。同じ泥地でも一つの方法で押し通さず、深さによって道具と身体操作を切り替えます。

この構造を見ると、歩法は固定した型の名前というより、足元の条件を判断して方法を選ぶ枠組みとして現れます。「忍者の歩き方はこれだ」という一枚の図より、地面を見分けることが先にあります。

問題は静けさより、泥の深さ

忍びの歩法なら、音を消す方法が中心だと思いがちです。ところが第一条には「音」「静か」「気づかれない」といった語がありません。明示される問題は泥です。深い泥へ足を取られること、浅い泥でどのように足を運ぶかが扱われます。

もちろん、潜入において音が重要でないという意味ではありません。同じ巻には音を除く術も別項目として置かれます。ただし今回の四行を、無音歩行の説明へ置き換えることはできません。この条文は地面の状態に対する移動の選択を記しています。

泥の深さを区別する語が冒頭にあることで、歩き始める前の観察が方法の一部になります。地面を確かめずに決まった足運びを実行するのではなく、まず大泥か小泥かを判断する。術は身体の形だけでなく、環境の読み取りを含みます。

深い泥では、歩かずに道具を使う

大泥に対する答えは、特別な足の置き方ではなく「橇ヲ用ヒ」です。足運びを工夫して歩くという発想から離れ、道具へ切り替えます。歩法の項目の中に橇が入ること自体、歩法を狭い意味の歩き方だけに限定していないことを示します。

さらに本文は、橇の図説をここで繰り返しません。「忍器ノ篇、水器章ニ記ス」と別の章を案内します。読者は歩法の条文から道具の図説へ移り、必要な情報を組み合わせる仕組みです。秘密を一か所に閉じ込めるのではなく、書物の内部で相互参照させています。

この参照は、橇が単なる比喩ではなく、別途図と説明を持つ忍器として扱われることも示します。一方、今回の四行には橇の形や乗り方はありません。本記事も抜粋量を増やさず、参照先が示される事実までを扱います。

浅い泥の「抜足」を決まり文句で読まない

小泥では「抜足」を用いるとあります。現代日本語では「抜き足、差し足、忍び足」が一続きの表現として定着しているため、足音を消してそっと歩く姿へ結びつきやすい語です。しかし原文は浅い泥への対応として抜足を置き、続けて「楊柳枝ノ心」と説明します。

つまり、この抜足は単に静かに歩くという一般語ではありません。泥から足をどう抜き、次の一歩へ移すかという状況に結びつき、柳の枝を手がかりにする技術語です。現代の決まり文句だけで理解すると、泥と柳という二つの条件が消えてしまいます。

「抜く」という字から、足を強く引き上げる動作を想像することもできます。しかし原文は力の方向や速度を詳述せず、柳の枝という比喩へ渡します。文字の印象だけで具体的な動作を断定しないことが必要です。

「楊柳枝ノ心」は説明であり、説明の限界でもある

柳の枝は、しなり、力を受け流し、元へ戻る姿を連想させます。抜足についても、硬く力むより、しなやかに足を扱う心得と読むことはできます。ただし、どの関節をどう動かすか、足裏のどこから抜くかまで、比喩だけでは決まりません。

原文はその直後に「口傳」と記します。書かれた「楊柳枝ノ心」が完全な手順ではなく、対面の説明や実演で補われることを示す印です。比喩は秘密の答えそのものというより、教えられた動作を思い出すための短い手がかりだった可能性があります。

したがって、柳の枝を観察して現代人が考案した動きを、そのまま『万川集海』の抜足として確定することはできません。口伝とある箇所では、分からない部分を分からないまま示すことが、原文に忠実な説明になります。

書かれた知識と口伝が隣り合う

四行の中には、情報の異なる渡し方が並びます。大泥には橇、小泥には抜足という選択は文章で明示される。橇の詳細は別章の図説へ送られる。抜足の要点は柳の枝という比喩で示され、その具体は口伝に残される。短い条文ですが、本文、図説、口伝の三層があります。

この構成は、『万川集海』が何もかも秘して書かなかったという単純な像にも、書物だけで全技法を完全再現できるという像にも合いません。記録する部分、別項目へ整理する部分、人から伝える部分を使い分けています。

記事を読む側も、その違いを保つ必要があります。文章にある選択は説明できる。参照先の存在も確認できる。しかし口伝の内容を創作してはいけない。史料に残った線と、そこで途切れる線を同時に見ることが重要です。

この四行からは一つの忍者歩きを決められない

今回の抜粋は、忍者がいつでも同じ歩幅、同じ足の角度、同じ姿勢で歩いたことを証明しません。むしろ深泥と浅泥で方法を変え、片方では道具を使うと述べます。状況の違いを無視する固定歩法とは反対の構造です。

また、抜足が無音を保証したとも、柳の枝の比喩だけで技術を完全に再現できるとも言えません。移動速度、足跡の残り方、履物、身体の向きなどもこの四行にはありません。現代の演武や映像で示される歩き方は、それぞれの根拠を別に確認する必要があります。

一方で、歩法が存在しなかったと結論する資料でもありません。見出しは四か条を掲げ、第一条だけでも環境判断、道具、足運び、口伝を含みます。確かなのは、歩法が一つの神秘的な歩型より広い実務として整理されていることです。

歩法とは、足元を見て選ぶこと

第一条の核心は、どのように足を置くかだけではありません。目の前の泥が深いか浅いかを見て、深ければ橇、浅ければ抜足を選ぶ。使う方法を決める前に、環境を分類する判断があります。

この順序で読むと、忍び歩きは目立つ一つの技から、状況に応じた選択へ変わります。道具を使うことも歩法に含み、詳しい図説は別章へ求め、身体の要点は口伝で補う。『万川集海』の歩法は、完成したポーズではなく、地面と資料と教えを結びつける実践として記されています。

出典

『万川集海』巻十三「陰忍三」、「歩法四ヶ條」第一条。本文は伊賀市デジタルミュージアムの公開翻刻で確認した。巻十三の資料解説は同巻を江戸期写本として記録し、睡眠、犬、歩法、時、場所などの項目をまとめる。伊賀流忍者博物館の目録も、巻十三「陰忍三」に「歩法四箇条」を置いている。