万川集海を読む · 05
『万川集海』の陽忍と陰忍——忍びは姿を隠すだけではない
『万川集海』巻之八の書き出しには、忍術には陽術と陰術がある、と記されています。姿を現すか、人目を避けるか。忍び入りは二つに分けられます。
今回の一節の新規現代語訳
忍術には、陽術と陰術があります。
陽術とは、策を表に現しながら忍び入ることです。
陰術とは、人の目に触れないよう、姿を隠す術を使って忍び入ることです。
原文
夫忍術ニ陽術有、陰術有。
陽術ト云ハ、謀略ヲ顕ハシテ忍入ヲ云。
陰術ト云ハ、人ノ目ニ不逢ヤウニ隠形ノ術ヲ以テ忍入ヲ云ナリ。
語句の注
- 陽術
姿を現し、人から見えるところで策を働かせる方法です。ここでの「陽」は、善悪の評価ではありません。 - 陰術
人目を避け、姿を隠して入る方法です。「陰」も悪い術という意味ではなく、見えるか隠れるかを分ける語です。 - 忍入
忍び入ること。陽術と陰術の両方に同じ語が使われています。 - 謀略ヲ顕ハシテ
策を表に現すこと。本人の真の目的まで明かす、とは書かれていません。 - 隠形
姿を隠すこと。陰術の説明では、人の目に逢わないことと続けて記されます。
姿を見せる術も「忍術」である
忍びと聞けば、まず暗がりに隠れる姿を思い浮かべます。人に見つからず、城や屋敷へ入る。たしかに、その方法は『万川集海』にもあります。
ところが巻之八は、隠れる術だけから始まりません。最初に「陽術有、陰術有」と二つを並べます。陽術も忍術です。人から見える場所で動く方法まで、忍びの働きに含めています。
原文を読むと、陽術にも陰術にも「忍入」が出てきます。違うのは、入る人が見えるかどうかです。陽術では策を表に現します。陰術では人の目を避けます。入口は違っても、どちらも忍び入る方法として数えられています。
ここを読み落とすと、忍術は姿を消す技ばかりになります。巻之八では、もっと広く分けられています。見つからない方法だけでなく、見られても疑われない方法まであります。
陽術で表に出るのは何か
陽術の説明には、「謀略ヲ顕ハシテ」とあります。「顕す」は、隠さず表に出すことです。ただし、任務の目的をすべて打ち明ける、とは読めません。策を働かせながら、人前へ出て入る方法だからです。
姿は見えています。声をかけられることもあるでしょう。相手から見れば、そこにいる理由がある人です。通行人かもしれません。何かを届けに来た者かもしれません。けれども、具体的な役柄は原文の三行にありません。勝手に足すことはできません。
確かめられるのは、身体を隠さない方法があることです。陽術では、見られた時点で失敗にはなりません。むしろ、人前に出たまま入ることが方法の中心にあります。
姿が見えることと、目的が知られることは別です。人は見えている。だが、その人がなぜ来たのかは分からない。陽術では、二つの間に生まれるずれが使われます。
巻之八の目録には、始計、桂男、如景、くノ一、里人などの項目が続きます。人と接触し、相手側の人を介して近づく方法もあります。陽術を、ただ明るい昼間に動く術と読むのは狭すぎます。明暗ではありません。姿を現したまま策を働かせるかどうか。冒頭では、そこが分かれ目です。
陰術では人の目そのものを避ける
陰術の説明は、より分かりやすいでしょう。「人ノ目ニ不逢ヤウニ」とあります。誰かに会っても正体を悟られなければよい、とは書かれていません。まず、人の目に触れないことが求められます。
続く語は「隠形」です。姿を隠す。その術を用いて入る。短い説明ですが、陽術との違いははっきりしています。
もっとも、ここには夜、黒装束、塀、縄などの語はありません。暗闇を使うとも書かれていません。巻の後ろにはさまざまな方法が続きますが、冒頭三行だけで道具や手順までは決められません。
陰術を読むときは、後世の忍者像を先に置かないことが大切です。原文にあるのは、人目に逢わず、姿を隠して入るという定義です。まずはそこに留めます。
見える人ほど、忍びとは気づかれにくい
隠れて動く人は、姿を見られた瞬間に怪しまれます。物陰から現れれば、それだけで周囲の注意を引くでしょう。陰術では、見られないことが必要です。
陽術は反対です。人前に出ます。そこにいても不自然ではない姿をとれば、相手はすぐには疑いません。見えているからこそ、かえって怪しまれにくくなります。
ただし、これは透明になる術ではありません。話し方や立場を誤れば、疑われます。必ず成功するとの約束もありません。陽術と呼ばれる方法がある、と分けただけです。
忍びを絵にすると、陰術のほうが伝わりやすい。屋根の上に黒い人影を置けば、すぐ忍者だと分かります。陽術は絵だけでは区別できません。普通に見える人が、普通とは違う目的で入るからです。
陽忍と陰忍を二種類の身分にしない
現代では、陽術を使う者を陽忍、陰術を使う者を陰忍と呼ぶことがあります。呼び分けには便利です。ただし、引用した三行では「陽術」「陰術」と書かれています。まず方法の名前です。
一人の忍びが陽術だけを使ったのか。陰術だけを使ったのか。任務ごとに選び直したのか。三行からは分かりません。二つの固定した職業や階級があった、とも書かれていません。
巻の見出しには「陽忍上」があります。書物全体でも、陽忍と陰忍は大きな区分です。それでも、区分の名と人の身分は同じではありません。人について断定するには、別の記録が必要です。
ここで分けられているのは、入るときの姿です。見えるまま入る。見えないように入る。二つの方法が先にあり、人を二種類に分ける説明ではありません。
三行から言えないこと
第一に、実際の任務で陽術と陰術のどちらが多かったかは分かりません。回数の記録ではないからです。成功例も失敗例も、この三行にはありません。
第二に、陽術のほうが上等だとも、陰術のほうが本来の忍術だとも言えません。二つは並べて置かれています。優劣を表す語はありません。
第三に、普段着で歩く人をすべて忍びと考えることもできません。陽術には「謀略」があります。何らかの策をもって忍び入るという条件を外せば、ただの訪問や通行との違いがなくなります。
第四に、伊賀や甲賀のすべての忍びが同じ分類を使ったとは断定できません。ここで読んでいるのは『万川集海』巻之八です。別の書物、別の時代、別の土地まで一度に説明する文章ではありません。
そして、忍びが実際にどう装ったかも分かりません。衣服の色はありません。名乗り方もありません。冒頭三行で確かめられるのは、姿を現す方法と隠す方法が、どちらも忍術に含まれるという点までです。
黒い影だけでは読めない
忍びは隠れる。そう考えると、陰術の説明はすぐ理解できます。けれども、巻之八では陽術が先に置かれています。人に見られながら入る方法です。
二つを並べると、忍びの働きは暗闇だけに収まりません。相手の目を避けるか。相手の目に入っても、目的を悟られないようにするか。入る前に、まず方法が分かれます。
見えない者だけが忍びではない。『万川集海』の書き出しから、そこまでは確かに言えます。しかし、見える者を何でも忍びにしてはいけません。策をもって忍び入るという条件が残っています。
三行は短い。だからこそ、余計な姿を描き足さずに読めます。陽術と陰術。姿を現すか、隠すか。『万川集海』巻之八の冒頭には、二つの入口があります。
出典
『万川集海』巻之八「陽忍上」冒頭。伊賀市デジタルミュージアムの公開写本画像二で原文を確認した。同館の目録によれば、資料は江戸期の写本で、伊賀流忍者博物館に所蔵されている。陽術は姿を現して活動する術、陰術は姿を隠して忍び込む術との解説もある。伊賀流忍者博物館の目録では、巻第八を「陽忍上 遠入のこと」とし、その後に始計、桂男、如景、久の一、里人などの項目を挙げている。