万川集海を読む · 07

二重底の木櫃で門を通る——『万川集海』隠簑の術

木櫃の中に隠れるだけでは、門を越えられません。『万川集海』は、門番へ先に理由を話し、上段には衣類を入れ、重い櫃を二人で担がせます。仕掛けより前に、疑われない段取りがありました。

今回の一節の新規現代語訳

その時は、各門の番人へ初めからもっともらしい理由を話しておきます。そして例の木櫃を運び入れる際、中へ入って進みます。
ただし木櫃は二重底とし、上には衣類を入れ、下を重い方にします。二人で担ぐように整えます。

『万川集海』巻八「陽忍上」、「隠簑之術」の中ほどです。内側にいる者が、宿へ預けた木櫃を取り寄せたいと申し出る段に続きます。この直後には、『孫子』の「始めは処女の如く、後は脱兎の如し」が引かれます。

原文

其時門々ノ番者ヘ、始ヨリ、能理ハリヲ云置テ、彼木櫃ヲ入ルゝ時ニ、
其中ヘ入リ行ヘキナリ、但シ、木櫃ハ、二重
底ニシ、上ニハ衣類ヲ入テ、下ノ重キモナ
リ、二人シテ荷フヤウニスル、

『万川集海』巻八「陽忍上」、「隠簑之術」の連続する四行。伊賀市デジタルミュージアム掲載の翻刻により、改行を保ちました。句読点と空白を除いて七十四字です。

語句の注

  • 隠簑之術
    身を隠す蓑の名を持ちますが、ここでは姿を消す呪術ではありません。人を木櫃の下段へ隠します。
  • 陽忍
    人に会い、話し、役目を装い、内側の協力者を使う方法です。目に触れないことより、見られても怪しまれないことを重んじます。
  • 能理ハリ
    筋の通る理由。木櫃が届く前に、門番へ説明しておきます。
  • 木櫃
    木製の収納箱です。直前の段では、宿へ預けてある品として取り寄せます。
  • 二重底
    内部を上下に分ける作りです。上段には衣類を置き、下段に人が隠れる想定です。

まず門番へ話しておく

手順の先頭は、木櫃を作る話ではありません。門番への説明です。しかも「始ヨリ」とあります。櫃が届いてから言い訳を考えるのでは遅いのです。

門はいくつもあります。「門々ノ番者」と書かれました。外門だけを通って終わるとは限りません。通路ごとに人がいます。

そこで、もっともらしい理由を先に伝えます。番人は、後から来る櫃を初めて見るのではありません。話を聞いたうえで見ます。

同じ物でも、前置きがあれば受け取り方が変わります。宿へ預けた衣類の入った櫃。それなら、内側の者が取り寄せても不自然ではありません。

『万川集海』は、番人を眠らせる薬から始めません。鍵を壊す道具も出しません。説明を置きます。人が門を守る以上、人が納得する筋道が要るからです。

上の衣類には役目がある

木櫃は二段です。上には衣類を入れます。蓋を開けられても、すぐ人が現れないようにするためでしょう。

衣類は隠し板を覆うだけではありません。取り寄せる理由にも合います。宿へ置いた櫃なら、着替えや持ち物が入っていても怪しまれません。

空箱では不自然です。武器だけでも危うい。衣類なら日常の荷物に見えます。内側の者が必要だと言っても通ります。

ここで衣服の色は書かれていません。黒とも紺ともありません。忍びが何色を着たかを決める材料にはできません。

引用部で衣類を身につけるのは、隠れた者とも限りません。上段へ置く荷物です。黒装束の根拠にするのは無理があります。

重さをごまかさない

人が入れば、櫃は重くなります。原文も重さを無視しません。「下ノ重キモノナリ」とあります。

そのため、二人で担がせます。一人が苦しそうに運べば、番人は気づくでしょう。二人なら重い荷物として通しやすくなります。

軽そうに装うのではありません。重いことを前提にして、運び方を合わせます。ここが現実的です。

櫃の下が重い。二人が担ぐ。上には衣類がある。三つが同じ説明の中に収まります。ばらばらの仕掛けではありません。

ただし、寸法は不明です。板の厚さも分かりません。空気をどう入れたのかも、この四行にはありません。復元図を描くなら、推測の部分を分ける必要があります。

内側の人が道を作る

木櫃は外から突然やって来ません。直前の段には、奥方に仕える者が出ます。その者が、宿へ預けた木櫃を取り寄せたいと申し出ます。

先に奥へ入った協力者がいます。その人が理由を作ります。門番への話も整えます。外にいる忍びだけでは成り立ちません。

つまり、潜入は一人の妙技ではありません。内側の者。担ぐ二人。櫃へ入る者。少なくとも複数人が関わります。

合図や約束も要ります。周辺の段では、協力者へ誓紙を出させ、合図をよく聞かせるとあります。人間関係の準備です。

有名な忍者像では、一人が高い壁を越えます。ここでは違います。すでに内側へ入った者が、次の入口を作ります。門を開けるのは技だけではありません。

なぜ「陽忍」なのか

人は櫃の中へ隠れます。それでも、この段は「陽忍上」にあります。見えない動きだけを扱う巻ではありません。

女中として仕える。奥方へ願い出る。門番へ話す。担ぎ手が櫃を運ぶ。多くの動作は人前で行われます。

隠れているのは一人だけです。他の人と物は見えています。見られないことより、見られた時の理解を整えています。

陽忍を単に「堂々と入る術」と言うと粗すぎます。公然と話す部分と、秘かに隠す部分が組み合わさっています。

番人は櫃を見ます。担ぎ手も見ます。衣類も見えるかもしれません。それでも、宿から届いた荷物として受け取れば通ります。陽忍らしさは、そこにあります。

黒装束の話とは分ける

忍者と聞くと、全身を黒で包んだ姿が浮かびます。舞台や映像では、一目で役柄が分かります。印として便利です。

しかし、門番のいる場所では逆でしょう。忍びだと分かる服を着れば、説明が崩れます。必要なのは、日常の役目に見えることです。

とはいえ、引用部だけから「忍者は黒を着なかった」と断定はできません。色の指定がないからです。別の任務や別の史料まで否定することはできません。

確かめられるのは、二重底の木櫃を使う方法です。そこでは、衣類を上段へ置きます。門番へ理由を話します。二人が荷物として運びます。

黒い服で闇へ溶ける話ではありません。人と物を、いつもの暮らしの中へ混ぜる話です。ここは原文に沿って言えます。

隠簑は姿を消す道具ではない

「隠簑」という名から、身につけると見えなくなる蓑を連想するかもしれません。昔話にもありそうな名です。

ところが本文で使うのは木櫃です。蓑は出ません。人は下段へ入ります。上には衣類があります。

ここでの「隠簑」は、技法の名です。字面どおりの道具とは限りません。術名から内容を推測せず、手順を読む必要があります。

忍術書には、印象の強い名が多くあります。水蜘蛛、飛梯、隠簑。名だけを取り出すと、超人的な術に変わりやすいのです。

本文へ戻ると、材料と人の動きがあります。木の箱。二重底。衣類。担ぎ手。門番。具体的です。

『孫子』の一句が続く

木櫃の説明の後に、『孫子』が引かれます。「始めは処女の如く、後は脱兎の如し。敵、拒ぐに及ばず」という句です。

初めはおとなしく見せます。宿から荷物を取り寄せるだけに見えます。門番が受け入れた後は、逃げる兎のように速く動きます。

編者は、古い兵書の一句をこの方法へ重ねました。『孫子』の原文が木櫃を説いているわけではありません。『万川集海』側が、動きの速さを説明するために借りたのです。

古典の引用があると、技法へ権威が加わります。同時に、伊賀や甲賀の伝承だけで本が閉じていないことも分かります。中国兵書を読み込み、忍術の説明へ組み入れました。

四行だけでは分からないこと

この方法が実戦で使われたかは分かりません。術書に記されたことと、使用記録が残ることは別です。

どの城を想定したのかも不明です。門の数、番人の人数、検査の厳しさは書かれていません。すべての城へ通用したとは言えません。

櫃の詳しい作りも分かりません。人がどれほど長く入ったのか。息をどうしたのか。下段からどう出たのか。引用部にはありません。

衣類の種類や色も不明です。上段の品を、そのまま忍びの服装だとは扱えません。

分からない所を埋めると、史料より物語が大きくなります。ここでは、門番への事前説明、二重底、上段の衣類、下段の重み、二人の担ぎ手までに留めます。

仕掛けより先に段取りがある

二重底の木櫃は目を引きます。けれども、最初の言葉は「門々ノ番者ヘ」です。相手は箱ではありません。門を守る人です。

その人たちへ、先に理由を話します。後から衣類の入った櫃が来ます。重いので二人が担ぎます。見えるものが一つの話に収まります。

箱だけを作っても足りません。内側の協力者が要ります。担ぎ手も要ります。番人が納得する理由も要ります。

派手な術ではありません。むしろ地味です。話を整え、人を配し、荷物の重さまで合わせます。

『万川集海』巻八の四行を読むと、潜入は入口へ着く前に始まっていました。木櫃が門へ来る頃には、理由も役目も用意されていたのです。

出典

『万川集海』巻八「陽忍上」、「隠簑之術」。原文四行は、伊賀市デジタルミュージアム掲載の伊賀流忍者博物館所蔵写本の翻刻と、同ページから開ける写本画像で位置を確認しました。宿へ預けた木櫃を取り寄せる話に続き、『孫子』の「始めは処女の如く、後は脱兎の如し」を引く直前にあります。