『万川集海』を読む · 10

私欲のために忍ばない——『万川集海』正心の戒め

『万川集海』の最初の巻には、道具より先に「正心」が置かれています。私欲のために忍ばない。道に外れた君主を助けて謀らない。たとえ目先の利益を得ても、最後には自分の害になると戒めます。

現代語訳

前の文章の心を読み取り、私欲のために忍びの働きをせず、道に外れた君主のために計略をめぐらさないよう心得るべきです。
もしこの趣旨に背き、私欲のために忍び、道に外れた君主を助けて計略を立てるなら、
どのように陰の謀を運んでも、その企ては必ず露見します。
たとえ露見せず、一時は利益を得ても、最後には自分の害となります。これは避けられない道理です。

『万川集海』巻一「正心一」。権変や間者の働きも、最後は正しさへ帰らなければならないと説いたあとです。この四行の直後に三首の「忍歌」が続きます。

原文

此文意ヲ見テ、私欲ノ為ニ忍ヒズ、無道ノ君ノ為メニ、謀ラサルコトヲ知ルヘシ。
若シ此旨ヲソムキ、私欲ノ為メニ忍ヒ、無道ノ君ヲ佐ケテ計ルトキハ、
喩ヒイカナル陰謀ヲ運ラストモ、其陰謀、必ラス露顕スベシ。
若アラハレスシテ一旦利潤アリトモ、終ニハ身ノ害トナルコト、必然の理ナリ。

『万川集海』巻一「正心一」の四行。伊賀市デジタルミュージアム掲載写本の画像四で確認しました。空白と句読点を除いて百二十字。歴史的仮名遣いと字体を残し、句読点と改行を補いました。

語句を確かめる

  • 私欲
    公の目的より、自分の利益や望みを先にすることです。
  • 忍ぶ
    ここでは我慢することではありません。隠密の働きに就き、計略を行うことです。
  • 無道の君
    ここでは、守るべき道から外れた君主を指します。客観的な分類名ではありません。
  • 陰謀
    人に知られないように進める計略です。現代の「陰謀論」とは文脈が違います。
  • 一旦利潤
    ひとまず得られた利益です。長く続くとは限りません。

最初の巻で、技より先に止める

『万川集海』には、登る道具、水を渡る道具、火を使う道具が載っています。人の屋敷へ入り、情報を集める方法もあります。忍術書らしい内容です。

ところが巻一の題は「正心」です。どう忍ぶかを教える前に、何のために忍ぶのかを問います。力があれば使ってよい、とはしません。

読者が立ち止まる場所は二つあります。自分の欲望に引かれたとき。そして、仕える君主が道を外れたときです。

片方だけでは足りません。自分の心が整っていても、命じる側が誤っている場合があります。逆に君主の目的が正しくても、働く者が私益を狙うこともあります。

「誰のためか」を先に確かめる

隠密の働きは、外から見えにくいものです。何を調べ、誰へ伝え、どこで報酬を得たのか。すべてが表へ出るとは限りません。

だから私欲が入りやすい。集めた情報を別の相手へ売る。恨みを晴らすために使う。手柄を大きく見せるため、危険を誇張する。考えられる形はいくつもあります。

具体例は並べられていません。ただ「私欲ノ為ニ忍ヒズ」と言い切ります。行動の巧拙より先に、向いている先を確かめます。

成功したかどうかだけで判断すれば、うまく隠れた私欲は見逃されます。そこで、動く前の心が問題になります。

命令されても免れない

次に出るのは「無道ノ君」です。忍び本人が命令を作ったのではなくても、助けて計れば責任から外れません。

引用には「命令だから従え」とありません。君主に仕える身分であっても、計略の目的まで正しくなるわけではない。そう読めます。

もっとも、誰が無道なのかを決める手順は書かれていません。判断を誤る危険もあります。自分に不都合な主君を、勝手に悪と呼ぶ余地も残ります。

だから現代の人物へ簡単に当てはめてはいけません。ここで確かめられるのは、服従だけでは計略を正当化できないと書いた点です。

「必ず露顕する」は調査結果ではない

道に外れた陰謀は、必ず露顕すると続きます。強い言葉です。例外を置きません。

ただし、何件を調べたという記録ではありません。露顕率を数えた数字もありません。規範を守らせるための断言です。

私欲で結ばれた者どうしは、利益が減れば争いやすいでしょう。報酬への不満から、秘密を漏らす者も出ます。無理な計画を重ねれば、行動の跡も増えます。

そうした現実の弱さは想像できます。しかし引用自体は原因を細かく説きません。正しさから外れた企ては、長く隠し通せない。その戒めに力を集めます。

露顕しない場合まで書いている

続く一行が大切です。もし露顕しなかったら。その場合も想定されています。

隠し通して、一時は利益を得ることもある。そこまでは認めます。悪い企てが毎回すぐ失敗する、という単純な話ではありません。

それでも最後には身の害となる。時間を長く取れば、目先の得だけで成功とは決められないと述べます。

ここでいう害の形は特定されません。報復かもしれません。信用を失う場合もあるでしょう。仲間割れや、さらに危険な企てへ引き込まれることも考えられます。ただし、それらは説明の例です。原文に事件名はありません。

一時の利益では測らない

計略が成功し、利益も出た。それだけなら、技法としては高く評価されそうです。ところが「正心一」は別の物差しを置きます。

第一に、何のためにしたのか。第二に、最後まで見たとき自分へ何が返るのか。この二段で測ります。

私欲や無道のためなら、最初の段階で外れています。しかも一時の得は、後の害を消しません。成功の判定を急がせない書き方です。

露見しなければ正しい、利益が出れば成功。そうした考えを退けます。隠密の術を扱う書物だからこそ、隠し通せたかだけでは足りないのでしょう。

正心は道具の安全装置ではない

巻頭に戒めがあっても、道具や計略が安全になるわけではありません。文章を置くだけで、悪用を防げるものでもありません。

守るかどうかは人に任されます。監督の仕組みや、違反を調べる制度は、引用に書かれていません。

それでも順序には意味があります。読者は技法へ入る前に、使用を止める条件を読まされます。知っていることと、使ってよいことを分けます。

忍術を奇抜な技の集まりとしてだけ読むと、巻一の役割が抜け落ちます。最初に問われるのは、巧みさではありません。

戒めと実際の行動は分ける

「こうせよ」と書かれた文章から、当時の人が皆そうしたとは言えません。規則があることと、守られたことは別です。

むしろ戒めが必要だったなら、私欲で動く危険も考えられていたのでしょう。ただし、違反が何件あったかまでは分かりません。

引用には人物名も日付もありません。具体的な任務を記録した箇所でもありません。忍びの実態をそのまま再現する材料にはなりません。

確かに言える範囲は狭いものです。『万川集海』巻一では、私欲と無道の君への加担が禁じられています。そして目先の成功を、正しさの証拠にはしませんでした。

心・君主・結果の三か所で確かめる

四行の流れを追うと、確認する場所は三つあります。まず働く者の心です。次に、命じる君主です。最後に、企てがもたらす結果です。

どれか一つだけでは足りません。私欲がなくても、無道の君を助ければ外れます。正しい命令を受けても、私益のために情報を曲げれば外れます。

さらに、露見しなかったという結果だけでも正当化できません。一時の利益が出ても、長く見れば害になると続くからです。

巧くできたか。命令どおりだったか。その二点だけで終わらせず、そもそもの目的へ戻ります。秘密の中で判断を失わないための順序です。

四行から言えないこと

すべての忍者が同じ規範を持っていたとは言えません。『万川集海』の文章を、地域も時代も違う集団へ一律に広げることはできません。

無道の君を判定する客観的な基準もありません。現代の政治的な対立へ、そのまま持ち込むべきではありません。

悪い企てが歴史上すべて露見した、と証明する文でもありません。強い断言は、戒めの言葉として読む必要があります。

また、忍術全体が倫理的だったという証拠にもなりません。書かれた規範と、実際の行動のあいだには距離があります。

巧さより前に、使わない判断がある

巻一「正心一」は、術を成功させる前に、術を使わない場合を定めます。私欲のためなら忍ばない。道に外れた命令なら、助けて謀らない。

さらに、露見しない成功にも待ったをかけます。一時の利益は、最後の害を帳消しにしません。

道具や潜入法へ進む前に置かれた四行です。『万川集海』を読む入口には、できるかどうかより、してよいかどうかという壁がありました。

出典

『万川集海』巻一「正心一」。本文は、伊賀市デジタルミュージアムの画像四と対応する翻刻で確認した。所蔵者は伊賀流忍者博物館。歴史的仮名遣いと字体を残し、読みやすさのため句読点と改行を補った。