正忍記を読む · 03

人に理を尽くさせる——『正忍記』地巻の聞き手

賢いところを見せるのは、話し手の側です。聞き手は「うつけ」の位置へ下がります。『正忍記』地巻を読むと、知識を得る前に、自分の知識をどう隠すべきかが説かれています。

今回の一節の新規現代語訳

人に道理を十分に語らせる習いのこと。
これは相手を賢い者として立て、
自分は愚かな者となる道理を述べています。

『正忍記』地巻「人に理を尽くさする習いの事」の見出しと冒頭。相手に道理を語らせ、自分は「うつけ」の役を取るという説明です。

原文

人に理を尽くさする習いの事。
是は人を賢くして、己はうつけとなるの理をいえり。

名取正武『正忍記』地巻「人に理を尽くさする習いの事」、見出しと冒頭の二行。国立国会図書館所蔵の寛保三年写本・画像二十コマによります。

語句の注

  • 理を尽くさする
    相手に道理を十分に述べさせること。「尽くす」のは自分ではなく、話す相手です。
  • 人を賢くして
    相手を賢い側に置きます。その人が常に賢者だと認定する文ではありません。
  • うつけ
    愚かな者、ぼんやりした者を指す語です。ここでは聞き手が取る外向きの役目です。
  • 習い
    学び伝える教えです。見出しのあとに説明が続きます。

「尽くす」のは相手です

見出しを急いで読むと、自分が道理を尽くして説得する話に聞こえます。けれども原文は「尽くさする」と、使役の形です。話す役は相手にあります。

聞き手は、自分の知識を並べません。正しさを競いません。相手が考えを続け、言葉を足し、自分なりの道理を語り切る。その位置を空けておきます。

ここで大事なのは、質問の巧みさより、会話における役の分け方です。誰が賢く見えるのか。誰が教える側に立つのか。『正忍記』は、まずそこを決めます。

自分の知識を隠す

忍びの隠れ方は、顔や体だけではありません。何を知っているかも隠せます。何に気づいたか。なぜその話を聞くのか。それを相手に悟らせない働きです。

自分が先に詳しい話をすれば、知識の範囲が相手へ伝わります。誤りをすぐ直せば、どこを重く見ているかも伝わります。賢さを見せるほど、こちらの関心が読まれます。

そこで「うつけ」となります。本当に何も知らない人へ変わるのではありません。会話の表面で、知っている人の座を相手へ譲ります。聞き手は、理解していても理解を誇りません。

地巻に置かれた対人の教え

『正忍記』は三巻からなります。初巻には、忍び六具や七方出など、出立ちと外見に関わる教えがあります。地巻では、人に会い、土地の事情を探り、言葉から判断する場面が増えます。

今回の二行も、そのなかにあります。塀を越える方法ではありません。錠を開ける道具でもありません。人が持つ知識へ近づくために、聞き手の見え方を変えます。

外見の変装なら、衣服や笠が使えます。知識の変装には物が要りません。会話の速度や受け答え、相手へ渡す立場によって、知っている範囲を小さく見せます。

「賢くする」は評価ではない

相手を「賢くする」とあっても、本当に賢明な人物だと保証してはいません。会話のなかで、相手に物知りの役を取らせます。知っていることを説明し、判断を披露する側です。

話す人は、自分の説明が受け入れられると、さらに言葉を足すことがあります。けれども、いつでもそうなるとは限りません。相手が黙ることもあります。急に警戒することもあります。

原文を読んでも、すべての人に効く法則だとは証明できません。会話の実験記録でもありません。地巻で望ましいとされた振る舞いです。教えと実例を分けて読む必要があります。

問い詰める姿を見せない

聞きたいことを正面から問えば、関心のありかが分かります。何を知らないのかも伝わります。相手は、その話題だけを避けられます。

二行には、具体的な質問文がありません。相手に理を尽くさせ、自分はうつけとなる。先に決められるのは、この関係だけです。

そのため、手口の一覧として読むと物足りなく感じます。どんな語から話すのか。いつ本題へ移るのか。どこで会話を終えるのか。引用した箇所には書かれていません。

書かれていない部分を、後世の想像で埋めることはできません。見出しと冒頭から確かめられるのは、相手の発言を増やすために、聞き手が賢さを隠すという関係です。

「うつけ」は固定した人格ではない

うつけの役は、いつもの性格ではありません。一度の会話で取る位置です。聞き手は、相手の前で自分を低く置きます。

ただし、極端に愚かなふりをすれば、かえって疑われるかもしれません。その失敗は、引用した二行で論じられていません。教えが短いから、成功が簡単だったとは言えません。

相手に受け入れられて、初めて役が成り立ちます。笠なら、一人でかぶれます。会話の役は一人では作れません。相手がこちらをどう受け取るかに左右されます。

ここに、道具とは違う難しさがあります。見た目だけでなく、やり取りの途中で印象が変わります。話すほど賢さが漏れることもあります。黙りすぎれば、不自然になります。

現代の会話術に置き換えない

この教えを、交渉や営業、人づきあいの心得へ移すのは簡単です。けれども、そうすると史料の目的が薄れます。『正忍記』は、目的を隠して情報を得る忍びの教えをまとめた書物です。

現代の心理学による裏付けも、二行にはありません。会話の回数も、成功率も、人の性格の違いも記録されていません。普遍的な人間法則として紹介する根拠は足りません。

歴史の史料として読むなら、もっと狭くなります。編者は、知識を集める者が賢く見えることを警戒しました。そして、相手へ賢い座を渡すよう教えました。この二点です。

写本から読める範囲

底本とした写本は、寛保三年の書写です。『正忍記』の成立とされる延宝九年からは、六十年以上あとです。現存写本を読めても、最初の執筆場面までは戻れません。

句読点や表記も、現代の翻刻では整えられます。この記事では、画像二十コマにある見出しと冒頭を確かめ、二行だけを抜きました。節全体の説明を、引用した原文そのものと混ぜないようにしています。

二行から、実際の任務や人物を特定することもできません。いつ、どこで、誰が使ったのか。成功したのか。何を聞き出したのか。答えは残っていません。

話した内容と史料のあいだ

会話は、その場で消えていきます。今回の写本に残るのは、会話の記録ではありません。どう振る舞うべきかを短くまとめた教えです。

その違いは大切です。教えが残っていても、実際に交わされた言葉までは分かりません。相手が何を語ったか。聞き手がどう応じたか。沈黙がどれほど続いたか。そこまでは写本から分かりません。

ですから、二行から成功した場面を組み立てることはできません。読めるのは、編者が聞き手へ求めた位置です。賢さを前へ出さず、相手の説明が続く側へ回る。その規範が文字になりました。

見せないものが一つ増える

忍びが隠すものとして、姿や名前は分かりやすいでしょう。今回の一節では、もう一つ加わります。自分の賢さです。

相手に理を尽くさせる。相手を賢い側へ置く。自分はうつけとなる。短い教えは、会話の中心を相手へ移します。

知識を得ようとする人ほど、自分の知識を見せたくなるかもしれません。『正忍記』は逆を選びました。聞き手が前へ出ず、相手に説明の座を渡す。地巻に記されたのは、言葉の陰へ退く姿です。

出典

名取正武『正忍記』地巻「人に理を尽くさする習いの事」、見出しと冒頭の二行。底本は国立国会図書館所蔵の寛保三年写本・画像二十コマ国立国会図書館の書誌は、名取正武著、渡辺六郎左衛門写、寛保三年(一七四三)書写、DOI 10.11501/12865778 と記録する。NDLの三大忍術書の解説は、成立を延宝九年(一六八一)、全三巻とする。