安土山下町中掟書を読む · 01

信長の楽市は自由な町だった?――安土に人を集めた十三か条

街道を行く商人に、「安土に来て泊まれ」。織田信長が城下町に出した掟書には、そんな命令がある。同じ文書の第一条は、町を楽市とし、商いに関わる負担を免除するというものだ。商人にとってありがたい決まりと、行き先を指定する命令。信長は安土に、どんな町をつくろうとしたのだろうか。

現在の安土城跡、天主跡の石垣
安土城跡の天主跡(2023年撮影)。写真:Mont Blank rich/Wikimedia Commons、CC0。

城のふもとに、町をつくる

天正四年(一五七六)、信長は近江国の安土山で城づくりを始めた。琵琶湖に面し、京都にも東国にも通じる場所である。城ができれば、それで新しい拠点の完成、というわけにはいかない。家臣の屋敷も、人が暮らす町も必要だ。

太田牛一の『信長公記』巻九には、信長が安土へ移った後、馬廻の者たちに山下の屋敷地を与えたと書かれている。その原文を見てみよう。

御馬廻御山下に各御屋敷被下、面々手前々々之普請被申付

『信長公記』巻九「安土御普請之事」

馬廻は信長のそばに仕える家臣たちだ。津島史紀の現代語訳では、このようになる。

また、信長の馬廻の者たちには、山の下にそれぞれ屋敷地が与えられた。面々は、それぞれ自分の屋敷の普請を命じた。

『信長公記』巻九(津島史紀訳)

大工や職人も各地から呼び寄せられ、石垣や天主の工事が進んだ。『信長公記』には、大きな石を山の上に運ぶのに苦労した話まで出てくる。城の絵だけを思い浮かべると見落としがちだが、工事に携わる人、屋敷を構える人、そこに品物を届ける人がいて、ようやく町は動き出す。

その翌年の天正五年六月、安土の町に向けて出されたのが「安土山下町中掟書」だ。全十三か条。商いについてだけでなく、引っ越してくる人の扱い、火事や盗品、けんかにまで話が及ぶ。城下町で暮らす人たちのための決まりを、順に見ていこう。

「諸座・諸役」を免許する

最初に置かれたのが、よく知られる楽市の条文である。

一、当所中為楽市被仰付之上者、諸座・諸役・諸公事等悉免許事

「安土山下町中掟書」

安土を楽市とする以上、諸座・諸役・諸公事などを、ことごとく免除する――という内容だ。「座」は、一定の商売や生産に関わる人々が、特権や保護を得てつくった組織を指す。諸役や諸公事は、さまざまな負担や役目である。

新しい町で店を構えようとしても、いくつもの負担が重なれば、商人はためらうだろう。第一条は、安土の町で商い、暮らす人に向けて、そうした負担を免ずると知らせている。

とはいえ、この一条だけから、あらゆる営業が何の制限もなくできたとか、全国の座が消えたとか、そこまで言うことはできない。ここに書かれた対象は安土の町だ。実際に人々がどう商ったかも、別の史料を合わせて確かめたい。座に関わる決まりと、それぞれの土地で課されていた負担は、何でも同じものではない。短い一条から制度のすべてを説明するのは難しいが、町に対して何を免じようとしたかは読み取れる。

それにしても「悉免許」、ことごとく免ずる、という言葉は目を引く。新しい土地で商売を始める人にとって、負担が軽くなるという知らせは、移り住む理由の一つになったはずだ。

商人は安土に泊まるべし

さて、問題は次の条文である。往来する商人について、掟書はこう命じている。

一、往還之商人、上海道相留之、上下共至当町可寄宿、但荷物以下之付下者、荷主次第之事

「安土山下町中掟書」

街道を行き来する商人は、上海道の通行をやめ、上りも下りも安土の町に来て宿泊すること。ただし、荷物を積み下ろすかどうかは荷主に任せる――おおむねそういう意味だ。上海道は中山道にあたる道として、近江八幡市が解説している。

「寄宿すべし」は、泊まってもよいという勧めではない。町に来て泊まるよう命じている。第一条で負担を免じたすぐ次に、人の通り道を指定しているのだ。

旅の途中には、荷を運ぶ費用も宿代もかかる。行き先によっては、予定していた道を変え、安土に寄ることになった商人もいただろう。命じる側と、道を行く側では、この条文の見え方も違う。

遠くの町を目指して荷を運ぶ商人にしてみれば、好きな場所に泊まれるとは限らない。安土の町にとっては、通り過ぎてしまうはずだった人を迎える機会になる。宿に泊まる人がいれば、人や品物に出会う機会も増えるだろう。ただし、それを見込んだとしても、実際に何人が泊まり、どれほど取引が増えたかは、この条文だけでは分からない。

ここで、商人の荷物にも目を向けてみよう。荷物については荷主次第としている。安土へ来て泊まることと、荷物を下ろすことは別に扱われている。泊まれとは言うが、荷を必ず下ろして売れ、とまでは書いていない。一つの条文の中で、命じるところと荷主に任せるところが分かれている。

新しく来る人も、先住者と同じに

安土を町として育てるには、通りかかる商人ばかりでなく、住み続ける人も必要だ。掟書には、ほかの土地から移ってくる人についての規定もある。

一、他国并他所之族、罷越当所仁有付候者、従先々居住之者同前

「安土山下町中掟書」

他国や他所から安土に移り住んできた人を、以前から住む人と同じように扱う、という部分である。続けて、誰の家来であることを理由に異議を唱えたり、臨時の課役をかけたりすることも抑えている。

引っ越しは、今でも住まいや仕事を一から整える大仕事だ。戦国時代なら、以前の土地との関係も気になる。安土に移った後、そこを離れたことを理由に文句を言われたり、新たな負担を課されたりしたら、安心して暮らせない。掟書が新住民の扱いをわざわざ書いているのは、移り住む人を迎えようとする姿勢をよく示している。

普請や伝馬の免除も、暮らしに関わる。普請は工事、伝馬は人や物を運ぶための役だ。工事や輸送の負担を免じることで、商売や生活に向き合いやすくする。ただし、普請には例外も書き添えられている。免除という言葉だけで、どんな場合も負担がなかったと思い込まないようにしたい。

盗品を知らずに買ったら?

町に人が集まれば、商売だけでなく、厄介なことも起こる。たとえば、買った品が盗品だったら、買った人まで罪になるのだろうか。

掟書は、盗品だと知らなかった買い主について「不可有罪科」、罪に問わないと定める。その後、盗人を捕らえた場合は、古くからの法に従って盗まれた品を返す、と続く。盗品と知らずに買った人と、盗んだ人を区別しているわけだ。

火事についても事情を分けている。放火された場合には家の主人に罪をかけない一方、自分の家から火を出した場合には調べたうえで処置する。ただし、事情によって処分に軽重がある、と添える。誰の家で起きたかだけで片づけず、何が起きたかを調べようとしている。

ほかにも、けんかや口論、押し買い・押し売り、無理に宿を借りることを禁じる条文がある。売る人、買う人、家を貸す人が集まれば、力ずくで話を通そうとする者も出てくる。楽市の町をつくるには、負担を免除するだけでなく、町で暮らす人たちの揉め事にどう対処するかも決めなければならなかった。

馬の売買も安土へ

十三か条の最後に出てくるのは、馬の商売だ。

一、博労の儀、国中馬売買、悉於当所、可仕之事

「安土山下町中掟書」

博労とは、馬の売買をする人のこと。近江国内の馬の売買を、ことごとく安土で行うよう定めている。第二条で往来の商人を泊め、最後の条文では馬の取引場所を安土に集めようとする。町の外を行き交う人や商いを、城下へ向ける規定が、文書の最初と最後に置かれている。

馬は戦いにも輸送にも使われる。売り手と買い手が安土で顔を合わせるようになれば、馬に関わる人たちが集まる理由もできる。だが、ここでも掟書は命令であって、実際に近江の馬がすべて安土で売買されたという記録ではない。何を命じたかと、どれだけ実行されたかは分けて読みたい。

楽市は信長が初めて始めたのか

信長の名と結びつきやすい楽市だが、信長だけが始めた仕組みではない。滋賀県立安土城考古博物館の解説は、近江の六角氏による例や、今川氏の領国での例にも触れている。安土以前にも、土地の領主が町や市場に関わる特典を与えていた。

安土の掟書を面白くしているのは、十三か条がまとまって残り、市場の負担だけでなく、城下に住み、行き来する人々にどんな決まりを示したかを読めることだ。第一条だけでは、宿泊の命令も、火事の扱いも、最後の馬の売買も見えてこない。

残された掟書の、その後

この文書は、後の人が書き写した話だけでなく、原本が今日まで残っている。三枚の紙をつないだ長い文書の末尾に、天正五年六月の日付と信長の朱印がある。近江八幡市のデジタルアーカイブでは、原本の画像と翻刻を公開している。

信長の死後、豊臣秀次が八幡山下に城下町をつくると、掟書も安土から八幡へ移り、伝えられた。滋賀県立安土城考古博物館の解説によれば、令和四年度に修理され、その後、博物館に寄託されたという。町のために出された紙が、町の移り変わりとともに生き残ってきたのである。

楽市という一語だけでも、信長がどんな町を望んだかは想像できる。だが十三か条を読み進めると、引っ越してくる人の待遇、盗品の買い主、火事の責任、馬の取引にまで目が向く。商人を呼び、住民を迎え、町の中で起こる問題に備える。そのために、免除も命令も一枚の掟書に書き込まれていた。

出典

「安土山下町中掟書」天正五年六月、近江八幡市所蔵。原文は近江八幡市歴史浪漫デジタルアーカイブの翻刻による。句読点を補った。安土普請の引用は『信長公記』巻九「安土御普請之事」の甫喜山景雄刊本の翻刻と津島史紀による現代語訳。文書の沿革は滋賀県博物館協議会掲載の滋賀県立安土城考古博物館による解説を参照した。

信長公記の刊本(国立国会図書館) / 近江八幡市の原本画像 / 近江八幡市の翻刻 / 滋賀県博物館協議会の解説