安土山下町中掟書を読む · 01

信長の「楽市」は自由だけだったのか

天正五年の安土山下町中掟書では、第一条で座や負担が免除されます。その直後には、往還の商人に安土での宿泊を命じる第二条が続きます。自由化だけでは語れない二条の組み合わせです。

現代語訳

安土城下を楽市にすると命じた以上、
諸々の座、諸役、諸公事などをすべて免除すること。

天正五年六月「安土山下町中掟書」第一条。近江八幡市所蔵の原本に残る十三か条の冒頭です。現代語訳は本記事のために作成しました。

原文

一、当所中為楽市被仰付之上者、
諸座・諸役・諸公事等悉免許事

「安土山下町中掟書」第一条、編集上の二行。句読点と中黒を除いて二十五字。近江八幡市歴史浪漫デジタルアーカイブの原本画像と翻刻により確認しました。

語句の注

  • 当所中
    この場所の町中。掟書の宛先は「安土山下町中」です。
  • 楽市
    ここでは、続く文にある座・諸役・諸公事などの免除と結び付いています。

  • 一定の営業や生産に関する特権的な組織・関係です。第一条は「諸座」を免許の対象に含めます。
  • 上海道
    近江八幡市の解説では中山道とされる往還です。第二条は商人を安土へ立ち寄らせるため、そのまま通過する経路を止めます。
  • 寄宿
    立ち寄るだけではなく宿泊すること。「可寄宿」は、宿泊すべしという命令です。
  • 付下
    荷物の積み下ろし。宿泊は命じますが、荷を扱うかどうかは荷主に任せています。

最初の二条を離さず読む

楽市楽座と聞くと、自由な商業を一言で宣言した政策が思い浮かびます。安土の掟書も、第一条だけを見れば、その印象に近い。楽市とした以上、諸座・諸役・諸公事などをすべて免除するとあります。

ところが、第二条は自由の語感とは違う方向へ進みます。往還の商人に、上海道を通り過ぎず、上り下りとも安土へ来て宿泊するよう命じます。商人が好きな道と宿を選べる、とは書いていません。

この二条は別々の紙にあるのではありません。十三か条の一番目と二番目です。負担を軽くすることと、人の流れを町へ向けることが、続けて置かれています。

第一条の「楽市」は免除として書かれる

第一条には、楽市を抽象的な理念として説明する言葉がありません。「楽市にすると命じた以上」と前置きされ、その中身は免除の列挙で表されます。

対象は「諸座・諸役・諸公事等」です。座だけではありません。さまざまな役や公事も含めて、町で商い暮らす際の負担を外します。

「悉」という一字によって、ことごとく、すべて、という範囲が添えられます。何をどの制度から外すのか、その細部は三行だけでは決まりません。それでも、部分的な減免ではなく、広い免除を掲げた書き方だと分かります。

このため、第一条を読む限りでは、安土へ移る者や商う者にとっての利点が前面に出ます。旧来の特権関係や町の負担から外れる期待を、短い条文で伝えています。

商人を安土へ向けた第二条

第二条で主語に置かれるのは「往還之商人」です。対象は、すでに安土に住む者ではなく、街道を上り下りする移動中の商人です。

命じられることは二段です。まず、上海道をそのまま使うのを止める。次に、上りでも下りでも安土の町へ至り、宿泊する。方向にかかわらず町へ人を入れる規定です。

商人が泊まれば、町には時間が生まれます。宿が使われ、人と情報が滞留し、取引の機会も増えるでしょう。ただし、これは条文から考えられる効果です。実際の宿泊人数や売上高を、この三行から算出することはできません。

重要なのは、商業を待っているだけではない点です。安土を魅力的にする免除を第一条に置き、安土を経由させる命令を第二条に置く。町へ向かう理由と、町を通る義務が並びます。

「寄宿すべし」の強制

「至当町可寄宿」は、当町へ至り寄宿すべし、と読みます。「泊まってもよい」という許可ではありません。

楽市を自由市場とだけ言い換えると、この命令形が抜け落ちます。何かから自由にする政策と、ある行動を命じる政策が同じ掟書に入っています。

矛盾と決める必要はありません。免除は安土の内部で負う負担に関わり、寄宿命令は街道上の商人を安土へ集める動きに関わります。対象と働きが違います。

信長が自由を愛したか、統制を好んだか、という性格診断へ移すと条文から離れます。ここにあるのは、城下町を成り立たせるために、免除と経路の指定を同時に使った文書です。

荷物の扱いに残された判断

宿泊を命じた後には、但し書きが置かれます。荷物などを積み下ろすかどうかは、荷主次第とする。

人は町へ泊まらなければなりません。しかし、荷を必ず下ろして売買せよ、とまでは命じていません。人の経路と滞在は統制されますが、商品の扱いには判断の余地が残ります。

この区別があるため、第二条を単純な取引強制とも呼びにくい。安土で商売を成立させる機会は生まれますが、荷主に荷の積み下ろしまで強制してはいません。

一つの条文の中にも、命令と選択があります。宿泊は「すべし」。荷物は「次第」。助動詞と結びの違いを追うと、規制の境目が読めます。

十三か条の中の最初の二条

掟書は楽市と宿泊だけで終わりません。普請や伝馬の免除、火事や犯罪の責任、盗品と知らずに買った者の扱い、徳政の免除、移住者の保護、喧嘩や押買の禁止など、十三か条が続きます。

最後には、近江国内の馬の売買を安土で行うよう命じる条項もあります。最初の二条だけでも誘導と免除が分かります。文書全体を読むと、町の治安、責任、課役、取引場所まで扱われています。

楽市は、その都市法の入口です。座をなくした、という一項目だけを切り出すと、町を作り、人を住まわせ、往来を引き込み、秩序を保つためのまとまりが見えなくなります。

原本が残る文書を読む

この掟書は、後世の軍記に引用された言葉だけではありません。近江八幡市が原本を所蔵し、縦四十一・八センチ、横百四十八・四センチの巻子として伝わります。三紙を継いだ本文に十三か条が記され、末尾に天正五年六月の日付と朱印があります。

『信長公記』は安土城や信長の時代を読む重要な記録です。ただし、今回の原文は『信長公記』から採ったものではありません。信長が安土山下町中へ出した掟書そのものを資料としています。

出典を分けると、何が分かるかも明確になります。年代記を読むと、出来事の流れが分かります。掟書を読むと、町へ向けて何を命令し、何を免除したかが条文の形で分かります。

この三行から言えないこと

安土で座がどの程度なくなったかは、この三行だけでは測れません。布告と実施は同じではなく、地域や商種による違いも別の史料で確かめる必要があります。

すべての商人が命令どおり安土へ泊まったとも決められません。違反や取締りの実態は、条文の存在だけでは分かりません。

信長が日本で初めて自由市場を作った、とも言えません。安土以前にも楽市に関わる命令があり、安土の掟書の特徴は十三か条という豊かな内容にあります。

現代の規制緩和と同じ制度だ、と置き換えることも避けるべきです。座、諸役、公事、街道、城下町という当時の関係の中で出された命令です。

楽市を一語で済ませない

第一条では、安土が楽市とされ、座や諸負担が免除されます。街道の商人を安土へ向かわせ、宿泊させる命令が第二条にあります。そして、荷物の積み下ろしは荷主に任せます。

自由、強制、選択。この三つが、冒頭の二条に同居しています。

信長の経済政策を「自由化」の一語で称賛するだけでも、「統制」の一語で退けるだけでも、条文の組み合わせは残りません。免除で人を引き、命令で流れを寄せ、商品の扱いには一部の判断を残す。安土の楽市を、町を作るための具体的な操作として読むと、輪郭がはっきりします。

出典

天正五年六月「安土山下町中掟書」。近江八幡市所蔵。近江八幡市歴史浪漫デジタルアーカイブの原本画像と、同館公開の翻刻・読み下し・要約により、第一条・第二条の字句と十三か条全体の位置を確認した。書誌情報と文化財の解説は国立国会図書館サーチおよび文化庁「文化遺産オンライン」による。原文の句読点、中黒、三行の区切りは読みやすさのために補った。