甲陽軍鑑を読む · 04
軍法の根は「よき法度」にある——『甲陽軍鑑』品第四十一
勝つ技を磨けば、軍法は完成するのか。品第四十一は、勝利から大将の采配へ戻り、さらに法度と人の扱いへ進みます。派手な策より先に何を整えるのか。原文の段取りを追います。
今回の一節の新規現代語訳
武略・智略・計策という三つの作法と手立てを知り、それらを考え合わせて勝利を得る技を、すぐれた軍法という。
そのような軍法の根を尋ねると、大将がよく采配を執ることが肝要となる。
よい采配の根には、よい法度がある。
よい法度には、五つの根がある。
原文
右の武略智略計策三ツの作法其すべを知て是を謀りて勝利をうるわざを指て能き軍法と申す。
如此よき軍法と云ふ此元を尋るに大将のさいはいを能とり給ふ事肝要なり。
よきさいはいの其もとはよき法度なり。
よき法度の其元は五ツあり。
語句の注
- 武略
本文では、城や陣の構え、備えの立て方などに関わる作法として説明されています。 - 智略
敵の大将の有無、敵味方の乱れ、相手の動きなどを見分け、ふさわしく応じる判断です。 - 計策
敵国の事情を探り、内情や人の動きを利用する策です。品第四十一では武略・智略と分けて語られます。 - さいはい
采配。ここでは道具の名だけではなく、大将が人と軍勢を指図する働きを指します。 - 法度
家中で守らせる決まりです。続く五項目では、人の見分け、功績の評価、恩賞、慈悲、怒りと処罰が扱われます。
軍法を勝ち方だけで終わらせない
品第四十一は「軍法の巻」の入口に置かれています。書き出しでは、個人が向き合う勝負と、国を持つ大将が扱う軍陣を分けます。前者で鍛えるのが兵法。後者で要るのが軍法です。本文の分け方は明快です。
軍陣には人数がいます。城攻めもあります。敵は弱いとは限りません。少数のときもあれば、大軍のときもあります。そこで武略、智略、計策が要ると説きます。
引用は、その説明を受けたところから始まります。三つの作法を知るだけでは足りません。時と相手に合わせて考え、勝利までつなぐ。そこまでできて「能き軍法」と呼ばれます。
ただし話は、勝ち方の礼賛で終わりません。むしろ逆です。勝利を得る技から、その技を使う大将へ戻ります。さらに大将から法度へ戻る。根をたどる書き方です。
武略・智略・計策は同じものではない
「三ツの作法」を一語の戦略にまとめると、品第四十一の細かな分け方が消えます。武略では、城を構え、陣を取り、備えを立てる仕事が挙げられます。人と場所をどう配置するか。形に関わる話です。
智略では、敵の状態を読みます。大将がいるか。軍勢は整っているか。動こうとしているか。味方の状態も見落とせません。相手だけでなく、双方を見て応じます。
計策では、敵国の内側へ目を向けます。出家、町人、百姓など、才覚のある者を使う話が置かれています。敵方の好みや、民から疎まれている点を聞き取る。内応する者を探る。本文はそう続きます。
三つは重なります。けれど役目は違います。陣形だけでも、観察だけでも、内情を探るだけでも終わらない。大将はそれらを組み合わせます。その結果が勝利です。
采配の奥に法度を置く
勝利のすぐ下には、大将の采配が置かれます。ここでいう采配は、合図を送る道具だけではありません。誰をどこへ置くか。何を命じるか。功をどう扱うか。軍勢をまとめて動かす指図です。
ところが采配にも根がある、と書かれます。それが「よき法度」です。気分だけで命令しても、人は同じ基準で動けません。昨日と今日で賞罰が変われば、功を立てた者も先を読めません。だから決まりが要ります。
ここは大事です。法度は、戦いの外にある行政文書として置かれていません。軍法の内側にあります。勝利へ至る道を逆にたどると、法度へ行き着く。品第四十一はそう組み立てます。
策が先ではありません。土台が先です。
五つの根は人を見るところから始まる
四行の直後には、法度の根が五つ並びます。第一は、大将が人をよく見分け、その奉公人の得意なことを知り、役目を命じることです。人には違いがあります。同じ役を一律に与える話ではありません。
第二では、手柄と無手柄をそれぞれ上・中・下に分けます。しかも「大将の私しなく」とあります。好き嫌いを混ぜない。鏡で物を見るように分ける。そう求めます。
人を見ることと、功を量ること。似ていますが別です。適性を見抜いて役を決めるのが先。働いた後には、その結果を公平に確かめます。任命と評価を分けて考えています。
人数を並べれば軍になるわけではありません。適所が要ります。公平な検分も要る。大将の目が曇れば、法度の最初から崩れます。
恩賞、慈悲、怒りを別々に置く
第三は恩賞です。手柄の上・中・下に応じて恩を与え、言葉のかけ方も変えるよう求めます。褒美の有無だけではありません。功の差を認めます。
第四は慈悲です。短い。大将が慈悲をなすことは肝要だ、とだけ掲げます。続く説明では、身分の低い者の忠節が埋もれないように理非を正すことへ話が及びます。ここでの慈悲は、何でも許す甘さではありません。
第五には怒りが出ます。怒りがまったくなければ、奉公人に油断が生じる。しかし怒るときも、罪の重さに応じなければなりません。許す場合もある。処罰の強さを一つに固定しないのです。
慈悲と怒りは反対に見えます。本文では、どちらも法度の根です。人をいたわること。過ちを裁くこと。その双方から依怙贔屓を退けようとしています。
法度は命令文だけではない
現代語の「規則」からは、禁止事項の一覧を思い浮かべがちです。品第四十一の五項目は、もっと広い。大将の見方や態度まで含みます。
誰を登用するか。働きをどう比べるか。何を与えるか。弱い立場の者をどう扱うか。罪をどう裁くか。どれも人に向けた判断です。紙に命令を書けば終わる話ではありません。
だから「よき法度」の根に、大将自身の振る舞いが並びます。下の者にだけ守らせる規則ではない。上に立つ者の目と感情も問われます。そこが品第四十一の厳しいところです。
法度がよければ、采配もよくなる。采配がよければ、三つの作法を働かせやすい。本文はその筋道を逆向きに語ります。読者は勝利から根へ下りていきます。
信玄の実際の法令集とは分けて読む
品第四十一には、信玄の軍法という枠があります。続く説明でも信玄の裁定や家臣の配置が語られます。それでも、引用した四行を武田家の同時代法令そのものとは呼べません。
『甲陽軍鑑』は、武田家の記憶、人物評、合戦談、軍法論などをまとめた書物です。成立と伝来にも議論があります。ここで確かめられるのは、品第四十一が「よい軍法」をどう説明しているかです。武田家で同じ文言が法令として発布された、とまでは分かりません。
書物の規範と、当時の実務も同じではありません。「こうあるべきだ」と書かれたことは、いつも守られた証拠にはならない。むしろ守れない問題があったから、言葉にされた場合もあります。
規範として読む。それが安全です。
四行から言えないこと
第一に、武田軍がいつも武略・智略・計策を正しく使い分けたとは言えません。四行はよい軍法の定義です。実戦の成績表ではありません。
第二に、法度さえあれば勝てる、とも書かれていません。地形、人数、敵の状態、陣の構え。品第四十一は多くの条件を扱います。法度は根ですが、それだけで結果は決まりません。
第三に、五項目が武田家の法令を漏れなく数えた一覧だとは限りません。ここで数えられるのは、品第四十一が「法度の元」として選んだ五つです。別の文書群を包み込む一覧ではありません。
第四に、現代の会社や組織へそのまま移すための教訓ではありません。語られているのは、武家の大将、奉公人、手柄、恩賞、罪科です。歴史上の語の位置を保って読みます。
勝利から根へ戻って読む
武略、智略、計策を合わせ、勝利を得る。それだけなら、巧みな作戦の話です。品第四十一は、そこで止まりません。誰が指図するのか。その指図は何に支えられるのか。さらに問いを戻します。
答えは法度でした。しかも法度の根には、人を見ること、公平に功を量ること、ふさわしく報いること、慈悲を持つこと、怒りと処罰を調整することが置かれます。
戦いの結果から、家中の日常へ。短い四行の向きはそこにあります。勝利は最後に現れます。準備は、そのはるか前から始まっています。
出典
『甲陽軍鑑』巻十五、品第四十一「軍法序」。同品は武略・智略・計策を分けて説明し、引用箇所の直後に「法度の元」五項目を置きます。底本は温故堂刊本(明治二十五・二十六年)、国立国会図書館デジタルコレクション・画像百八十七コマです。版の系統については国文学研究資料館・CODHの書誌が、明暦二年(一六五六)京都刊、二十三冊・二十巻の版を記録しています。