信長公記を読む · 02

本能寺の「是非に及ばず」とは——『信長公記』の三行を読む

「仕方がない」と訳されるあの一句は、人生を振り返った独白ではありません。本能寺が囲まれた。信長が誰の仕業かと問う。森乱が明智方だと答える。その返事として置かれています。

今回の一節の新規現代語訳

すでに信長公の御座所である本能寺を取り巻き、軍勢が五方から乱れ入った。
信長が「これは謀叛か。誰の企てか」と仰せになったところ、森乱が「明智の者と見えます」と申し上げた。
すると信長は「是非に及ばず」と仰せになった。

『信長公記』巻十五、第三十二段「信長公本能寺にて御腹めされ候事」。本能寺が囲まれ、森乱が寄せ手を明智勢と見定め、信長が言葉を返すまでの三行です。

原文

既に信長公御座所本能寺取り巻き、勢衆五方より乱れ入るなり。
「是は謀叛か。如何なる者の企てぞ」と御諚の処に、森乱、「明智が者と見え申し候」と言上候へば、
「不及是非」と上意候。

『信長公記』巻十五、第三十二段「信長公本能寺にて御腹めされ候事」の三行。甫喜山景雄刊『我自刊我書』下巻(一八八一年)、国立国会図書館デジタルコレクション・画像四十八コマにより、文字形と句読点を整えました。

語句の注

  • 不及是非
    漢文調の表記を、日本語の語順で「是非に及ばず」と読みます。「是非」は善悪、正否、可否を一組にした語。「及ばず」は、そこまで論じる段階に届かない、という意味です。
  • 御諚・上意
    どちらも主君の言葉を指します。前者が信長の問いを導き、後者が「不及是非」を信長の発言として結びます。
  • 森乱
    本文にある呼び名。後世に森蘭丸として知られる近習ですが、ここでは原文の表記のままにしました。
  • 五方
    五つの方向。三行に攻め手の配置図はありません。あちこちから本能寺へ入った、と短く伝えるだけです。

三行は「問い、報告、上意」で進む

「是非に及ばず」だけを取り出すと、信長が自分の運命を見通して語った格言に聞こえます。ところが引用した三行は、独白ではありません。短いやり取りです。第一行で本能寺が囲まれ、軍勢が乱入する。第二行で信長が何事かと問い、森乱が明智方と見えると答える。第三行で、はじめて「不及是非」が出ます。

この順を守れば、何に対して言ったのかが分かります。信長は、人生の是非を論じてはいません。目の前の騒ぎが謀叛で、しかも明智方だと知らされた。その直後の返事です。この一句を理解する手がかりは、信長の性格を想像することではありません。直前に何を問い、何を知らされたか。そこにあります。

原文は「御諚」「言上」「上意」と、身分の上下が分かる語でやり取りを組み立てます。森乱の報告は「見え申し候」と、推測を含んだ言い方です。信長の返事は「上意」で結ばれます。たった三行ですが、囲まれたと知るところから、相手を特定するところまで、段階を踏んでいます。

「是非」は善悪だけを指すのではない

いまの「是非」は、「ぜひ来てください」のように強い希望を表します。けれども「是」と「非」を並べた本来の形は、正しいか誤りか、よいか悪いか、認めるか退けるか。両側を指します。「是非を論ずる」「是非を決する」の「是非」です。

そこへ「及ばず」が付きます。だから「正しいか誤りかを検討するところまで届かない」「可否を論じている場合ではない」。そういう骨格になります。何についての可否なのかは、一句だけでは分かりません。直前の「明智が者」という報告が、それを埋めます。すでに攻め手が寺の中に入っている。相手の行いを評価したり、事情を問い返したりする場面ではない。そう読めます。

ただし、語義から信長の内面まで決めることはできません。驚きか、断念か、怒りか、即断か。本文に感情を表す語はありません。あるのは問いと返事です。感情の名前は、後の読者が付け足した部分です。

「仕方がない」だけでは狭すぎる

「是非に及ばず」は、よく「仕方がない」と訳されます。短くて自然です。起きたことはもう変えられない、という感じも伝わります。ただし「仕方がない」には、受け身の諦めが強く響きます。原文の「是非」と「及ぶ」の関係は見えなくなります。議論をそこで打ち切る働きも薄れます。

本記事では、現代語訳でも「是非に及ばず」を残しました。古語をそのままにしたのではありません。この一句に平易な言い換えを一つだけ当てると、かえって意味が狭まるからです。説明のほうで「もう正否や可否を論じる段階ではない」という幅を示し、諦めとも決断とも読める余地を残しました。

「議論している時間がない」と訳す手もあります。場面の切迫には合います。けれども原文に、時間を表す語はありません。時間が足りないというのは、文脈から引き出した解釈です。本文そのものの語義とは分けて示します。

直後の行動と並べて読む

この句のあとも、『信長公記』は続きます。攻め手が御殿へ入り、近習たちが応戦します。同じ段の後ろのほうでは、信長が弓を取り、弦が切れると槍に持ち替え、肘に傷を負って奥へ下がった、と書かれます。ですから、この場面を「何もせず運命に身を任せた」と読むのは、話の流れに合いません。

とはいえ、そのあとの行動から「是非に及ばず」の意味を逆算することもできません。戦ったのだから「断固として戦え」という命令だったはずだ。そこまで決めるのは行き過ぎです。一句に、作戦も、命令の相手も書かれていません。文脈が教えてくれるのは、返事のすぐあとに抵抗の場面が続く、という接続だけです。

諦めか、決意か。二択にすると、人物像をどちらかへ押し込むことになります。原文の短さを大事にするなら、まずこう確かめます。相手が明智方だと分かった時点で、是非を論じるのをやめた。そして話が行動へ移った。

「最後の言葉」とは書かれていない

この一句は「信長最期の言葉」として紹介されることがあります。ところが引用した三行に、これが最後の発言だという注記はありません。同じ段の後ろには、信長が身近な女性たちへ外へ出るよう命じた言葉も出てきます。『信長公記』の順に従うかぎり、「是非に及ばず」を文字どおりの最終発言とは呼べません。

分けておきたいのは二つです。「最期の場面で語ったと記される言葉」と、「生涯最後の一言」。前のほうなら、本文が支えます。後のほうは、長い場面を象徴的な一句に縮めた言い方です。劇や小説の見出しとしては効きますが、史料の説明では混ぜないほうが正確です。

三行から、明智光秀が謀叛を起こした動機も読み取れません。森乱は攻め手を明智方と見ましたが、なぜそうなったかは言いません。怨恨、野心、政治的な事情。どの説も、この一句の意味からは証明できません。

声の記録ではなく、牛一が構成した場面

『信長公記』は太田牛一に結びつく大事な記録です。ただし、その場の声を録音したものではありません。信長の問いも、森乱の報告も、「不及是非」という返事も、書かれて、伝えられて、いまここにあります。確実に言えるのは、本文がこの順で発言を並べている、ということです。

この但し書きは、史料の値打ちを下げません。むしろ牛一の組み立て方を読むと、事態がどう飲み込まれていったかが分かります。外の騒ぎが「謀叛か」という問いになる。敵の正体が森乱の報告で分かる。それ以上は論じずに、次の行動へ進む。三行の短さが、そのまま切迫した場面になっています。

本文の系統にも注意が要ります。本記事は一八八一年刊本下巻の字面を使いました。岡山大学附属図書館は池田家文庫の『信長記』巻十五を公開し、太田牛一の自筆本として記録しています。伝本が複数ある以上、どの本文を引用したかを書いておく。違う字面を黙って混ぜない。ここは崩せません。

短い言葉を格言にしない

「是非に及ばず」は短く、覚えやすく、人物の性格を一言で表したように見えます。だから潔さ、運命の受け入れ、冷静さ。いろいろな意味が重ねられてきました。けれども原文に戻ると、この句は人生訓ではありません。報告に対する返事です。

読み取る範囲を狭くするほど、場面はかえって具体的になります。本能寺はすでに囲まれ、軍勢が入っている。信長は謀叛かと問い、誰の企てかを確かめる。明智方だと聞いたところで、是非を論じるのをやめる。三行のこの順を守れば、有名な一句を英雄の決め台詞にも、単なる諦めにも固定せずに読めます。

出典

太田牛一『信長公記』巻十五、第三十二段「信長公本能寺にて御腹めされ候事」。底本は甫喜山景雄刊『我自刊我書』下巻(一八八一年)、国立国会図書館デジタルコレクション・画像四十八コマ。伝本の背景については、岡山大学附属図書館・池田家文庫「信長記 巻第十五」を参照した。同館はこの巻を太田牛一の自筆本、国指定重要文化財として記録している。