信長公記を読む · 07

安土城は何重か——石蔵を一重と数える『信長公記』

安土天主の内部を語る記事は、金の座敷から始まりません。最初に石蔵へ入ります。その内側を土蔵として使い、一重目に数えています。

今回の一節の新規現代語訳

安土山の天主が、どのようになっていたか。
石蔵の高さは、十二間余りでした。
石蔵の内側を一重目の土蔵として使いました。ここから数えて七重です。

『信長公記』巻九、第六「安土御普請首尾仕之事」にある「安土山御天主之次第」の書き出しです。この後、石蔵の上にある二重目から上七重目まで、部屋、絵、柱、金具、職人が順に記されます。

原文

安土山御天主之次第。
石くらの高さ十二間余也。
石くら之内を一重土蔵に御用、是より七重也。

『信長公記』巻九、第六「安土御普請首尾仕之事」冒頭の三行、句読点を除いて三十九字です。甫喜山景雄刊『信長公記』中巻(明治十四年)、国立国会図書館デジタルコレクション・画像十五コマにより、句読点と改行を整えました。

語句の注

  • 天主
    安土の中心となる多重の建物です。底本の表記に合わせて「天主」とします。
  • 次第
    物事の順序や有様です。ここから各重の内部が下から上へ並びます。
  • 石くら
    石垣で造られた基部と、その内側の空間です。原文では漢字の「石蔵」に統一されていません。
  • 一重
    最初の階です。石蔵内の土蔵を一重目に入れています。

  • 長さの単位です。この記事では、現代の長さへの換算をせず、原文の「十二間余」を保ちます。

一重目は石の内側にある

安土城の天主と聞くと、高くそびえる外観を思い浮かべます。屋根が重なる。上の階が金色に輝く。そんな姿です。

ところが、巻九の記事は外から見える階を一重目にしません。石蔵の内側へ入ります。そこを土蔵として使います。そして一重目と数えます。

次の段落は「二重石くらの上」と始まります。二重目は石蔵の上です。そこから三重目、四重目、五重目、六重目、上七重目へ進みます。

七重という数え方には、石の内側が入っています。見た目だけで数えると、最初の一重を落とすかもしれません。

土蔵も天主の一部だった

一重目の用途は土蔵です。華やかな座敷ではありません。物を納める場所です。

地味に見えます。それでも『信長公記』は、天主の次第から外しません。石蔵内の土蔵を最初に置き、その上へ部屋を重ねます。

二重目以降では、畳数や絵の題材が細かくなります。梅、花鳥、龍虎、竹、松、鳳凰などが出ます。柱の数もあります。御膳を拵える所や物置もあります。

つまり、この記事は外観の紹介だけではありません。中で何をするか。どんな部屋があるか。何が描かれているか。内部の使い方を追います。

その最初が土蔵です。飾りのない場所から、安土天主の案内が始まります。

「是より七重」をどう読むか

「是より七重」とあります。「ここから七重」と読みました。

基準になるのは、直前の一重土蔵です。一重目を石蔵内に置き、次に石蔵の上を二重目とします。後の並びも七重まで続きます。

そのため、石蔵を数に入れず、地上の見える所から七階を重ねる読み方とは違います。原文の番号に従えば、内側の土蔵が一です。

ただし、「重」と現代の「階」を何も考えずに同じ語へ置き換えると、混乱します。外から見える屋根の数。内部の床の数。記事で付けられた番号。それぞれ別の数になり得ます。

ここでは、太田牛一の文章がどう数えたかに絞ります。一重は石蔵の中。二重は石蔵の上。上七重まで続く。そこは明確です。

十二間余をメートルに直さない

石蔵の高さは十二間余りとあります。大きな数字です。

すぐにメートルへ換算したくなります。けれども、換算値だけを出すと、確かな印象が先に立ちます。どの部分を石くらと呼んだのか。どの間尺で考えるのか。現存する石垣とどう比べるのか。別の問題が残ります。

引用した三行は、建築の設計図ではありません。測った方法も書きません。異なる写本の字も調べる必要があります。

だから、十二間余という記録は残します。現代の寸法には直しません。

数字を消す必要はありません。数字から先へ走らないことが大切です。『信長公記』の底本に「十二間余」とある。記事で安全に言えるのはそこまでです。

二重目から説明の密度が上がる

三行の直後には、二重目の広さと高さが来ます。南北と東西の長さがあり、柱の数も記されます。その後、部屋ごとに畳数や絵が並びます。

最初に数え方を決めます。石蔵の中を一重にする。その上を二重にする。基準ができれば、読者は上へ進めます。

三重目には花鳥の間があります。四重目には岩の間、竹の間、松の間が出ます。五重目は絵がないとされます。六重目は八角です。上七重目は内も外も金です。

これらを一度に引用すれば、記事は豪華になります。しかし、原文の抜粋量も増えます。今回は冒頭だけです。各重の細部は要約にとどめます。

最初の三行だけでも、後の長い説明を読むための目盛りが分かります。

黄金の城から読み始めない

安土城の紹介では、金色の上層が目を引きます。『信長公記』にも金の記述があります。六重目の内柱は金です。上七重目は内外とも金とされます。

しかし、冒頭に金はありません。石蔵、高さ、土蔵、七重です。

金から読み始めると、天主全体が同じように金で覆われていたかのような印象を持ちます。巻九の説明は、重ごとに違います。絵のある部屋も、ない所もあります。黒漆もあります。朱の外柱もあります。

土蔵から上七重まで、性格の異なる空間が重なります。だから下から順に読む必要があります。

石の中に一重目がある。その一点を押さえると、黄金の上層も建物の一部として落ち着きます。

一重と二重の境目は石蔵にある

一重目は「石くら之内」です。二重目は「石くらの上」です。

内と上。二つの言葉で境目が分かります。

石蔵の内側に土蔵があります。その上へ二重目の座敷が載ります。三行だけでは断面図を描けません。それでも、階番号が切り替わる場所は読めます。

この境目があるため、七重を同じ形の七階とは考えにくくなります。一重目は石に囲まれた土蔵です。二重目には多くの座敷があります。六重目は八角とされます。各重の姿も用途も同じではありません。

七という数字に沿えば、異なる空間を一つの順番として読めます。数が同じだから、部屋の性格まで同じになるわけではありません。

完成日を告げる三行ではない

節の題には「普請首尾仕」とあります。完成の有様を語る記事です。ただし、引用した三行に日付はありません。

巻九の第一には、正月中旬の普請開始と二月二十三日の移住があります。四月から石垣と天主の工事へ進みます。時間の経過は、そちらの記事にあります。

第六では書き方が変わります。何月何日にどこまで出来たかではなく、天主の各重を順番に説明します。

そこで、三行から完成日を決めることはできません。工期も分かりません。どの重を先に造ったかも書かれていません。

分かるのは、記録された建物の数え方です。石蔵内を一重とし、そこから七重とします。日付の問いと構造の問いを分けると、原文を無理に働かせずに済みます。

部屋の名は上へ進む目印になる

二重目以降には、梅、鶏、花鳥、龍虎、竹、松などが現れます。絵は飾りです。同時に、部屋を呼び分ける手掛かりにもなります。

花鳥の間。岩の間。竹の間。松の間。御鷹の間。名前を追うと、長い列の中で場所を見失いにくくなります。

ただし、部屋名のすべてが当時の正式名称だったかは、本文だけでは分かりません。「則ち花鳥の間と申す」と書く所があります。絵柄から呼んだことが分かる例です。

今回の三行には部屋名がありません。最初の目印は用途です。土蔵。その次から、広さや絵や柱が加わります。

下から上へ読むと、説明の種類も変わります。収納から座敷へ。寸法から絵へ。さらに金具や職人へ。この数え方に沿えば、多くの情報を見失わずに読めます。

三十九字から言えないこと

第一に、完全な平面図は作れません。階段、壁、出入口の位置は、三行にありません。

第二に、石蔵の高さを現代の尺度で確定できません。単位を置き換えるだけでは、何を測った数字かが決まらないからです。

第三に、すべての写本が同じ字句だとは言えません。この記事は甫喜山景雄刊の明治十四年版を底本にしています。

第四に、七重すべてが同じ日に完成したとは分かりません。巻九の第一では普請開始と信長の移住が別の日付で記されます。第六は、工事日誌ではなく天主の有様を順に述べる記事です。

第五に、天主だけで安土城全体を語ることはできません。山下の屋敷、道、湖からの出入り、職人、普請奉行も別に記されます。

文章の中を下から上へ進む

天主の次第。石蔵の高さ。石の内側にある土蔵。ここまでが三行です。

次は石蔵の上です。二重目に上がります。そこから七重目まで、一段ずつ進みます。

外観を先に置くと、見える階を数えたくなります。原文を先に置けば、数え始める場所が分かります。

一重目は土蔵です。

金の部屋でも、狩野永徳の絵でもありません。石の内側にありました。『信長公記』が記した七重は、そこから始まります。

出典

『信長公記』巻九、第六「安土御普請首尾仕之事」にある「安土山御天主之次第」冒頭。底本は甫喜山景雄刊『信長公記』中巻(明治十四年)、国立国会図書館デジタルコレクション・画像十五コマ。同節は石蔵内を一重と数えた後、二重目から上七重目までを順に記し、末尾で金具、大工、塗師、瓦職人、普請奉行の名を挙げる。