呉子を読む · 05

家臣が誰も及ばないとき、君主は喜んでよいのか

会議を終えた魏の武侯は、自分に及ぶ家臣がいなかったことを喜びました。呉起は、同じ出来事を前にして顔を曇らせた楚の荘王の話を始めます。

今回の一節の新規現代語訳

武侯が、ある政務について家臣たちと相談したことがありました。家臣の中に武侯へ及ぶ者はなく、朝議が終わると、武侯の顔には喜びの色がありました。
呉起が進み出て言いました。「昔、楚の荘王が家臣たちと政務を相談したところ、王へ及ぶ者がいませんでした。朝議が終わると、荘王の顔には憂いの色がありました。
申公が『どうして憂えておられるのですか』と尋ねると、王は答えました。『世から聖人が絶えることはなく、国から賢人がいなくなることもないと聞いている。師とする人を得た者は王となり、友とする人を得た者は覇者となる。私は才に乏しい。それなのに、家臣は誰も私へ及ばない。楚は危ういのではないか。』
楚の荘王が憂えたことを、わが君は喜んでおられます。私はひそかに恐れております。」これを聞いた武侯の顔に、恥じる色が浮かびました。

『呉子』第一「図国」の末尾。国の備え、人々の教え方、人材の見分け方を論じた篇の最後に置かれた朝議の逸話です。この言葉で篇が閉じます。

原文

武侯嘗謀事、群臣莫能及、罷朝而有喜色。
起進曰:「昔楚莊王嘗謀事、群臣莫能及、罷朝而有憂色。
申公問曰:『君有憂色、何也?』曰:『寡人聞之、世不絕聖、國不乏賢。能得其師者王、能得其友者霸。今寡人不才而群臣莫及者、楚國其殆矣。』
此楚莊王之所憂而君說之、臣竊懼矣。」於是武侯有慚色。

『呉子』第一「図国」末尾の四行、句読点を除いて百十字。汪桓訂正『標題武経七書全文』巻二(大坂・文金堂、弘化三年)画像八により、句読点と改行を整えました。同版本では二か所とも「罷朝」と読めます。

語句の注

  • 武侯
    魏の君主です。現行本の『呉子』では、武侯が問い、呉起が答える形で多くの議論が進みます。
  • 謀事
    政務を相談し、方策を練ることです。何を議題にした朝議なのかは書かれていません。
  • 罷朝
    朝議が終わることです。活字翻刻には、荘王の側を「退朝」とするものもあります。
  • 師・友
    君主が教えを受ける相手と、対等に意見を交わせる相手です。単に親しい人を二種類に分けた言葉ではありません。
  • 王・覇
    古代中国の政治を語る際に用いられた君主の評価です。ここでは、師や友を得ることの重さを言うために並びます。

同じ結果なのに、二人の顔は違います

朝議では、君主と家臣が政務を論じました。結論そのものは書かれていません。ただ、家臣の中に君主へ及ぶ者がいなかった、とあります。

魏の武侯は喜びました。自分の考えが最も優れていた。そう受け取ったのでしょう。短い一文です。

ところが、呉起が語る楚の荘王は憂えます。起きたことは同じです。家臣の答えは、君主の考えへ届きませんでした。それでも、荘王は自分を誇りません。

文章は、二つの朝議をほとんど同じ言葉で並べます。「群臣、能く及ぶ莫し」まで同じです。そのあとだけが変わります。喜色か。憂色か。

読みどころは、家臣の優劣だけではありません。君主が結果をどう受け止めたかです。自分が勝ったと考えるのか。それとも、誰からも学べない場所に立ってしまったと疑うのか。呉起は、顔色の違いから話を始めます。

荘王は「賢人がいない」とは言いません

荘王の答えは、意外な前提に立っています。世から聖人が絶えることはない。国から賢人がいなくなることもない。人材はいる、と考えるのです。

それなら、朝議で誰も君主へ及ばなかった理由を、人材不足だけでは片づけられません。見つけられなかったのか。招けなかったのか。登用した後に力を出させられなかったのか。本文は、どれか一つに決めません。

だからこそ、君主の側に疑いが戻ります。家臣が弱かった。そこで話を終えないのです。賢い者がいるはずなのに、なぜ自分の前には現れないのか。荘王は、その不一致を危険と考えます。

朝議の一勝は、君主の才を褒める材料になります。しかし、別の読み方もできます。反論できる人が席にいない。あるいは、いても言葉を出せない。何が起きたかは分かりません。ただ、喜ぶだけでは調べる機会を失います。

「師を得る」とは、教わる席を残すことです

荘王は、師を得た者は王となる、と言います。君主より上の官位を置く話ではありません。知恵の面で、自分が教わる相手を認める話です。

命令する立場に慣れるほど、教わることは難しくなります。部下は、君主の意向を先に読みます。誤りを直すより、望まれた答えを返すほうが安全です。本文は、武侯が反論を罰したとは書いていません。それでも、上下のある場には偏りが生まれます。

師を持つとは、その偏りを完全になくすことではありません。少なくとも、自分より分かる人がいると認めます。君主の判断が最後に通るとしても、その前に教わる席を残すのです。

ここで「師」が先に出る点も大切です。賢人を召し抱えるだけでは足りません。知っている人を下に置き、その知識を使わせるだけでも足りません。君主自身が学ぶ側へ回れるかどうかが問われます。

「友を得る」は親しさの話だけではありません

次に出るのが「友」です。友を得た者は覇者となる、と続きます。気の合う遊び相手を持つ、という意味では読めません。

友なら、相手の言葉を命令への返答としてだけ聞かずに済みます。一方が問い、他方が答える。さらに答えへ問い返す。上下関係が残っていても、考えを往復させる余地があります。

古代の宮廷を、現代の対等な友人関係へ置き換えるのは危険です。身分は消えません。君主の権力も残ります。けれども、「師」と「友」をわざわざ並べた理由は考えられます。

どちらも、君主の外から言葉が入る関係です。師からは教えを受けます。友とは考えを交わします。家臣を命令の受け手とだけ見れば、二つとも育ちません。

呉起は、別の君主の話を借ります

呉起は、いきなり「お喜びになるのは間違いです」とは言いません。まず、楚の荘王を登場させます。武侯と同じ経験をしながら、反対の顔をした君主です。

話の作りは巧みです。武侯は、他人の逸話として聞き始めます。荘王がなぜ憂えたのかを追ううちに、自分の喜びと比べざるを得なくなります。最後に呉起が二人を重ねます。

「荘王が憂えたことを、わが君は喜んでいる。」短い指摘です。そこまで聞けば、説明を重ねる必要はありません。武侯の顔に恥じる色が出ます。

諫める側にも危険はあったはずです。君主の喜びに水を差します。しかも、人材を見る力まで問うことになります。呉起は正面から侮辱せず、同じ場面を映す鏡を差し出しました。

会議に勝つことと、国を治めることは別です

武侯は、議論では勝ったのかもしれません。少なくとも、本文は家臣が及ばなかったと認めています。呉起も、その点を否定しません。

しかし、国を治める仕事は、一度の議論で終わりません。君主がすべての問いへ最良の答えを出し続ける保証はないからです。次の問題は変わります。必要な知識も変わります。

自分の答えが常に最良だと思えば、異論は余計になります。やがて、朝議は確認の場になるでしょう。君主が考え、家臣がうなずく。それでは、集まる人数が多くても知恵は増えません。

荘王が恐れたのは、一人の家臣に勝ったことではありません。自分へ届く声が一つもない状態です。だから、国の危うさへ話が進みます。君主一人の誤りが、国全体の誤りになりかねません。

図国篇の最後に、この話が置かれます

「図国」は、国をどう備えるかを論じる篇です。民を教えること、国と軍と陣の和を整えること、道・義・礼・仁を守ることなど、話題は広く続きます。敵を前にした戦法だけを集めた篇ではありません。

その締めくくりに、朝議の場面が来ます。軍勢の数でも、城の堅さでもありません。君主が自分より優れた声を持てるかどうかです。

国を図る仕事では、最初の判断を下す人だけでなく、判断を直す人も要ります。一人で正解した経験が重なると、訂正する声は不要に思えるでしょう。そこに落とし穴があります。

武侯の喜びは、一度の会議だけを見れば自然です。自分の案が勝りました。ところが篇全体の終わりに置くと、別の重みが加わります。国の備えをどれほど論じても、君主が学べない状態になれば、判断を更新する道が細くなるからです。

呉起は、武侯の能力を低いとは言いません。家臣を強くせよ、とも直接には命じません。喜び方を疑わせます。そこからなら、人の選び方、問う相手、朝議の進め方を見直せます。

恥じるだけでは、師も友も得られません

最後に武侯は恥じます。大切な変化です。呉起の諫言を退けず、自分の喜びが危うかったと気づきました。

ただし、顔色が変わっただけです。師を迎えたとは書かれていません。家臣の席順を改めたとも、発言の機会を増やしたとも読めません。反省と人事は別です。

恥は出発点になります。自分の誤りへ気づいたからです。しかし、そこで安心すれば、また武侯の喜びと同じことが起きます。反省できる自分を褒めて終わるからです。

師を得るには、自分より分かる人を探さなければなりません。友を得るには、耳の痛い言葉が戻ってくる関係を保たなければなりません。どちらも、一度うなずくだけでは続きません。

篇の末尾が人事の結果を語らないため、読者は武侯の先を想像できます。ただし、成功を補ってはいけません。書かれているのは、喜色が慚色へ変わったところまでです。

家臣が黙っていたとは断定できません

この話から、武侯の家臣は恐れて意見を隠した、と書くことはできません。本文は「及ぶ者がなかった」とだけ記します。家臣たちが力を尽くした末に及ばなかった可能性もあります。

武侯が日頃から異論を嫌った、とも決められません。罰した記録は出てきません。会議の議題さえ不明です。

それでも警告は成り立ちます。家臣が率直だったとしても、君主にいつも及ばないなら、集め方や任せ方を考える必要があります。沈黙が強いられた会議だけが危険なのではありません。力の差を喜んで固定することも危ういのです。

もう一つ、家臣の人数も分かりません。多くの者を集めたのか、少数の側近だけだったのかで、朝議の姿は変わります。人数を補って想像すると、原文から離れます。確かに読めるのは、武侯が優越を喜び、呉起がその喜びを危ぶんだことです。

この朝議から言えないこと

  • 武侯と家臣が何を相談したのかは分かりません。
  • 家臣が本心を隠したとは書かれていません。
  • 楚の荘王の言葉を、会話の逐語記録だと断定できません。
  • 武侯が恥じた後、人事や朝議を改めたかどうかは分かりません。

最後に残るのは、恥じた顔です

呉起の言葉を聞くと、武侯は恥じました。喜びは消えます。訂正は届きました。

けれども、篇はそこで終わります。誰を師としたのか。誰を友として遇したのか。新しい賢人を招いたのか。続きは書かれません。

この終わり方は慎重です。恥じたから国が安泰になった、とは言いません。反省の表情と、制度や人事の変化は別だからです。

武侯が見たのは、自分の知恵の高さでした。呉起が見せたのは、その高さが生む孤立です。誰も及ばない。その事実を誉れとするか、危険を知らせる合図とするか。『呉子』図国篇は、二人の顔色を並べて読者へ残します。

出典

『呉子』第一「図国」末尾。本文は汪桓訂正『標題武経七書全文』巻二(大坂・文金堂、弘化三年)画像八で確認した。早稲田大学図書館蔵、請求記号イ13 00931。同館の書誌・版本画像による。同版本は武侯と荘王の二文をともに「罷朝」とする。句読点と四行の区切りは読みやすさのために補った。