信長公記を読む · 08
相撲に勝って御家人へ——『信長公記』常楽寺の抜擢
『信長公記』巻三の冒頭には、常楽寺で相撲に勝った二人が、信長の御家人に召し加えられる話があります。太刀と脇指をもらっただけではありません。二人には、相撲を取り仕切る役目も命じられました。
今回の一節の現代語訳
この日から御家人に召し加えられ、
相撲を取り仕切る役目を命じられた。二人にとって、まことに面目の立つことだった。
原文
今日より御家人に被召加、
相撲之奉行を被仰付、両人面目之至也。
語句の注
- 御家人
ここでは信長の家人として召し抱えられた人です。別の時代の制度上の呼称を、そのまま当てはめることは避けます。 - 被召加
召し加えられることです。信長への敬意を含む原文を、現代語訳では召し抱えられる二人の側から書いています。 - 相撲之奉行
相撲に関わる事柄を取り仕切る役目です。引用箇所では職務の細かな範囲までは説明していません。 - 両人
直前に名が出る鯰江又一郎と青地与右衛門です。相撲の会へ集まった全員ではありません。 - 面目之至
たいへん名誉なことです。二人の発言を写した形ではなく、記録する側の言い方です。
上洛の途中で、相撲を見る
巻三は、信長が上洛する途中の記録から始まります。二月二十五日に赤坂へ泊まり、翌二十六日に常楽寺まで出て滞在します。その後、三月三日に江州の相撲取りを召し寄せます。信長は、常楽寺で取らせて見たとあります。戦場の記事ではありません。
江州は近江です。本文には相撲取りの名前が並び、そのほかにも腕のよい者たちが大勢集まったと記されます。行事の名もあります。勝った二人の話は、そうした催しの中に置かれています。いきなり登用の法令が掲げられるわけではないのです。
勝った二人を先に確かめる
引用を始めた「今日より」の前には、鯰江又一郎と青地与右衛門の名前があります。二人が勝ったため、呼び出されたという順です。そこで現代語訳の主語は二人としました。名がないから誰か分からない、という箇所ではありません。すぐ前を読めばつながります。
ただし、二人が互いに対戦したと読むのは無理があります。二人とも勝った者として扱われているからです。どちらが誰に勝ち、何番取ったのかという詳しい組合せは、ここにはありません。参加者の名前が多いことと、すべての取組が記録されていることは別です。
太刀と脇指、その先に登用
二人は太刀と脇指を下されます。そのあとに、御家人への登用が続きます。物をもらうことと、召し抱えられることを、本文では別に書いています。だから「相撲の褒美に刀をもらった」という紹介だけでは、話の後半が残ります。身の置き所まで変わったのです。
反対に、御家人になったことだけを取り出しても、呼び出されて褒美を受けた場面が抜けます。勝つ。呼ばれる。太刀と脇指を受け取る。そして家人に加えられる。一度にまとめず、記録された順にたどると、二人がどのように信長の前へ出たかを追えます。
「今日より」で日を区切る
御家人に召し加える前に「今日より」とあります。三月三日の相撲の話の中なので、その日からと読めます。後で機会があれば使おうという約束でも、いつか登用されたという後日談でもありません。記録の上では、その場の褒美と登用が続いています。
とはいえ、それ以前の二人がどんな暮らしをしていたかまでは分かりません。家族や収入、もとの主従関係などは、引用した記述にありません。今日から信長の御家人になったと記される。その範囲を押さえれば足ります。前歴を想像して立身出世の物語へ広げる必要はありません。
御家人という字を急いで決めつけない
御家人は、歴史の授業でもなじみのある言葉です。そのため、別の時代に学んだ制度を思い浮かべやすくなります。しかし、ここで登用する側は信長です。巻三の相撲の記事に戻り、誰の家人として召し加えられるのかを確かめるところから始めます。
原文には、知行の額や勤めの細目は書かれていません。現代の雇用条件のように、待遇を一覧にすることもできません。家人への登用があったことは読めますが、長い制度の説明を二十七字の中へ詰め込むのは行き過ぎです。言葉のなじみ深さと、分かることの多さは同じではありません。
任されたのは「相撲之奉行」
役目には相撲という語が付きます。奉行という字だけを見て、軍勢の指揮官になったと読み替えてはいけません。二人は相撲に関わる仕事を命じられます。具体的にどこまで受け持ったかは書かれていませんが、少なくとも、何についての役目かは明記されています。
そこで現代語訳は「相撲を取り仕切る役目」としました。会場づくり、相撲取りへの連絡、取組の決定などを想像することはできます。しかし、どれを二人の実際の仕事として列挙できるかは別問題です。本文に細目がない以上、本記事では補っていません。
敬語の向きと、訳の主語
「被召加」「被仰付」と続く原文には、信長の行為への敬意があります。現代語では、信長が二人を召し加え、役目を仰せ付けた、と書くこともできます。今回は、二人が召し加えられ、命じられた、と受け手を続けました。出来事は同じです。
誰が命じたかを消すつもりではありません。直前から続く場面の中心には、相撲を見る信長がいます。訳で二人を主語にしたのは、褒美を受けてから役目を得るまでを追いやすくするためです。漢字を一つずつ置き換えるだけでは、こうした読み手の視点までは決まりません。
深尾又次郎には御服を下す
二人の登用が記されたあとには、深尾又次郎の話が来ます。よい相撲を面白く取り、信長の感に入り、御服を下されたとあります。こちらも褒美です。ただし、二人と同じ登用の文は、この深尾の記事には続いていません。
だからといって、深尾が一生召し抱えられなかったとは言えません。確かめているのは、同じ場面での書き分けです。二人には太刀と脇指、家人への登用、相撲の奉行。深尾には御服。記録された褒美を分けておけば、全員が同じ扱いだったという読み違いを防げます。
「面目」は誰の言葉なのか
二人の話は、面目の至りだと結ばれます。めでたい扱いです。しかし、二人が口にした感想をそのまま写した形ではありません。「二人はこう言った」という導入はないからです。まずは、書き手が名誉なこととして記したと受け取ります。
書き手の言葉だから無意味だ、ということではありません。勝って呼び出され、信長から褒美と役目を得ることを、どう評価したかが読めます。ただし、本人たちの内心まで同じだったと確定するのは別です。褒美を記す文章と、本人の手紙とでは、確かめられる事柄が違います。
相撲の起源や規則までは語らない
常楽寺で相撲を取らせたという記録から、信長が相撲を始めたとすることはできません。土俵の形、勝負を決める詳しい規則、決まり手も、引用した箇所にはありません。そうした問いを立てるなら、別の記述を探して確かめる必要があります。
また、勝った者は必ず御家人になれた、とも言えません。一般的な登用の条件を定めた文ではないからです。ここで分かるのは、名の分かる二人に何があったかです。多くの相撲取りが集まる中で、その二人が呼び出され、御家人となり、役目を得たという一件です。
取組のあとに何が起きたか
相撲の記事と聞けば、強さや勝負の様子に目が向きます。けれども、選んだ箇所には技の説明がありません。あるのは登用と役目、そして名誉を述べる言葉です。勝ったあとに誰が呼ばれ、何を下され、何を命じられたか。その順に読める記録です。
『信長公記』では、このあと上洛の旅が続きます。相撲だけで巻が終わるのではありません。その短い滞在中に、二人の身分と役目に関わる出来事が記されています。「今日より」と始めた書き方を覚えておくと、ただの見物では済まなかった一日の終わりが、具体的に読めます。
出典
『信長公記』巻三、第一「常楽寺ニテ相撲之事」。甫喜山景雄刊『信長公記』巻之上(明治十四年)、国立国会図書館デジタルコレクション・画像二十九コマ左頁、巻三冒頭により、採用した字句と前後を確認した。本文の日付は三月三日。西暦の月日への換算はしていない。書物全体については『信長公記』の原典ガイドを参照。