原典ガイド・信長公記

『信長公記』とは

織田信長の生涯を読むとき、『信長公記』は避けて通れない記録です。ただし、著者が信長に仕えたという一事だけで、全文を同時代の実況とは扱えません。太田牛一という人物、首巻と本記十五巻の違い、池田家文庫本の成り立ちから話を始めます。

『信長公記』を開くと、日付、地名、人名が次々に現れます。軍勢の道順。遣わされた使者。与えられた感状や土地。焼けた建物。討たれた人。細かな記述が残っているからこそ、合戦の通説を確かめる出発点になります。

一方で、細かく書いてあることと、書かれた内容がすべて正しいことは同じではありません。牛一は何を書き残し、何を書かなかったのか。いつまとめたのか。今読んでいる本は、どの伝本によるのか。そこまで確かめて、ようやく一節の重みが定まります。

太田牛一はどこまで見ていたのか

太田牛一は尾張の人で、信長に仕えました。岡山大学に伝わる池田家文庫本の奥書でも、牛一自身が尾張国出身で信長の臣下だったと記しています。老年に筆を執ったことも、同じ奥書から分かります。

ここで気をつけたいのは、旧臣と日記は同じ言葉ではないことです。牛一は信長の世界を内側から知る位置にいました。それでも、すべての場面に立ち会ったわけではありません。文章は後年にまとめられ、書き直しも重ねられました。

牛一の経験がどこに入り、他人から得た情報がどこに入ったのか。一文ずつの区別は容易ではありません。だからといって、価値がなくなるわけでもありません。現場を知る人の記憶と、手元の記録を用いた編纂。両方が一冊の中にあり得ます。

首巻一巻と本記十五巻

現在、『信長公記』の全体は全十六巻と説明されるのが一般的です。内訳は首巻一巻と、本記十五巻です。ただし、首巻は巻一の前に置かれた単なる前書きではありません。時間の範囲も、本記とは異なります。

首巻には、信長の若い頃から尾張統一までの話が収められています。父・信秀の死。家中の対立。斎藤道三との会見。弟・信勝との争い。そして桶狭間。同じ一年を順に追った巻ではなく、上洛以前の時代をまとめています。

本記は永禄十一年(一五六八)から始まります。信長が京都へ入った年です。そこから一年一巻で進み、巻十五は天正十年(一五八二)を扱います。本能寺の変と、信長の死後までがここに入ります。十五年。十五巻。この年次構成が、事件の前後を追う手掛かりになります。

「全十六巻」と「池田家文庫本十五冊」

二つの数が出てくるため、ここは混同しやすいところです。作品の通常の構成を数えるなら、首巻を含む十六巻。岡山大学の池田家文庫に伝わる一組を数えるなら、本記の十五巻十五冊。矛盾しているのではありません。数えている対象が違います。

池田家文庫本は、池田家が求めて作らせた本です。岡山大学附属図書館は、現存する諸本のうち最も古いと考えられる一本としています。巻十二を除き、牛一の筆によるとされています。国の重要文化財です。

また、巻十三には池田家に関わる書き足しがあります。天正八年の花隈合戦で、池田幸新、後の輝政が父や兄とともに功名を立て、信長から感状を得たという内容です。誰のために作られた本かを考えるとき、この書き足しは見逃せません。

詳しい記録ほど慎重に読む

『信長公記』の記事には、しばしば日付があります。場所と人が分かり、行動が順に置かれます。合戦の記事だけではありません。寺社、茶器、馬、書状、宴、普請、所領の処理も書かれます。信長の政治と軍事を、合戦の勝敗だけに縮めず読めるのは、このためです。

しかし、日付があれば無条件に正しいわけではありません。人が覚え違いをすることも、写し間違いが起きることもあります。人数のような数字には、場面の大きさを伝える言い回しが混じる場合もあります。発言は、その場で書き取られた速記とは限りません。

書かれていないことにも注意が必要です。ある逸話が見当たらないとき、すぐに「起こらなかった」とは断定できません。牛一が書かなかった。それは確かです。事実ではないと言い切るには、他の史料と合わせた検討が要ります。

有名な場面は一文ずつ確かめる

桶狭間では、雨が降り、その後に空が晴れ、信長の軍勢が進みます。これらの動きは首巻の文章で確かめられます。それでも、大迂回をしたのか、今川義元の本陣をどこまで把握していたのかといった問題は別に残ります。

長篠の鉄砲も同じです。鉄砲の配置と発射に関わる文言はあります。しかし、後世に広まった「三段撃ち」の像を、そのまま本文へ入れてはいけません。何人ずつ、どの間隔で、どの順に交代したのか。原文がそこまで言っているかを見ます。

本能寺の「是非に及ばず」も、一言だけで信長の心中まで決められません。言葉の意味。物語の中で発言が置かれた場面。牛一がどう語ったか。この三つを分けて読むべきです。有名な短句ほど、前後へ戻す必要があります。

読み始めるときの三つの手順

まず、引用に住所をつけます。首巻なのか、巻一から十五までのどこなのか。日付や段名は何か。直前に何があり、次に何が来るのか。まずここを確かめます。

次に、本文と推測を分けます。誰かが「言った」と書いてあっても、一語一句まで忠実な記録かどうかは別問題です。発言者の感情は、さらにその先にあります。本文にあるのは、牛一がその言葉をその場面に置いたという事実です。

最後に、必要なら他の史料と比べます。武将の書状。公家や僧侣の日記。寺社の記録。別の軍記。遺跡や出土品。問いによって必要な証拠は変わります。『信長公記』一冊で、戦国史の全部に答えられるわけではありません。

『信長公記』の記事を読む

典拠とこのページの範囲

太田牛一『信長記』の構成と池田家文庫本については、岡山大学附属図書館「古文献ギャラリー」および「信長記 巻第十五」書誌・画像により確認した。同館は、池田家文庫本を永禄十一年から天正十年までを一年一巻で記した十五巻本とし、巻十二以外を牛一自筆とする。全十六巻という数は、上洛以前を扱う首巻一巻と、年次別の本記十五巻を合わせた通常の作品構成による。本ページは特定の抜粋を扱わない原典ガイドのため、引用台帳への加算はない。