『信長公記』を読む · 11
「人間五十年」は信長の辞世か——『信長公記』の敦盛
『信長公記』首巻では、信長は桶狭間へ出る朝に敦盛を舞います。「人間五十年」は信長の自作や辞世とされず、直後には法螺貝、具足、出陣が続きます。
現代語訳
このとき、信長は敦盛の舞を舞いました。
「人の世の五十年は、下天の時の流れと比べれば、夢や幻のようなものだ。
ひとたび生を受けて、滅びない者などいるだろうか」
そう舞ってから、「法螺貝を吹け。具足をよこせ」と命じました。
原文
此時信長敦盛の舞を遊し候。
人間五十年、下天の内をくらふれは、夢幻の如く也。
一度生を得て、滅せぬ者の有へきかとて、
螺ふけ、具足よこせよと被仰。
語句の注
- 敦盛の舞
本文に名が挙がる演目です。続く文句は、信長の自作としてではなく、舞の中の言葉として置かれています。 - 人間五十年
人の世での五十年です。信長がこの朝に五十歳だったという話ではありません。 - 下天
天上界の一つです。そこでの時と比べれば、人の一生は短いと歌います。 - 夢幻
夢や幻のようにはかないことです。無常を表す言葉ですが、信長個人の信仰内容までは分かりません。 - 螺
法螺貝です。合図に使う音が、舞から出陣への切り替わりに置かれています。
桶狭間の朝に置かれた四行
引用箇所は、信長の最期ではありません。永禄三年五月十九日、今川勢が丸根と鷲津へ攻撃を始めたとの知らせが届いた朝です。
前夜にも注進がありました。それでも信長は軍の話をする様子を見せず、夜更けになると家老たちを帰しました。家老たちは、運が尽きると知恵も曇るものだ、と嘲ったと記されています。
夜が明けるころ、また知らせが来ます。そこで敦盛を舞う。法螺貝を吹かせる。具足を持ってこさせる。話は一気に動きます。
最初の動詞は「舞う」
有名なのは「人間五十年」です。しかし、その前に「信長敦盛の舞を遊し候」とあります。信長は言葉だけを口にしたのではありません。敦盛という名の舞を舞っています。
ここを落とすと、信長が自分の考えをその場で詩にしたように読めます。原文の順は違います。まず演目の名があり、その中の文句が続きます。
信長自身が選んだ場面だという点は確かです。だから何の関係もない借り物ではありません。ただし、選んで舞うことと、作ったことは別です。
「人間五十年」は誰の言葉か
『信長公記』を読む限り、引用した文句は信長の自作とされていません。辞世とも書きません。「敦盛の舞を舞った」と先に断ります。
この違いは小さくありません。信長が語った、という説明だけなら、本人の言葉だと受け取りやすいでしょう。ところが舞なら、演じる人と演目の言葉を分けなければなりません。
もちろん、信長がなぜその朝に敦盛を選んだのかは気になります。死を恐れなかったからか。自分を奮い立たせたのか。家臣へ覚悟を伝えたのか。どれも考えられますが、四行には理由がありません。
辞世と呼ぶと時系列が崩れる
辞世という語には、死を前にして残す最後の詩歌という響きがあります。ところが信長は、このあと桶狭間へ出陣し、今川義元を討ち取ります。死ぬのは二十年以上後です。
危険な戦いへ向かう朝ではあります。死を歌う言葉を選んだことも事実です。それでも、危険を前にした歌と、死の直前に残す歌は同じではありません。
「辞世」と呼ばず、まず原文どおりに言えば足ります。信長は出陣前に敦盛を舞い、その中で「人間五十年」の文句を口にしました。
「五十年」は信長の年齢ではない
人間五十年という数字も、個人の年齢から離して読む必要があります。ここでの「人間」は、人の世です。信長が五十歳だったという記録ではありません。
人の世で過ごす五十年を、下天の時の流れと比べます。比べれば夢や幻ほど短い。続いて、生を得た者は必ず滅びると歌います。
個人の寿命予告ではなく、人は誰でも滅びるという文句です。その広さがあるからこそ、戦いへ向かう朝にも重く響きます。
無常の句の直後に法螺貝と具足が来る
舞は「滅せぬ者の有へきか」で終わります。誰が滅びずにいられるだろうか。そう言った直後、信長は命じます。
法螺貝を吹け。具足をよこせ。
ここに長い決意表明はありません。天上の時、人の一生、夢と幻、避けられない死。そこから法螺貝と具足へ移ります。大きな言葉の後に、具体的な道具が二つ置かれます。
法螺貝が鳴れば、人が動きます。具足は戦うために身につけます。考え込む場面ではなく、出発の合図へ変わりました。
舞から出陣へ息を切り替える
四行を声に出すと、途中で調子が変わります。「人間五十年」から「滅せぬ者の有へきか」までを読むと、長い時間が視野に入ります。
その後は短い。「螺ふけ」「具足よこせよ」。命令が二つです。相手も物も具体的になります。
『信長公記』に、信長の胸中を説く長い説明はありません。代わりに、舞い、命じ、食べ、兜を着け、出ると動作を重ねます。読者はその速さから朝の転換を追います。
後ろに続く湯漬けと少人数の出立
よく知られた桶狭間像には、信長が湯漬けを食べたという話もあります。ところが、この版には「立ちながら御食を参り」とあるだけです。何を食べたかまでは記しません。
その後、甲を着けて出陣します。供をした小姓衆は五騎、雑兵は二百ばかりと続きます。人数は後から増えていきますが、出立の瞬間は多くありません。
敦盛だけを切り取るより、食事、甲、供の人数まで追う方が動きは鮮明です。詩的な場面のまま止まらず、身体と装備と人数へ戻ります。
心の内を説明しすぎない
死を歌ってから出陣した。そこから信長の性格を一言で決めたくなります。勇敢だった。冷酷だった。無常観を持っていた。覚悟を決めた。
しかし四行に、その説明はありません。記されているのは行動と文句です。内心は読者の側で補うことになります。
補うなら、推測だと分かる形にすべきでしょう。少なくとも、信長が恐怖を一切感じなかったとは断定できません。舞が家臣にどう聞こえたかも分かりません。
原典に戻る利点は、分からない部分まで見つかることです。
有名な一句だけ切り取らない
「人間五十年」だけなら、人生訓として引用できます。覚悟の言葉にもできます。けれども前後を戻すと、記事の中心は人生一般から桶狭間の一朝へ移ります。
前には、敵が動いたとの注進があります。後ろには法螺貝、具足、食事、兜、出立があります。舞は、その真ん中です。
有名な言葉ほど、隣の動詞を確かめる必要があります。誰が何をしていたのか。何の前後に置かれたのか。それだけで、引用の性格が変わります。
四行から断定できること
四行から確かに言えるのは、『信長公記』首巻では桶狭間出陣の朝に信長が敦盛を舞うことです。「人間五十年」の文句があり、法螺貝と具足の命令が続きます。
また、本文では演目名が先です。信長の自作歌、辞世、最後の言葉とは書かれていません。
一方、舞の節回しや身体の動き、信長が選んだ理由、居合わせた人々の反応は分かりません。信長が別の機会にも何度舞ったかも、四行だけでは決められません。
範囲を守ると、場面の速さが残ります。敦盛を舞う。法螺貝を吹かせる。具足を求める。そして出る。信長像を一語で固めるより、原文の動きを追う方が確かです。
出典
太田牛一『信長公記』首巻 第二十四「今川義元討死之事」、敦盛の舞から法螺貝・具足の命令へ進む箇所による。底本は甫喜山景雄刊『我自刊我書』巻之上(一八八一年)、国立国会図書館デジタルコレクション・画像十六コマ。句読点と四行の区切りは編集上補った。