『信長公記』を読む・12
六尺だったのは蘭奢待か、長持か――『信長公記』一寸八分
六尺と一寸八分は、何の寸法でしょうか。御蔵が開き、長持が運ばれ、名香が切られ、馬廻が拝見するまでを、四行の順に読みます。
現代語訳
三月二十八日、辰の刻に、御蔵が開き終わりました。
かの名香は、長さ六尺の長持に納められており、そのまま多聞へ運ばれました。
御成の間では舞台に出して御覧に入れ、定められた先例に従い、一寸八分を切り取りました。
御供の馬廻にも、末代まで語り継ぐ話として拝見せよとの御諚があり、一同は謹んで拝見しました。
原文
三月廿八日、辰刻、御蔵開候へ訖。
彼名香、長六尺の長持に納り在之、則多門へ被持参。
御成之間於舞台懸御目、任本法一寸八分被切捕。
御供の御馬廻、末代の物語に拝見可仕の旨御諚にて奉拝の事。
語句の注
- 蘭奢待
正倉院に伝わる香木、黄熟香の通称です。「蘭奢待」の三字には「東大寺」の文字が一字ずつ含まれます。 - 長六尺の長持
長さ六尺の箱です。「六尺」は、文の上では蘭奢待ではなく「長持」にかかります。 - 多聞
長持が運び込まれた場所です。続いて、御成の間での拝見が語られます。 - 本法に任せ
定められた作法や先例に従うことです。勝手な切り取りとしては書かれていません。 - 御馬廻
信長の身近に仕えた武士たちです。ここでは、後世へ語る目撃者として加わります。
六尺は、香木の長さではありません
原文には、二つの寸法があります。六尺と一寸八分です。まず、どの語にかかる数字なのかを分けましょう。
「長六尺の長持」は、長さ六尺の長持という意味です。長持は収納のための箱です。蘭奢待そのものが六尺あった、と述べた文ではありません。
一方、一寸八分は「切り取られた」量に結びつきます。箱の寸法と、切り取った香木の寸法。二つを混ぜると、場面の大きさも手順も変わってしまいます。
正倉院事務所の現在の解説では、黄熟香の全長は一五六センチです。これは収蔵品を調べた数値です。『信長公記』の六尺とは、出どころも対象も違います。
御蔵から多聞へ、箱ごと運ばれます
記事は三月二十八日、辰の刻から始まります。最初に御蔵が開きます。香木は長持の中にあります。それから多聞へ運ばれます。
名高い香木が、いきなり信長の前へ現れるわけではありません。保管場所があります。箱があります。箱を動かす人もいます。切り取りの前に、管理と移動の段階があります。
短い記録ですが、動詞を追うと順番が残っています。開く。納まっている。持参する。御覧に入れる。切り取る。拝見する。この順を守ると、出来事は一度の大胆な行為だけでは語れません。
辰の刻を、現代の時計で一点に決めることもできません。おおよそ朝の時間帯です。四行は、開始時刻を細かく実況するためではなく、儀礼の日付と進行を記します。
舞台で御覧に入れます
長持は多聞へ運ばれました。次に、御成の間の舞台で、名香を御覧に入れます。保管庫の奥で、少人数だけが扱ったとは書かれていません。
舞台という語からは、見るために整えた場が分かります。ただし、舞台の形や部屋の配置までは不明です。史料にない見取り図を補う必要はありません。
大切なのは、切る前に見せる段階があることです。香木は箱から出され、人の目に触れます。そののち、一寸八分が切り取られます。
保管されていた品は、名声だけなら遠くからでも知られます。しかし、この日には選ばれた人々が実物を見ました。名前として知ることと、同じ場所で見ることは同じではありません。舞台は、その違いを生む場所にもなりました。
「本法に任せ」は、勝手に取る話ではありません
切り取りの直前には、「本法に任せ」とあります。決められた作法や先例に従った、という書き方です。
信長の権力が大きかったとしても、記録は無制限の略取として場面を描きません。御蔵を開き、場所を移し、御覧に入れ、先例に従って切る。手続きの中に行為を置いています。
もっとも、この四行だけで、交渉の全容は分かりません。東大寺側の人々が何を感じたかも書かれていません。「本法」がどの文書や過去の例を指すかも、ここでは説明されません。
ですから、作法があったことと、関係者全員が賛成したことは別です。読める範囲を分けると、記録の慎重な言い方が残ります。
一寸八分は、何センチでしょうか
一寸八分は、一・八寸です。後世の一般的な換算なら、約五・五センチになります。ただし、切り取った部分の形、重さ、厚みは分かりません。
数値が細かいため、現代の計測報告のように見えるかもしれません。けれども、四行が伝えるのは一方向の長さだけです。切断面の位置や、使った刃物までは書かれていません。
ここでも、六尺との違いが効きます。六尺は運搬された長持の規模です。一寸八分は、香木から切り取った部分に関わります。大きな箱と小さな切り取りが、同じ場面に並びます。
馬廻は、後世へ語るために見ます
最後に馬廻が登場します。彼らは偶然に居合わせただけではありません。「末代の物語」とするため、拝見するよう命じられました。
見ることと、語ることが結ばれます。珍しい物を見た、で終わりません。自分たちが見た出来事を、のちの世代へ伝える役目が加わります。
その命令は、『信長公記』の記録とも響き合います。日付、時刻、箱、場所、寸法、見物人が書き残されました。未来の物語は、すでに当日の見物から始まっています。
馬廻が何人いたのかは不明です。一人ずつの感想もありません。それでも、彼らが目撃者として位置づけられたことは読めます。
目撃者は、出来事を正しく伝えるとは限りません。年月が過ぎれば、記憶も語り方も変わります。だからこそ、牛一が残した語と、のちに広がった逸話を区別する必要があります。記事に書かれた命令は、後世の物語が当日から意識されていた事実を伝えます。
切り取った香は、その後どうなったのでしょう
四行は、切り取りまでを記します。その後、信長が香を焚いたか、さらに分けたか、誰かへ贈ったかは語りません。
関連する勅書には、二片を切ることが許され、その一片が信長へ与えられたという内容があります。この文書は、許可と授与を考える手がかりです。
また、正倉院の黄熟香には、足利義政、織田信長、明治天皇が切り取ったと伝わる箇所があります。現在の収蔵品から得る情報と、明治期に刊行された『信長公記』の本文は、成立時期も役割も異なります。互いに照合しつつ、同じ文章として扱わない姿勢が必要です。
ただし、別の史料は別の証言です。勅書の情報を、牛一がこの四行で述べたかのように混ぜてはいけません。複数の史料が同じ出来事に触れるときほど、誰が何を書いたかを分けます。
四行からは言えないこと
- 蘭奢待そのものが六尺あった、とは言えません。
- 切り取った一片の形や重さは分かりません。
- 東大寺側や馬廻の内心は記されていません。
- 香木が切り取り後にどう使われたかは不明です。
- 当日の会話が一語ずつ再現された記録とは断定できません。
数字を分けると、場面が戻ります
蘭奢待という有名な名だけを見ると、話は「信長が名香を切った」に縮まりがちです。ところが、四行には多くの段階があります。
御蔵が開きます。六尺の長持が多聞へ運ばれます。舞台で人の目に触れます。先例に従い、一寸八分が切られます。馬廻も拝見します。そして、後世へ語るよう求められます。
二つの数字を正しい対象へ戻せば、保管、移動、公開、切り取り、記憶という流れが見えます。名香は、ただ所有される品ではありません。手続きを経て目撃され、その目撃まで政治的な出来事になりました。
六尺だったのは、長持です。一寸八分は、切り取りに関わる寸法です。この小さな文法の確認から、天正二年の場面が立ち上がります。
出典
太田牛一『信長公記』巻七「蘭奢待被切捕の事」、天正二年三月二十八日の条。本文は、甫喜山景雄編『我自刊我書』上巻(明治十四年)を国立国会図書館デジタルコレクション四十七コマで確認しました。収蔵品の現状は正倉院事務所「黄熟香」、関連勅書は文化遺産オンラインで確認しました。句読点と四行の区切りは編集によります。