『信長公記』を読む・13
『信長公記』は九鬼の大船を「鉄甲船」と書くのか
書き出しにあるのは、九鬼右馬允へ命じた大船六艘と、滝川左近の大船一艘です。一艘だけは「白舟」と呼ばれます。まず、史料が実際に使う名から確かめます。
現代語訳
伊勢の九鬼右馬允に命じて、大船を六艘造らせました。
あわせて滝川左近にも大船を一艘造らせました。こちらは白舟に仕立て、順風を待ちました。
原文
勢州之九鬼右馬允に被仰付、大船六艘作立。
並瀧川左近、大船一艘、是は白舟に拵、順風見計。
語句の注
- 九鬼右馬允
九鬼嘉隆です。ここでは六艘の大船を命じられます。 - 滝川左近
滝川一益です。九鬼の六艘とは別に、一艘を担当します。 - 大船
二行で繰り返される呼び名です。寸法や排水量は書かれていません。 - 白舟
滝川の一艘にだけ付く説明です。七艘すべてを指す言葉ではありません。 - 順風
船を出すのに都合のよい風です。大きな船でも、出航には風を待ちました。
六艘と一艘を分けて数える
冒頭には、二つの命令があります。九鬼右馬允には六艘。滝川左近には一艘です。合わせて七艘になります。
後ろの戦闘場面では、「七艘之大船」とまとめて呼ばれます。しかし最初から一組だったわけではありません。誰が何艘を担ったか。その内訳が残っています。
造った時期や場所は、二行からは分かりません。船大工の人数も不明です。命令、数、担当者。まず読めるのは、この三点です。
大船は一艘の発明品ではありません。複数の船をそろえた船団です。七艘という総数だけでなく、六と一の分け方も大切です。
白舟と書くのは滝川の一艘
「是は白舟に拵」の「是」は、すぐ前にある滝川左近の一艘を受けます。九鬼の六艘まで白舟だったとは読めません。
なぜ白舟と呼んだのか。表面を白くしたのか。船の種類だったのか。二行には説明がありません。
色の言葉は印象に残ります。そのため、七艘すべての姿へ広げたくなります。けれども、文のかかり先は一艘です。
分からないところは残します。白舟という名がある。それが滝川の船に付く。ここまでは断定できます。
「鉄甲船」の三字は引用にありません
二行で使われる名は「大船」です。「鉄」も「鉄甲船」も出てきません。節の題も「九鬼大船之事」です。
だからといって、船に鉄が一片も使われなかったとは言えません。短い記録に書かれない材料はあります。留め金や補強まで、牛一が数えたわけではありません。
確かめられる範囲を絞りましょう。甫喜山景雄の明治十四年版で、この節の冒頭は七艘を大船と呼びます。装甲の材質は述べません。
史料の語と、後から使われる呼び名は分ける必要があります。後の呼び名を否定するだけではありません。どの証拠から付けた名なのかを、別に確かめるためです。
大鉄砲は後から登場する
大船は六月二十六日に熊野浦を出ます。大坂表へ向かう途中、雑賀や谷輪の小船が数多く押し寄せます。矢と鉄砲で四方から攻めます。
九鬼方は、七艘の大船に小船を添えます。敵船を近くまで寄せたのち、大鉄砲を一度に放ちます。多くの敵船が崩れ、その後は近づきにくくなった、と続きます。
ここで鉄砲が出ます。しかも大鉄砲です。しかし、武器の鉄と船体の装甲は別の話です。
大鉄砲を載せたことから、ただちに鉄板で覆った船とは決められません。火力、船材、船体の守り方。三つは分けて考えます。
大きさは書かれても、寸法はない
「大船」は、ほかの船より大きいことを伝えます。ただし、長さや幅は書かれていません。喫水や積載量も分かりません。
後ろでは、大船を「山の如く」飾ったとあります。海上から見た威容をたとえたのでしょう。設計図の寸法ではありません。
大きいという評価と、何メートルあったかという計測は違います。史料は前者を伝えます。後者を知るには、ほかの記録が要ります。
大船を巨大船と言い換える場合も、注意が必要です。巨大と聞けば、現代の船との比較が始まります。原文の「大」は、同時に出てくる小船との対照で読む方が安全です。
七艘だけで戦ったわけではない
戦闘場面には、九鬼の七艘だけでなく、味方の小船も出ます。大船へ小船を添えました。敵方にも、数え切れないほどの小船があります。
大船対小船という単純な構図ではありません。大きな船の周りに、味方の小さな船が動きます。複数の役割を組み合わせた船団です。
航路もあります。熊野浦から出て、大坂表へ向かいます。海上で攻撃を受け、堺へ着きます。その後は大坂側の海上交通を止めます。
船は、造れば終わりではありません。風を待つ。船を組ませる。攻撃をしのぐ。港へ入り、海路を押さえる。記事は働きの順を追います。
「白」と「鉄」を混ぜない
引用にある材質らしい言葉は「白舟」です。ところが白は、材質を言った語とは限りません。見た目や仕立て方かもしれません。
一方、「鉄甲船」と呼べば、船体を鉄で守った姿が浮かびます。二つの語は、同じ種類の説明ではありません。
白舟が何を指すか分からないから、鉄甲船で補う。その読み方はできません。分からない語を、別の有名な呼び名で埋めることになるからです。
白舟は白舟のまま残します。大船も大船のまま読みます。材料の話は、材料を記した証拠が見つかった時に考えます。
明治十四年版で何を確認したか
今回の字句は、甫喜山景雄編『我自刊我書』中巻で確認しました。国立国会図書館の二十五コマです。
この本は明治十四年に刊行されました。太田牛一が書いた時代の原稿そのものではありません。伝わった本文を活字で読める形にした一つの版です。
したがって、船大工の記録ではありません。材料表でもありません。牛一の叙述が、後の写本と刊本を通して伝わった本文です。
ここから答えられるのは、文章の問いです。どの語で船を呼んだのか。何艘と数えたのか。誰へ命じたのか。造船技術の全体を、二行だけで決めることはできません。
二行から言えないこと
- 七艘の長さ、幅、積載量は分かりません。
- 七艘がすべて同じ造りだったとは言えません。
- 滝川の一艘を白舟と呼んだ理由は不明です。
- 船体を鉄板で覆ったとは書かれていません。
- 鉄の部品や補強がなかったとも断定できません。
九鬼大船の呼び名を戻す
九鬼の船を語る時、「鉄甲船」という呼び名が先に立つことがあります。ところが『信長公記』の書き出しは、もっと簡素です。大船六艘。大船一艘。白舟。順風。
簡素でも、情報は少なくありません。六艘と一艘を分けます。滝川の船だけを白舟と呼びます。そして、風を待って出ます。
後ろへ進めば、大鉄砲と戦果が加わります。小船を添えた船団の姿も分かります。それでも、船体の装甲を説明する文はありません。
史料から話す時は、史料の名へ戻りましょう。九鬼の大船です。鉄甲船という呼び名を使うなら、牛一の二行とは別の根拠を添える必要があります。
何が書かれ、何が書かれないか。両方を分けると、船の姿を勝手に完成させずに済みます。大船は大きく、火力もありました。けれども、材質の説明まではしていません。
出典
太田牛一『信長公記』巻十一「九鬼大船之事」。本文は、甫喜山景雄編『我自刊我書』中巻(明治十四年)を国立国会図書館デジタルコレクション二十五コマで確認した。引用した冒頭は、熊野浦からの出航と大坂表へ向かう海戦の前に置かれている。句読点と二行の区切りは編集による。